うそをつく子 ―助けを求められなかった少女の物語
– 2021/8/4 トリイ・ヘイデン (著), 入江 真佐子 (翻訳)
「うそをつく子 著:トリイ・ヘイデン 訳:入江真佐子」を読んでみた。
図書館で何気なくトリイで検索したら新作(2021年 出版)が出ていたので、借りた。
久しぶりのトリイ。何年ぶりだろうと思ったら、ラストの訳者あとがきで十六年ぶりと書いてあった。
十六年……そんなに経つのか。
トリイは『特別学級で働く教師』として「シーラという子」の話を書いて人気になった作家。その後も、発達障害や問題を抱えた子供に接した時の物語が本として出版されている。
基本は、ノンフィクション。
でも数冊、フィクションも書いている。
たしか、フィクションは感想を書いたような気が。母が気に入らずにさっさと売ってしまったので、私は図書館で借りて読んだ……ような気がする。※読んでた。下にリンクを張った。
とにかく、トリイ・ヘイデンの話は虐待や問題を抱えた子供の話が書かれている。救いがない事も多い物語……だったような気がする。読んだのが昔すぎてちょっと記憶が曖昧。読み直さなければ。
※ネタバレ あり※
さて、「うそをつく子」の感想を。
タイトルの通り、様々なうそをつく少女ジェシー九歳の物語。
ジェシーはグループホームで暮らしている。両親はジェシーが放火事件を起こしたことで、「一緒に暮らしたくない」と訴えジェシーは家庭から離される事になった。
そのグループホームへトリイはボランティアとしてセッションをしながらジェシーに関わる。
大筋はこんな感じ。
トリイは今までの作品と違って、ボランティアとして関わるので細部が若干、『わからないまま』物語が進んでいく。特にジェシーの両親は後半を過ぎてからチラリと出てくるだけで、前半はジェシーやスタッフであるメレリの言葉や記録を見てという情報しかない。
そして、繰り返されるジェシーの嘘の数々。それだけではなくて、場を支配しようとするパワーゲームがトリイとのセッションで毎回行われる。
正直、読んでいるだけで疲れる。九歳の子供がこんなだったら……と思ったが、うちの九歳児もここまで酷くないだけで似た点は多々ある。
嘘をついて、自分が上位に立ちたいと思うのは、別に子供に限らず誰にでもある。
ただ、ジェシーの嘘はとことん人を追い詰める悪質なものもある。前半はとにかくジェシーの嘘が繰り返され『ジェシーは嘘をつくが、それこそが問題の本質である』と書かれている。
そして、本の中間地点で大事件が起こる。
『男性スタッフが私の大切なところを触ってきた』とジェシーが告白したのだ。
子供の話を受け流す時代は終わっていた。正確な年代は書いてないが、恐らく1990年代ごろではないかと後書きに書かれていた。
ジェシーの告白で男性スタッフも、ジェシーもそのグループホームにいる事は出来なくなった。
日本が子供の性被害にどれだけ敏感なのかは知らないが、アメリカやイギリスでは子供の告白に対処するための仕組みがあるらしい。
ジェシーがホームからいなくなってしまった事で、一旦、トリイとのセッションも中断される。
その後、色々あって、ジェシーとのセッションが再開され、ジェシーも里親の元で上手くやれずにホームに戻る事になる。
すでにお腹いっぱい。
物語の造りがうますぎて、うさん臭さすら感じてしまう。以前はここまで劇的な物語の造りにはなっていなかったような。と思い始めてしまった。このケースはたまたまこのように『上手くいった』というものなのだろうか? それとも、上手くいかなかった部分を端折って物語として魅力的な部分だけをピックアップしすぎているのだろうか。
とにかく物語としては面白いのだが、面白いだけに『結末』を期待しすぎてしまう。大丈夫なのだろうか……という気にさせられた。今までの作品は『問題だけが残り、結局何も解決できなかった』というようなものもある。結局、そっちに向かうのだろうか?とも、考えてしまった。
物語に戻る。
ホームに戻って再開したセッションもジェシーの嘘やめちゃくちゃな行動が、毎度毎度おきる。その中で少しずつ、見え隠れする事実が混ざっていく。
最終的にはジェシーに性的加害を加えたのは姉だったと発覚する。その姉もまた両親のネグレクトとさらに上の姉たちからの虐待に苦しんでいた子供だったという事実が明らかになる。男性スタッフが触ってきたというのは嘘というのも発覚。
姉妹間の虐待の連鎖が根底に転がっていたと分かり、物事は急速に収束していく。
最終的には十年後のジェシーから『世界中を飛び回っている』と手紙が来たところで終わる。
この最後の手紙には「日本にも行った」というような事まで書かれているのだが……さすがにこれは翻訳される国ごとにその国の名前を入れているのでは?と思ってしまった。
そんな感じで、所々がちょっとなと思う点はある。
でもそれを抜いても、『面白い』と思えた。
『昔はこんな風に子供に接していた。今はこんな風にしなくてはならなくなった』という話も興味深い。最初の作品『シーラという子』の時代は本当に手探りで、何も確立してなかったのだなと思った。
物語が上手くいきすぎている点は気になったし、男性スタッフは人生をめちゃくちゃにされているし、ジェシーを虐待したお姉さんもその後どうなったのかは分からない。
「お姉さんは大人なのだから」というトリイの言葉一つだけなので、それなりの罰則があるのかそれとも福祉に繋がるのか謎である。
発覚時は大人でも虐待を行っていたのは子供時代の場合はどうなるのだろうか。
いろんな事が複雑すぎるのに、最後が『いい感じ』で終わってるのは、物語に寄りすぎな気がする。
うーん。何だろうか。
以前までの物語の印象では『家族丸ごと』な話が多かったような気がしたので、今回の「うそをつく子」はジェシー一人だけに光を当てすぎているような気がしてしまう。特にお姉さんなんて問題が起きるまでは、「面倒見がいい子だった」という両親の言葉やジェシーの「あんな人嫌い」という極端な話でしか出てこなかったのに、最後にいきなり光が当たっている。
家族の問題の物語としては、家族が薄くて……ちょっとイマイチな感じ。
ただ、タイトル通り『うそをつく子』として考えると、「なぜうそをつくか」にずっとライトが当たっていたと思う。
ジェシーが主人公なわけでもなく、『うそ』が主役だった。
そういう点では少し不満。
トリイ・ヘイデン作品 感想記事
「ひまわりの森」を読んで
「機械じかけの猫(上)」を読んで
「機械じかけの猫(下)」を読んで
「うそをつく子」を読んで