編集

「素晴らしいアレキサンダーと、空飛び猫たち」を読んで

2025/06/11

素晴らしいアレキサンダーと、空飛び猫たち 単行本 – 1997/6/1
アーシュラ・K. ル=グウィン (著), S.D. シンドラー (イラスト), Ursula K. Le Guin (原名)

素晴らしいアレキサンダーと、空飛び猫たち

「素晴らしいアレキサンダーと、空飛び猫たち 作:アーシュラ・K・ル=グウィン 絵:S.D.シンドラー 訳:村上春樹」を読んでみた。

空飛び猫シリーズ3冊目……らしい。2冊目は図書館になかったので諦める。
一冊目と同じく素敵な羽付き猫の物語……かと思えば、普通の猫のアレキサンダーがメインの物語だった。

家族と過ごしていたアレキサンダーは一匹で外を冒険すると迷子になって帰れなくなってしまう。それを助けてくれた空飛び猫の黒猫ジェーン。でも、彼女は言葉を発しない。それが幼少期のトラウマだと知ったアレキサンダーはジェーンに言葉を取り戻す。

これ、もしかして『場面緘黙症』みたいなのを想定してるのかなぁと思いながら読んでしまった。いや。『場面』ではなくて、『完全緘黙』に近いから少し違うのかもしれないけど。正直、アレキサンダーのやり方は乱暴で楽天的。猫の物語だからと、思いながらもモヤっとしてしまった。

でも、物語の筋は嫌いではない。言いたいことはわかる。綺麗なまとまり方で好き。


もう一つやっとさせられるのは、『訳注』
なんで、作品をぶち壊す訳注を入れるんだろうね。
『作者のアーシュラ・K・ル=グウィンさんは女性なので、「やさしそうな」とか「情愛の深そうな」とか「きれいな」というような女性の役割分担的なキャラクターを、フェミニズム的な見地から意識的に排除したのかもしれません』52p
これ、本文の中の「すごくかしこそうな人だな」34pのことだけど、これはアレキサンダー(猫)が新しい飼い主となってくれる女性に対して思ったことを書いてあるだけ。
なのに、『女性キャラに対して、かしこそうと書くのはフェミニズム的な意識』と言い出すの気持ち悪い。村上春樹のミソジニストっぷりが発揮されてるなと思いながら読んでしまった。

『話の流れが「いささかコレクトに女性原理主導っぽいじゃないか」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、でもそのとおりではあります。』55-56p
この話の流れというのは、『アレキサンダー(オス猫)が冒険や誰かに力ずくで勝つことではなくて、誰かの傷を癒すことで「素晴らしい」と褒められたこと」を指している。
……まぁ。男の世界なら、冒険や力づくで得た勝利が称賛に値するものな。それ以外のものは『女性原理主導』に見えるんだろうな。でも、そういうのどうでもいいし、そんな説明いらないんだわ。ミソジニスト発言連発しすぎてて、ほんとウンザリする。
男が読む本じゃねーよって書いてくれた方がわかりやすく伝わると思う。


『ジェーンとアレキサンダーは、このさきどんなカップルになるのでしょうか?』56p
こう書かれていたけど4冊目の『空を駆けるジェーン』ではジェーンは田舎を飛び出して、都会に行ってしまう。必然的にアレキサンダーと会う機会も減る。というか、『好き』と言い合ったら、恋人同士になると思うのも気持ち悪い。どうみても、そういう物語ではないと思って読んでたのに、この訳注にうんざりしてしまった。



訳注とあとがきは読まないことをお勧めする。読んだら、イライラさせられてしまった。

物語も絵も素敵。
訳注もあとがきもいらない。

ごちそうさまでした。


素晴らしいアレキサンダーと、空飛び猫たち


「空飛び猫」を読んで
「素晴らしいアレキサンダーと、空飛び猫たち」を読んで
「空駆けるジェーン」を読んで