「死ぬんじゃねーぞ!!」 いじめられている君はゼッタイ悪くない 単行本
– 2019/8/8 中川 翔子 (著)
「死ぬんじゃねーぞ!! 著:中川翔子」を読んでみた。
期待してなかったので、期待しなくてよかったと思えた。個人の経験と感覚だけの本。
綺麗ごとすぎて、笑ってしまった。学校の先生だって、この程度は言いそう。ちょっといいことした気になりたい人が、「ちょっといいことを言う」本だと思えば、笑って読める。
最初にいじめの経験が書いてある。
スクールカーストの下にいたから、いじめられたと。
スクールカーストについてうだうだ書いてあるけど、『カースト』っていう言葉を使うのをやめようか。『カースト』は身分制度で、一生変わらない身分を指すの。それを学校の期間だけの『虐め理由』に当てはめるのおかしい。言い得て妙ではない。『結婚できない・就職できないetc』という理由で人生で苦しむのがカースト制。
書くのなら『グループ別』で充分。『カースト』って書いておきながら、『身分の移動もありえる』って……『身分の移動がない』から身分制度で差別と言われてるんだよ。実際のカーストはもっと厳格で「一生変わらない」
「おとながちゃんと子供たちの話を聞こう」というのもあったけど、いや。大人がもう疲れ切ってるんだよ。子どもの話を聞けないぐらいに疲れ切っている。教師たちのブラック労働や成り手不足も話題になってるけど、『大人がしっかりしよう』っていう話に矮小化しないでほしい。
『国が教師や補助員を補充して、教育に金をかけろ』っていう話だから。
今は「いじめ」という言葉がつかわれなくなったのも、『露骨な暴力はいじめ』というイメージを付けたせいなのではないかなと思う。そして、「いじめ」でないなら、「暴力」「中傷」「連絡無視」という分かりやすい言葉になったのかなと思えば「いじり」という言葉になったという話だった。これ、『いじめでないなら、何をしてもいい』っていう悪化した状況で最悪だなと思う。
105p「無意味な校則が多すぎる」
これもどうかなと思う。校則は理由があって作られているけど、『現代に合わないものが多い』のと『校則が存在する理由を説明できる教師が少ない』事が問題なだけで、『無意味』ではないと思う。意味はあった。今も意味があるかを考え直す必要があるので、『生徒が校則を見直す必要がある』のと『教師が生徒の提案に耳をかたむける』必要はある。
「黒歴史と思っていたあの頃すらも、意味がありこんな風に未来には笑えるようになる」178p
そもそも、黒歴史なんて存在するのかなと思う。私もいっぱい失敗してるだろうし、間違えてるだろうけど『黒歴史』とは思ってないし、思った事もない。それも私に必要だったものでしかない。私の中に『黒歴史』という概念が存在しない。そして、『意味がある』とか『意味がない』というのも私の中にはない。全部、『私に必要な私の人生で、どう辿ってもこうなるだろう』という気持ちしかない。仮に『過去の戻ってやり直すなら』と言われたら、赤ん坊の私を殺しに行く。『生きるのやめたい』とは思うけど、人生の途中を変えたいとは思わない。
「攻撃してくる人、いじめている人に対してビクビクして、思考や時間を奪われるのって、ほんとうにくだらないし、もったいないなと思います。」184p
これも、同じく私の人生に『もったいない』時間なんてない。攻撃されたら相手に恐怖を感じるのは当たり前だし、どうしてだろうと考えるのも当たり前。それは『奪われている』わけでもない。考えないと生存できないから、考えてしまうだけ。だったら、考えるしかないじゃん。その考えの手助けに『本』は役立つかもしれないよ。と私だったら、アドバイスする。「人権」に関する本を私だったらお勧めする。『人権』には「あなたは幸せに生きる権利がある」と書かれている。幸せとは何か。どういう権利を私たちは持っているのか。そういう事を学ぶと、自信になると思う。
ここで人権を学ぶためのお勧め本を書くべきだろうか。たぶんこの辺りの本「「ぎゃくたいってなあに?」を読んで」「「きみの人生はきみのもの」を読んで」がいいのかなと思う。
宗教や哲学の本が合う人もいるかもしれない。私は宗教・哲学の本で、『幸せになっていい』と思える本にまだ出会えてないので、お勧めがあったら知りたい。
