五つ数えれば三日月が 単行本 – 2019/7/31 李 琴峰 (著)
「五つ数えれば三日月が 作:李琴峰」を読んでみた。
『言霊の幸う国で』に続いて読んでみた。短くてちょうどよさそうだったから。女性同士の恋愛ものというので少し期待してしまったけど、これは気持ち悪いキャラを自覚して書いてあるのか、それとも真面目なキャラとして書かれてるのかと迷ってしまった。
あまり考えたくないし、書いた人の性別なんてどうでもいいと言いたいけど……言えない私がいる。
・五つ数えれば三日月が
久しぶりに再会した林(リン)妤梅(ユーメイ)と友人実桜(みお)の話。
『都市計画の対象から外された孤児かと思うような薄汚れたビル群が左斜め前で乱雑に入り乱れ、ところどころピンク色の高収入求人の看板が毒々しく陽射しを反射していた。』7p
これについての指摘が後々出てくるのかと思ったら、ここだけの描写でギャグなのかと思ってしまった。『天気の子』と同じくただの背景なの悪質すぎる。実桜は日本では稼げないからと海外に行くけど……このピンクの高収入求人に応募したら?と純粋な読者なら思いそう。
『牛気管のクミン炒めも、日本人経営の中華料理屋では考えられない豪快な量だった。』23p
これ、なんでわざわざ『日本人経営』なのだろう。日本では考えられないで充分では?日本ではそんなに大盛りにしないことが多いという事ならわかるけど、日本人経営となると『経営者が日本人だとケチだ』みたいな皮肉も入ってるのかなと思う。そういう意味で書いてあるのかな。
『十二歳になってようやく理由がわかった。初潮が訪れてからは、拜拜の度に生理中かどうか母に訊かれた。』37p
これ、聞かれるの恥ずかしくないのだろうか? 私が十二でこんなの毎回聞かれたら、顔から火が出るほど恥ずかしくてたまらないと思うんだけど。生理用品がなくなったことを伝えるのすら恥ずかしかったのに。でもこういうのは家庭にもよるのかもな。台湾の教育は親に素直に生理を話せる環境があるのかも。できれば、その環境を語ってほしかった。
この後、嘘をついたらすぐにばれて袋叩きにあったとあるけど……。生理用品の増減で把握できるよね。捨てたのを見つかるより、『使用したかどうか』ですぐバレそう。子供が報告するより生理用品の数を把握して、母親が察してる家もあるんじゃないかな。この家はわざわざ報告形式だったけど。それとも『子供が好きに生理用品を買いに行ける環境』が整ってたのかな?……田舎となってるし、買いに行けるお店もなさそうな描写になってたような。
色々と疑問が尽きない。
そしてなぜ、『トイレのゴミ箱』に捨てた? そんなのすぐバレるという事ぐらい把握できそうだけど。子供がやりそうなのはトイレにそのまま流して証拠隠滅(トイレが詰まってバレる)かなとも思ってしまった。水洗トイレだよね。ぼっとんだったら詰まらないけど。
さらにお家のサニタリーボックスを置くのかなとも思う。でも、この辺りはそのお家によるかな。一人暮らしなら置いても不思議ではないけど、家族暮らしだと男性もいるしそのままゴミ箱直行した方がいいのでは?むしろ、サニタリーボックスに捨てる方が恥ずかしくないのかな。私、家ではゴミ箱直行だったから、サニタリーボックスの方が誰かに覗かれるかもと恥ずかしかったな。
『テレビドラマの中に出てくるヒステリックな女みたいに、泣きじゃくりながら夫に物を投げつける実桜を想像してみた。うまく想像できなかった。目の前にいる大人しい実桜。記憶の中の淑やかな振り袖姿の実桜。顔が少し地味だけど知性のひらめきを内に秘めていた実桜。』50p
すごい。理想がこれでもかとちりばめられてる。特にわざわざ『顔が少し地味だけど』とあるのは『顔が地味でも自分だけは相手のいいところをわかっている』というキャラの傲慢さを表していて素敵。
なぜ好きなのかが分からないけど、『大学の時に一緒にいたから好き』という事だけはわかった。少女マンガでよくあるパターンで、私の好みではない。やたらと見た目の評価をしてるけど、それもどうなのかなと思う。美しいとか地味という評価が必要なのは美人コンテストだけにしておいてほしい。
・セイナイト
恋人の絵舞のクロッキー会を見に行く『つき』の話。
『それにしても、女の裸は更衣室や銭湯やベッドの上で何回か見たことがあるけれど、男の裸を見るのは初めてだ。角張った肩に平らな胸板、両足の間にぶら下がる皴だらけの巾着袋と棒状物。珍奇な動物を動物園で見かける時のような新鮮味を感じる。』90p
……股間は見ないのがマナーなんだけど。デッサンのために必要最小限見る必要があるなら別だけど、『つき』はただの付き添いでデッサンはしてない。なのに股間だけまじまじ見てるの、本当に気持ち悪い。しかもこれ、二十歳前半の『男の裸を始めてみる女』の感想って。どんな世界に生きてたら、いきなり男の股間をじっくり見ることができるのかと思ってしまう。この後で、下ネタ連発しつつ、自分たちのセックス描写でも濃厚に想像する変態っぷりを披露してくれるなら、そういうキャラなのかなと思うけど……そうではない。普通の女性キャラらしい。それともこれは国の差なのかな。台湾では男性の身体をじっと見るのが一般的な女性なの?
