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「スプートニクの恋人」を読んで

2024/02/21

スプートニクの恋人 (講談社文庫) 文庫
– 2001/4/13 村上 春樹 (著)


「スプートニクの恋人」を読んでみた。
家の本棚にあったが、年代が新しいので母のモノではなくおそらく弟の物だろう。弟は大学時代に読んだ本を、家の本棚に突っ込んだ……らしいので。

この前に、「人間失格」を読んでいた。
スプートニクを読みながら、こっちの方が人間失格じゃないかと思った。


主人公は男性で、教師をしている。
物語はこの男性の友人である「すみれ」を中心に進む。男性の目から見た「すみれ」とすみれが愛した「ミュウ」の話。

すみれとミュウの話は綺麗で、読んでるだけでうっとり……してしまいかけた。言葉も綺麗で詩を読んでいるみたいな部分がいくつもある。

しかし、主人公である男性の話になると途端にそんな気分はぶっ飛ぶ。主人公は教師で、生徒の母親と不倫をしている。なぜなら、すみれの事が好きだが、その思いが成就する事はないから。


……は?と思った。

百歩譲って、他の女性で気を紛らわせるというのはあるとしても、担任をしている生徒の母親と……はあり得ない。最後の方にはその生徒が実は母親と男性(担任)の関係を知っているのでは?というシーンまで出てくる。
しかし、最後まで二人の関係が公になることはなく、ひっそりと「別れる」

都合が良すぎる。

なぜ、すみれとミュウの話だけにしておかなかったのだろうか。
これはすみれとミュウの関係との対比なのだろうか?

気になったのはそこだけではない。男性から見た「すみれ」と「ミュウ」の見た目の表現がザラザラする。


すみれとミュウの関係が終わった時点で、物語は終わっている。正直、男性の不倫だとか、生徒の非行だとかは、どうでもいい。


なぜ、男性が主人公なのだろう……すみれか、ミュウが主人公の話を読みたかった。そして、「すみれの失踪」という終わりは、あまりにも綺麗すぎて逆に違和感が強い。

女性同士の恋愛を書きたかった、唐突に消えてしまう人を書きたかったのか、生徒の母親との不倫を書きたかったのか。


言葉が綺麗で、すみれとミュウの関係、男性とすみれの関係も悪くないのに、その外側の話となるとモヤッとする。
綺麗な言葉が所々出てくるだけに、中身が……と思ってしまう。


この同じストーリーラインで、「すみれの視点」か「ミュウの視点」での話があったら読んでみたいと思った本だった。


ところで、アマゾンレビューを読んでいたらすみれからの最後の電話が「現実」と受け止めている人がいて、え?そうなの?と思ってしまった。
この物語の後半はかなり「現実」と「夢」があいまいで、最後の電話も怪しいなと私は思う。

なので、私はこの電話を「夢」として読んでいた。電話は本当に鳴ったのかもしれない。けど、無言のまま切れたものを主人公の男性が勝手に頭の中ですみれと会話をしていると作り上げたのかと。


もし、電話が「現実」ならば、「ここに迎えにきて」ではなくて「いまから行く」のような気がする。電話をかけ直すと言っているが、かけ直しては来ない。
……夢だから、いまから行く事はしないし、かけ直す事もしないのだと思っていた。

どう読むかは人それぞれだから、「現実」なのか「夢」なのかは分からない。けど、私は夢だと思った。



この本はひっそりと本棚に仕舞って、ひっそりと処分したいなと思ってしまった物語。

『スプートニクの恋人』