海外では加害者側が転校させられるとか、日本でも公立で担任制の見直しや宿題テスト廃止した学校があるとも書かれてるけど……そこを深堀して「他の学校にその制度を持ち込むにはどうしたらいいか」みたいなものはない。思いついたから書いてあるだけ。
海外は加害者側が転校というのもよく聞くけど、『それだけ学校がある』から出来る事で日本なんて学校の数を減らして『40人学級維持』してるような国でそんなことは出来ない。ついでにこれも『いきなり転校』ではなくて、最初は注意、さらに罰則と警告、最後が転校だと思う。つまり『教師側の指導がしっかりある』事が必要なわけで。
日本の教師がやる事は「みんな仲良くしましょう」なので、日本で加害者側を転校させるためには、教師の意識改革のための講座とかそういうのに強制参加させるシステムがまず必要になりそう。というような、深堀もないただの雑談でさらっと『海外は加害者が転校するのいいよね』程度で終わってるのどうなのかなと思う。『もっと調べてよ。大人でしょ』って子供から意見が返ってきそうだけど。
死んじゃダメだというけど、その理由が『命はご先祖様から繋いできたものだから』という終わりになってる。両親がいなかったり、不仲だったり、訳ありの人を根こそぎ無視してるのかな……。
いじめが学校だけで完結してて、問題ある大人が教師だけの人ならそれでいいのだろうけど……そうではない人が、うっかり読んだら死への最後の一推しになってしまいそう。
私もどちらかと言えば、ご先祖様とか親が泣くよとかそいうのどうでもいいと思う。だって、彼らは私を助けてくれない。むしろ私は家族のサンドバッグになってるようなものなので、『家族が苦しむなら死んでいいのでは?』とすら思う。
「家族が苦しむよ」で踏みとどまれる人は幸せな人。「家族が苦しむなら死んでいいかな」と思ってしまう人もいるという事が、この著者さんには見えてない。
だから、家族と色々ある人は読まない方がいいです。胸糞悪くなるだけだから。大丈夫。読まなくても大したことは書いてない。世間でよくある『死んじゃダメ』が書いてあるだけ。この本で読まなくても、腐るほど世間に溢れてる『善人面』の言葉。
この本に一番苛立ったのは
『隣のクラスは半分学級崩壊していたので、「自分はこのクラスでこの先生で、よかったな」と思ったものです。』p156
学級崩壊してるってことは、いじめも蔓延ってるってことで……。それを目の前にして『自分のクラスは学級崩壊してなくて良かった』って、どの立場で言ってるの?この本、いじめはダメっていう本ではなかったっけ?
それさ、いじめを見てた生徒も思ってるよ。『自分がいじめられなくて良かった』って。
しかもこの前後の文章からみても『自分のクラスは素敵だった』で終わればいいものを、わざわざ『隣の学級崩壊しかけてるクラス』を引き合いに出してくるの意味が分からない。
『自分はいじめを傍観してました』っていう自白なのかな。『目の前のいじめは傍観する』けど『遠くの人たちのいじめには共感します』って最悪だな。『自分が何もできない位置から、手を差し伸べてる感じを出したいだけ』っていう偽善が丸出し。
『本当に強い人、まともな人は、理性があるから、いじめなんてしないはずです。』p199
石井さんとのインタビューで『いじめを引き起こす仕組みや背景』について語っていた話はどこに消えた?
「まともな人はいじめをしない」ってずっこけるわ。いじめをしてる人がこの本を読んで何かを思うことはないだろうけど、それでも『いじめをしてる人へ』向けて書くなら、『君の辛さや悲しさ、困りごとは、誰かをいじめる事では解決しない』だと思う。
いじめ加害者もまた、『誰かの被害者』である場合が多いから。
いじめの仕組みって、そういう事だと思う。
そして、『いじめ』が起きてる時点で『まともでいられる環境』はない。
『まともな人』がいるわけではない。『まともでいられる環境』があるかないかという話を石井さんとのインタビューでしてたんじゃないのか。何の話してたんだこの人は……と思ってしまった。
学校に行かなくても、フリースクールがあるよ。って……いい親を持った子供の本。
学級崩壊していじめ蔓延クラスだった子供の頃にこの本に会わなくて良かった。死にたくなったと思う本。