ドラゴンフライ: ゲド戦記 5 アースシーの五つの物語 (岩波少年文庫 592 ゲド戦記 5)
– 2009/3/17 アーシュラ・K. ル=グウィン (著), ディビッド・ワイヤット (イラスト),
「ドラゴンフライ ゲド戦記Ⅴ 作:ル・グウィン 訳:清水真砂子」を読んでみた。
ゲド戦記、読み終えた。どこかで読んだような。と思ったら、西のはての年代記と似た作り……いや。作者さんが同じだから似てて当たり前なのだけど、ゲド戦記から魔法と竜をぬいたら西のはての年代記になるのねと思った。
本編を終えてから、伝外を読んでよかった。『アースシーの風』を先に読むか、伝外を先なのか……迷った。結果。私は伝外を後にしてよかったと思った。
迷うのはこの伝外に帰還とアースシーの風の間の物語が入ってるから。時系列順に読みたいというこだわりがあるなら、伝外が先の方がいいのかも。……私、時系列よりもメイン重視。脇道の話は後からじっくり読みたい。
物語は5つ。
「カワウソ」
魔法の島、ロークの学院がどうやってできたのかという物語。最初のゲド戦記のようにあちこちに移動するのは楽しかった。そして、最初の成り立ちには女性たちの力が必須だった……というのを読みながら、でも権威が確立したら女たちを追い出してしまうのはえぐいなぁと思う。
「ダークローズとダイヤモンド」
魔法使い見習いと魔女の恋愛の物語。うーん。恋愛? 書かれてない部分が多すぎて、正直いまいちわかりづらい。
「地の骨」
地震を食い止めた魔法使いの物語。
地面の中の骨の描写が好き。この雰囲気すごく好き。魔法は結局よくわからないけど、こういう描写が好きだなぁ。
「湿原で」
最初の「影との戦い」を思い出してしまった。影との戦いは思いあがったゲドが影に追われる物語だったけど、これは思いあがった男がそれに破れ自分の愚かさに気が付く物語。追いかけてくるのがゲドだけど、結局ゲドは一人でロークに戻る。
「トンボ」
帰還とアースシーの風の間のアイリアンの物語。アイリアンがロークの学院に行き、ロークの学院でどのように過ごしていたのかが描かれてる。これはこれで面白いんだろうな。
「アースシー解説」
アースシーの世界の事があれこれ書かれてる。
今までの物語の設定を、アースシーの歴史に沿って説明してあるので、わかりやすかった。
これ、ゲドの物語だと思ってたけど違うのね。『アースシーの物語』だったのね……と思った。『ゲド戦記』というタイトルが紛らわしい。
世界設定が緻密だけど、あちこちの文化を入れてるなぁとわかるのが楽しいな。
少し前に『「アースシーの世界」にはキリスト教的な価値観がないのでは?』という議論を眺めた気がするけど。そうかなぁと思いつつ、キリスト教的な気がする部分がよくわからなかった。
禁欲の部分や女を魔女として下に見る価値観はキリスト教的では?と解説を読んでいて思った。もちろん、どの文化にも『禁欲』や『女は物を知らない』というような価値観はあるのだけど、日本にいるとそこまで露骨ではないどころか、寺なんて男同士ならOKみたいなのがあったじゃん……と思ってしまう。大奥も女同士があったらしいし。同姓しかいない場所はそれはそれで、そういう事になるんだよね。
でもロークでは『禁欲』を守りながら、同性愛……もしくは同性愛的行為が存在してないことになってるのキリスト教的な価値観からでは?と思ってしまう。たしか、墓所もそんな感じだったような。あれはテナーが知らなかったから書かれてないだけなのだろうか。魔女は女性同士でお盛んみたいな設定もキリスト教の価値観??みたいに感じてしまった。
キリスト教ってわかってないから、完全『イメージ』だけど。仏教とか神道みたいな日本にある価値観とはやっぱり違う気がする。
これで、ゲド戦記にある『魔法の学校』の話が分かった。ロークの学院が魔法の学校。
でも、今では魔法の学校って『ハリーポッター』が最強だよなぁと思う。あんなにわかりやすく楽しく面白く書いてある物語には勝てない気がする。
ロークの学院も魔法の学校だけど、地味なんだよな。様式の長なんて何してるのかわかんないよ……と思ってしまいそう。森の中の散歩は楽しそうだけど。
