差別と日本人
– 2009/6/10 辛 淑玉 (著), 野中 広務 (著)
「差別と日本人 著:野中広務 辛淑玉」を読んでみた。
「差別の日本史」と一緒に読むと重なってる点がいくつかあるので、知識が深まる。
野中さんは被差別部落出身。辛さんは在日。という立場で辛さんが野中さんへインタビューする形で本は書かれている。野中さんは元衆議院議員でもあるので、政治の話も多い。正直、政治のあれこれは難しい。
野中さん……誰だっけ。そういえば聞いたような……という程度の浅い記憶しかなかったが、私が大人になって数年で引退してるらしいので、記憶にないのもうなづける。政治は私の興味範囲ではなかったので知識がない。最近は、なるべく取り入れようとしてるけど、範囲が広すぎて収拾はついていない。
大人になりたての頃はまだ政治に興味がなくて、残念ながら野中さんについての印象はない。小泉さんの話が出てくると少しだけなじみがあるような気がするが、それほど興味があったわけではなく、郵政民営化して郵便局を壊した人というイメージがある程度。
「差別はいわば暗黙の快楽なのだ」p18
辛さんのこの言葉が印象的だった。他のページでも時々出てくる。
第一章 差別は何を生むか
この章では野中さんの子供時代の話から、話が始まる。一瞬、差別の話ではなかったのか?と思ってしまうが『具体的な差別的体験』の話へと上手く繋がっていく。さらに政治へと話が広がり野中さんの輪郭が少しだけ見えてくる。時代なのか何なのか、やっぱり『違う』と感じる点もある。
第二章 差別といかに戦うか
部落解放運動などの被差別部落がどうやって戦ってきたかという話が中心。そして、野中さんは戦うために政治に足を踏み入れていったという話。
二章のボリュームだけでおなか一杯になるくらいあれこれ書いてある。しかも以前読んだ『差別の日本史』ではあっさりと流されていたような点も事細かにわかりやすく書いてある。『差別の日本史』は昔の話は詳細だけど、近代や最近の出来事に近づくほど精度が落ちて私怨が鼻についていたので、それらを取り去って書いてある文章は読みやすくていい。
ついつい、『差別の日本史』と比べながら読んでしまう。
第三章 国政と差別
政治的なあれこれが書いてある章。30年以内の話が多いので、ある程度なじみがあるものが多い気がした。
阪神淡路大震災やオウム真理教事件、従軍慰安婦に国旗国歌法案。この辺りは覚えている。詳しくはないけど、そんなこともあったという程度には。
ただ、差別と関連付けるあれこれまでは知らなかったので、なるほどと思いながら読んだ。
国旗国歌は正直、『なぜそれで揉めるのか』がわからなかった。歌わない人、立たない人がいてもいいのでは?と思ったが、なぜか強制の方向にいつの間にか向いていた。という程度の知識があった。
国旗や国歌に悪い印象を持っている人もいるという事が本の中に書いてあって、そうだったのかと初めて知った。さらには『新しく作ってもよかったのでは?』という意見も……確か、当時もそんな意見を見かけたような気が。あいまいな記憶。
それにしても野中さんの「わずかな戦争の時期だけを、日の丸の歴史としてとらえたら、そういう考え方が出てくるでしょう」って……そんなことを言ったら、国旗国歌が国民に浸透したのも日本の歴史のわずかな時期だけなのだから、変えて良かったのでは?と思う。百年後には全く違う国旗国歌が広まっていてもいいと思うけど、そっちには意識が向かないんだな。ところどころ、こういうのが出てくるけど、それはその時代を生きた価値観が染みついているのでしょうがないんだろうな……という点もわかる。
第四章 これからの政治と差別
政治と差別の話が載っている。政治家の暴言など。私、この暴言知らないな……政治にまったく興味がなかった頃だ。
そして、最後の家族との話が切ない。
「人権は好きだけど当事者と一緒に生きることはできないんだなって」p194
家族というだけで一緒に叩かれるというのもあるし、差別と闘うのは家族も巻き込むことという事でもあるし……と、戦う人たちの苦悩で最後の章は終わっていた。
差別の日本史で『差別は幻想』と説明していたのに対して、差別と日本人は『差別は快楽』と説明してある。確かにそうだし、なぜそうなのかも脳科学や社会学などでいろいろと説明されているのを見かける。
そして、一つの話からあちこちに話が広がっていくのがすごい。知識が深いし、当事者たちがどんな気持ちでいるのかをちゃんと伝えてくる。
政治はよくわからなかったけど、政治には『駆け引き』が必要なために『一部は反対派が求めるものを入れることがある』というのはなるほどと思えた。北朝鮮との取引の約束を日本が守ってないから、拉致問題が進展したときにやり取りしていた向こうの幹部はまずい立場にいる……というのも書いてあったが、この間読んだ新聞には『向こうでやり取りしていた人が体調不良になり連絡が取れなくなった』とあった。それはあれじゃないのか。責任を取らされて、ひっそり抹消されたのかと、よからぬ妄想をしてしまう。
そしてその政治的やり取りをうまく駆使していくためには、切り捨てる部分も出てくるんだろうなと。野中さんのコメントの『切り捨てる』部分がちょっとと思うけど、そういう世界にいたらそうなるよなというのもわかるし、著者である辛さんもそのように書いている。
あと、単純な知識不足であるために『切り捨てたものが見えない』時もあるのかなと読んでいて思った。辛さんの知識が広いのに対して、野中さんは知らなかったというコメントがいくつか入っている。本当に知らないからゆえにその結論に至っただけなのだろうと思わせてくれる。
もちろん、私も本に書いてあることの大半は知らなかったことなのだけど。知らないとは罪だともいうけど、だから人はみな『罪人』なのかなと。だとするなら、罪人に他の罪人を裁く権利はないという事だけは頭の片隅に入れておきたい。
と思いながらも、人間なので『何で知らないの』と思ってしまうことは多々ある。
知識を深めるにはいい本だった。けど、話が固いので読みづらい。
でも反対の意見を持っている人たち同士の話は、『真逆の意見だけど、それはこんな理由からそうなのだ』というのが透けて見えるのが良かった。
野中さんは部落優遇政策を撤廃したり、差別的な制度を作ったのでは?と思える点があったようだけど、話し合いの中でそれについて『それはこうだから』と説明を引き出してくる辛さんがすごいなと思った。
また、これはどうなのか?とついた時、野中さんがはっきりと「それは、知らなかった」と言っているのが印象的だった。知らないから、『今は何とも言えない』という言葉が書いてないけど、ちゃんとわかる。
とにかく、どのような思考からそのような政策を勧めたのかが分かるし、ちゃんと芯のようなものが見える。
何も考えずにそうしているというわけではないというのと、情報が足りなくてそこまで思いが至らないというのが分かってよかったなと思った。意見は対立させるものではなくて、確かめ合うものだなと思えた本。