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「地球にちりばめられて」を読んで

2024/03/17

地球にちりばめられて – 2018/4/26 多和田 葉子 (著)

地球にちりばめられて

「地球にちりばめられて 作:多和田葉子」を読んでみた。

わからない。いや。掴めない。

Hirukoという日本人の移民が主人公。彼女は北欧にいる。日本語を使いたくて、日本人を探す。彼女はパンスカという創造言語を操ってその国の人たちと話しているが、その言語は『ぼんやりと意味が通じる』を基準に使っているので、言葉の範囲が広くてぼんやりとしている。

Hirukoに興味を持った言語学者のクヌートは母との間に若干の確執を持っている。インド人留学生のアカッシュはサリーを着る男性。彼らに出会って、ウマミフェスというイベントに行く。
ノラはウマミフェスの主催者だったが、料理を作るはずだった恋人のテンゾがいなくなりイベントを中止に。テンゾを追いかけていくと、日本人ではなく名前も偽っていたことが分かる。本当はナヌークという名前で学費の出資者から逃げている。
しかし、Susanooという日本人を知っているという事で、彼を探すことになる。彼は話に聞いた場所にまだいて、皆がそこに集まる。そこでナヌークの出資者がクヌートの母親だという事が分かる。Susanooは声が出せず、治療をしたいと望んだので、治療をする病院を紹介される。


というところで話は終わって続くとなっている。
Hirukoが主人公らしいけど、正直、掴めない。日本人に会いたい……となってるけど、別にそこまで熱量があるわけではない。さらに言えば、過去すら謎だ。なぜ、『日本にいる人と連絡が取れない』のにこんなに冷静なのだろう。
Susanooも日本人だが、こちらは過去の話が出ていて、故郷に連絡を取りたいと思えるような人がいなさそうという事が分かるので納得できる。
クヌートが主人公だと言われた方がまだ納得できる。彼の母親が一番個性的で面白い。それに振り回されているクヌートもまた、人間味あふれていてわたわたしてるところが可愛い。

なぜHiruko以外の4人が巻き込まれているのかも、深く考えると謎ではあるけど、これは『物語としてあり』な範囲だと思うので、巻き込まれてる理由は深く考えない。

言語や文化など私の興味を引くモチーフが入っているのに、正直、全く面白いと思えない。もっと読みたいと思えない。どちらかと言えば『さっさと読み終えて、他の作品を読みたい』と思ってしまっている。

なぜだろう。何がダメなのだろう。なんだか、村上春樹を読んでるような気持ち悪さすら感じると思った時点で分かった。登場人物の階層が高いのだ。クラシックを嗜み、絵画を眺め、学問にいそしむ。性的なものを高尚に扱う。それがあまりにも当たり前の階層として書かれていて、その階層にいない私は置いてけぼりを食らっている。

音楽家の名前や画家の名前を知っているのは当たり前という物語は、とっつきにくい。
さらに言えば、ヨーロッパの地図必須……みたいな感じも無理。地名が出てきてもそれがどの国で地図上のどこなのかさっぱりわからない。

そんな金持ち世界で『移民の立場は弱い』と言われても、全く分からない。さらに言えばヨーロッパの中でも『人権』が守られている国となっているので、粗野なものは一切出てこない。綺麗すぎる。

その辺りが無理なのだろうなと思う。

さて、次も頑張って読む。
まるで『紙をそのまま噛んでいるような物語』



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