「アンクル・トムの小屋 下 著:ストウ夫人 訳:大橋吉之輔」を読んでみた。
下巻の物語は、トムがメイン。
自由にしてやると言っていた主人が亡くなったことで、再び売られることになったトム。次の主人は酷い男で、暴力で奴隷たちを支配していた。トムは管理側にするために買いとられたが、奴隷を鞭打つのは嫌だとトムは拒否をする。その為に、辛い日々を過ごす。
やがて逃亡に手を貸すことになり、トムはそれが主人に知られて酷い折檻の後に亡くなる。
亡くなった後に元の主人の息子だったジョージがやってきて、トムを葬る。
さらにもう一つの物語のエライザの母親とエライザの夫の姉とも出会うことになる。ジョージは自分が所有している奴隷たちを全て自由人にして物語は終わる。
最後の方は、物語が都合よく進み過ぎていて胸やけしそうだった。
そして、上巻よりも聖書やキリスト教に関するものの引用が増えている。
気になった部分。
『話しかけられたとき、気をつけるように教えること、教義問答、裁縫、読書を教えること、およびもし嘘をつけば、鞭で打つこと。今日教育にそそがれているさんさんたる光明のなかでは、こういう教え方は時代遅れとして後方に取り残されているのはもちろんだとしても……(略)』75p
黒人に教育を与えようとするオフィーリア嬢の教育観。……現代からみると古臭いけど、この時代ですでに『時代遅れ』となっているのも興味深いなと思った。
『生まれつき、教養、支配権、教育も得、精神的にも肉体的にもすぐれているサクソン人。生まれつき、圧迫と服従に慣れ、無知、労働、悪徳に甘んじているアフリカ人。』80p
この辺りの描写も差別的だけど、前後の文脈を見ると差別として書かれてるわけではなくて当たり前の事として書かれてるのを見ると、この時代は本当にそう信じられていたんだろうなと思う。
『宣教師も言っているように、アフリカ人ほど、素直に福音書を受け入れた民族は、地球上のどの民族の中にもいないのである。』337p
……ここまでたくさん出てきたように、子供を親から引き離して、一から『教育』しなおせばどの人種だって『福音書を受け入れる』と思う。これもホラーだろうか。それとも作者自身が本気でこれを信じて書いてるのだろうかと迷う部分。ただ、この時代はそういう事を信じる人たちもいたことは確かなのだろうなと思う。
『アフリカの発展は、本質的にキリスト教徒のものであるべきだ、と信じます』403p
この作品にうっすら漂う差別的なものは『アフリカにはアフリカの独自の文化がある』というものがかけらも見えない事なのだなと、この文章でわかった。
アフリカにはアフリカの文化があり、キリスト教はアフリカにとっては異文化でしかない。ただ、キリスト教が入った後は『元の文化と新しい文化が混ざり合う』ことはある。
でも、この時代にそこまで思いを馳せるのは難しかったのだろうなとも思う。現代的な価値観で断罪しつくすものどうか……という話かもしれない。
……それでも、ラストはさすがに都合がいいことが起こりすぎてるし、最終章は物語ではなくて作者の思いだった。あとがきではなく、章としてくっ付いているのはどうかと思ってしまった。でも、この時代だからこういう書き方なのだろうか?よくわからない。
この時代には必要な物語で作品だったとは思う。……現代の人がそのまま読むには若干危険な部分はあるけど、この時代の空気を感じるにはちょうどいい作品。
ごちそうさまでした。