あと、ゲド戦記は『箒で空を飛ばない』ことがわかった。ゲド戦記では『鳥に姿を変えて空を飛ぶ』ただし、長時間、鳥になっていると人間に戻れなくなる。
ゲド戦記の魔法はシビアで、簡単には使えない。特にロークの魔法使いは、気軽に魔法を使わない。まじない師や魔女たちの方が地味だけど生活に必須の魔法を使っている。そして彼らのおかげで飢餓がないとなってる。食料生産に必須の魔法。地味だけどすごい。そして、その魔法を使って『相手の土地を荒らして不作にする』みたいなことがないのもすごいなと。良い魔法も悪い魔法も使えるって、そういうことも出来ちゃうよね。ロークなんてやってくる船に対して風を送って島にたどり着けなくしてるし……一歩間違えたら、沈没して死ぬ羽目になるという、それいいのか??っていう魔法だけど。
地味だけど、じわじわ来るのがアースシーでの魔法なんだよな。
また、新しい一冊が出てるらしいけど……図書館に入って来るかな。入ってきたら読もう。
ごちそうさまでした。
――おまけ『ジブリアニメ映画 ゲド戦記』の感想――
やっとジブリのアニメの『ゲド戦記』を見てみた。
読んだ後だと理解しやすい。そして、読まずに見ても意味わからないのもわかる。必要な前提知識が多すぎる。アニメだけで完結してないのはキツイなと思った。テナーが墓所の事をぽつりぽつり言ってるけど、アニメだけだと意味不明。さらにいえば、あれだとゲドとアレンのどちらが主人公なのかと思ってしまう。アレンが父親を殺した事と、ゲドに助けられてテナーたちと暮らしてる……事まではわかった。敵役の『クモ』と『ウサギ』がなぜ絡むのかわからない。『王である父親を殺した』ならば真っ先に『王国から王子を罪人として追ってくる人間』を警戒するはずなのに、その様子もない……国は瓦解した?いや。王国として議会まで開いているような組織が簡単に瓦解するわけがない。追手がいない事が一番の疑問だったんだよな。『ウサギ』がその追手かと最初思っちゃったのに、どうやらそうではなさそうだ……という事が一番の謎だった。
『王を殺す』という大罪を犯しながら呑気に旅が出来てしまうのどうかしてる。いくら王子だって、それはない。そして、最後には「国に戻って、罪を償う」みたいなことを言ってるけど……。え?償えるの?と思ってしまう。これ、ゲド戦記の名前を付けずにオリジナル作品で作っちゃった方が良かったのでは?としか思えない。
ジブリ作品って結構、原作から離れてるらしいけど、『魅せ方』だけは上手くて多少物語に無理があっても、ジブリ作品はジブリ作品でいいなと思えるものが多いのに、ゲド戦記だけはどう頑張っても、何度見てもそもそも『物語不明』。アレンが主人公かと思えば、ゲドのシーンも多い。ゲドとテナーの恋愛ものかと思えば、アレンとテルーが最後は全部持っていく。
最後の……テルーが竜になるの、本当に意味がわかんなかったんだよな。ちゃんと見たら途中で「人と竜は同じだった」みたいなセリフが入ってた。でもスルーしそうなほど軽い情報で頭に残らないし、人と竜は同じだったからテルーが竜になるなんて思わないよ。
せっかくの最大の見せ場が『それまでの物語が意味不明』なので、本当になんでここで竜?最初になんか戦って死んでたよね??程度の情報でしかない。
原作未読の人にはとことん冷たく。原作を読んでる人はアレンが全く違う事に疑問をもちそうなアニメ映画……ということがわかった。
あと、あれだけ肌の色の事を繰り返し書いてるんだから、肌の色に拘りがある作品(作者)ってことがわかりそうなのに、その部分はガン無視なのもどうかなーと思う。これ、原作者さんも指摘してたらしいけど。作中であれだけ肌の色の事を何度も書いてるのに、そういう部分を無視で作品を作るの意味がわからない。
原作読んでなかった時は、「そういう作者さんなのかな」程度に思ってたけど、作品読んだら、何度も肌の色の濃さや色について細かく書いてあるので、作者さんの意見は間違ってないとしか思えなくなった。
この辺りでやめておく。でも、竜の造形はアニメで理解しやすかった。さすがに文字だけだと竜の形がわからないから。竜ってかなり幅広いイメージの存在だから『形』が固定できるのは良かった。