ユーレイと結婚したってナイショだよ (とんでる学園シリーズ 9) – 1988/6/1 名木田 恵子 (著)
「ユーレイと結婚したってナイショだよ 作:名木田恵子 画:かやまゆみ」を読んでみた。
子どもの頃に読んでいた本。
懐かしいと思いつつ読んだ。
ユーレイの和夫と、ふーこの恋物語。恋愛物は嫌いなので、正直この最初の話は好きではない。小学生が結婚するなよ……って今も突っこみたくなる。でも、このシリーズのいいところは恋愛メインだけど遠距離(生きてる世界と死んでる世界)すぎて、好きだといってられないところ。結構な頻度で生きるか死ぬかの話になってドタバタしていた記憶がある。
その中でも最初のこの話は恋愛メインで、ウンザリしてしまう部分もある。でも、好きだなぁと思う。物語のテンポとでもいうのだろうか、ふーこのキャラのせいだろうか。なんていうか、読みたくないと思うほど嫌いではない。児童書なので読みやすいし、結局、ぐいぐいひきこまれていく。
物語はメチャクチャに唱えた言葉がユーレイの和夫と結婚する呪文だった事から始まる。和夫に説明されても、ふーこは怒り心頭。なにせ、ふーこには葉月君という想い人がいたのだから。左手薬指の金の指輪は取れないまま、学校でも問題になってしまうし、葉月君が好きな梅原さんからは睨まれて……。
と、トラブル要素が沢山ちりばめられている。それをサポートする友人のこまったちゃん。
この物語、ふーこが『二三五』でふみこと呼ばせるのも面白いけど、小松多恵が「こまったちゃん」になるのも面白い……と言葉遊びもあちこちに入ってるのも楽しかったのよね。
葉月剣(はづきけん)と比村和夫(ひむらかずお)のイニシャルが同じなのも、そこまで計算して書いてあるのかと思うと楽しい。小さな計算があちこちにちりばめられてるけど、押し付けがましくないし、ほとんど全部物語の中で回収していくので謎も残らない。
ただ、少し残念なのが……言葉の端々に古さも感じられる。当時はウケただろう言葉なのはわかるけど、今読むと、それちょっと古いのでは?というものが。「うれP」とか……今、聞かないわ。時代の流れって残酷。
そして『土曜日も学校があった』ことになってるのも古いなぁと。……この時代、まだ土曜もあったのよね。さらに『電話』と言えば、家の電話なことも。だから、こまったちゃんは「長電話しちゃって、電話禁止になった」なんて言えるわけで。
端々に感じる時代も懐かしくもあり、少し悲しくもある。
ネタバレしてしまうけど、この物語の最後の方には和夫くんのお母さんに新しい命が宿ってることがわかる。それに対してふーこは
『子どもって両親が心から愛しあったときに生まれるってママがいってたっけ。としたら、おばさんのおなかにいるのはわたしと和夫の赤ちゃんでもあって……』170p
と思っている。
和夫と結婚した自分たちの子どもがおばさんのお腹の中にいるのかもという意味で。
児童書ってこれくらいピュアでいてほしい。と思いながら読んでしまった。
もう、最近の作品ってギョッとするものが多すぎてこのピュアさのものを見かけない。というか、ピュアじゃなくて、児童書ならこれが当たり前だよね。これをピュアだといってしまう私の感覚が狂ってるとすら思ってしまう。
そして、ふーこの家族がちゃんと『ふ―このことを心配している』シーンがちらほら出てくるのも好き。暗くなっても公園で一輪車の練習をしているのが心配だから弟君に呼びに行かせたり、他でもちょっとしたトラブルがあると心配の眼を向けている。ふーこもそれがわかってる。もちろん、こまったちゃんもふーこの力になろうとしている(少々、失敗してる部分もあるけど……)
キャラクターが意味を持って配置されてて、ちゃんとお互いにお互いを気にしてるということがわかるのが良いんだよな。
最近の児童書もいくつか読んだけど、家族が『ただ一緒に暮らす人』だとか『教えを与える人』みたいなことになっていて、違和感があった。この『お互いを気にしつつも、やっぱりわからない部分もある』という形が私にとって物語の中の家族な気がする。ふーこの家族は普通なのよね。で、ふーこはちゃんと『子ども』でいる立場なのもいい。
なんていうか、久しぶりに読んだら、私の書きたい物語の核というか、そういうものがぎゅぎゅっと詰まっていて、『これ!!私が書きたいのは!!』みたいな気持ちになった。
恋愛シーンは好きではないけど、物語としては好きだし、文章のテンポも好き。
そして、この本で『セブンイレブン』を知ったけど、言葉が理解できず母に聞き「コンビニ」だと教えてもらい、辞書まで引いたけどわからなかった。
これ、シーンを見れば『買い物をする場所。お店』ということはわかるけど、私が知りたいのはそういうものではなくて、それがどんな感じの場所なのかを知りたかった。当時、私の住む場所にはコンビニはなかったから。なのに、本の中では出てくる。今の自分と同じような女の子なのに、彼女は知ってる。都会の子だから。ここにはないから、私にはわからない……という断絶した感覚を持ってしまった。というのも懐かしい。
いや。同じ時代の女の子を描いてるのに、住んでる場所が違うから、それが何かわからないし、本にも説明がついてなかったってちょっとしたショックだったのかもな。と今なら思う。出版社も書き手も都会しか知らない人で作っていたら、『ド田舎のコンビニも知らない子どもがこの本を読む』なんて想像すらしてもらえなかったのかもしれないけど。本ってそういう残酷なことが時々起こるんだよな。
いろんなことを思い出してしまった。
物語は好き。でも、他にもいろんなものが詰まってた。
思い出たくさん。ありがとう。
ごちそうさまでした。
「ユーレイと結婚したってナイショだよ」を読んで
「恋がたきはおしゃれなユーレイ」を読んで
「ロマンチック城ユーレイ・ツアー」を読んで
「61時間だけのユーレイなんて?」を読んで