筋肉の付き方の美しさは評価しないのかな。あと、お腹が出てるかどうかの描写なんかも女性作者ではよくある。女が見てる男の身体ってそういう部分。
『大人というものは二種類あると私は思っていた。世界が凝り固まっている人と、まだ柔らかくて自由に形を変えられる人。前者は自分の外側にある物事に気付くことによって世界が崩れるのを常に怯えているけれど、後者は新しい物事を自分の世界に取り込むだけの余裕がある。』95p
この区分が全く分からない。人は遅かれ早かれ前者になるのだと続く。当たり前を疑って傷ついてきた人ほど後者である時間が長いとも。……なんていうか、幸せな感覚だなと思う。人間はそんな簡単ではないし、傷ついた人ほどその傷をかばって痛みを感じなくなることも多々ある。逆に傷つかなかった人ほど、当たり前を疑ってそれが許されていたりする。
相手をそうやって二種類に分類してしまう暴力性が怖い。
『なんで付き合っている相手がいるのにクリスマスイブにクロッキーの会の予定を入れたんだろう、と不満がないわけではなかった。(略)ただ、触れられもせず、言葉も交わせない時間はあまりにも流れが遅すぎたのだ。』104-105p
なぜ、こういう不満を持つのだろう。それは子供が持つ『おかーさん、私に構って』という感覚なのだけど。つまり、恋愛関係ではなくて疑似的親子関係。恋愛にはこういう部分が絡んでくるけど、それをそのまま不満として吐き出すとホント幼いキャラだなと思う。幼いから『珍しいもの見れた面白い』と思って、男性器にあんなに興味を示したのか。大人設定だと思って間違って読んでしまった。
『親や先生に隠れて煙草を吸ったり後輩の女の子に言い寄ってファーストキスを奪い回ったりする、ちょっとした問題児だった。』116p
子供の頃の回想シーンで、これは高校の時の彼女さんの説明。ちょっとした問題児?これ、女子校? 女が女の子に言い寄ったからってそう簡単にキスできるの?共学なら男もいるし、こんな事をしてたら男に目をつけられて『男の良さを教えてやる』って回されるのがオチじゃない?というグロイ想像をしてしまった。
女性同性愛者にはあるあるの『男の良さを教えてやる男』がいない環境がすごいなと。
さらに主人公が『一人暮らし』をしていて、台湾では高校生が一人暮らし出来るのかと驚いてしまった。日本でもしてる人はいるかもしれないけど少数だと思う。
122pの辺りに台湾と日本の奨学金の違いが出てくる。でもこれ、台湾がおかしいわけではなくて、日本の奨学金がおかしいのよ。大半の国では『奨学金』は返済しないし、利子もない。給付が基本。日本はなぜか貸与で利子もある状態のお金を『奨学金』と呼んでる。他の国ではこれはローンと呼ぶ。日本の呼び方が狂ってるだけ。まともな国は、金のない学生に『金を貸す』なんて狂ったことはしないのよ。
という説明はもちろんない。ただ一言『呆れた』とあるだけ、そこから文化の違いや言葉の受け止め方の違いが語られている。
子供の恋だと思えば読める。でも、恋愛と言われるとわからない。恋愛シーンなんて二つともどこにもないから。友情と子供の恋愛ごっこ。つまり、私の好みではない。
ごちそうさまでした。