世代の痛み - 団塊ジュニアから団塊への質問状
– 2017/10/5 上野 千鶴子 (著), 雨宮 処凛 (著)
「世代の痛み 団塊ジュニアから団塊への質問状 著:上野千鶴子 雨宮処凛」を読んでみた。フェミニズムの本。
団塊世代の上野さんと団塊ジュニアの雨宮さんが意見を交わしあう。
私は団塊ジュニアよりも十年ほどずれている世代。親世代も同じく団塊世代より十年ずれている。それでも団塊ジュニアの話には頷ける点があった。
第一章 余はいかにして右翼になりにしけり
雨宮さんが若いころ右翼に入っていた話。まえがき……で、頷いたのにいきなり引き離された感がすごかった。
団塊ジュニアは中学高校生の頃にバブルなのか。物心ついたころにはそんなものははじけ飛んでいた私の世代。私の家は浪人しても大学に入るなんて……そんなこと口が裂けても言えないどころか、『女に学問は要らない』という無言の圧があった。もうこの辺りで、いろいろと違うなぁと。
浪人して東京に出て、そこで右翼はサブカル感覚の中の一つだったというのが、よくわからない。
私が政治的活動に興味がなかったせいで身近ではなかっただけなのかもしれない……政治のせの字もサブカルの中で見かけたことがないどころか、『政治・宗教の話は禁止』というサークルに入っていた。もめごとになりやすい政治宗教は話すこと自体がダメという空気しか感じたことがない。
だったらまだ、オウム真理教などのようなカルト集団のほうが身近にあるなと思う。そこに近づこうとは思わないけど、趣味として参加した場所が実は宗教系というのはいくつかあった。これは東京でも地元でも同じ。
右翼とか左翼とかの政治的団体って、どこにあるの?という感じで、いまいちつかめなかった第一章。
この時代には手軽に存在していたのだろうか。
第二章 政治なんてまっぴら? 自己責任の社会がやってきた
この章の最初は団塊世代の上野さんの左翼団体経験から始まる。学生闘争で大学は学生の管理をしっかりするようになった。で、次の世代は『政治禁止』となった。
文芸系サークルでさえ政治宗教の話が禁止だったのはもしかして、このせいか?と思った。その理由として『政治宗教の話題は、争いになりやすいから』という事だった。
けど、別にこのサークルだけじゃなくて、確か高校でも『政治宗教の話は問題になりやすいからやめておけ』みたいな話を先生から聞いたような気がする。とにかく、あちこちでそんな風なことを聞いた。
本の中では、上野さんが「誰に聞かれるの?」と聞いて、雨宮さんが「学校と親。そんなことを考えたらろくな大人にならないといわれた」とある。
それは、私は言われたことがない。ただ『お互いの主張をぶつけ合って、争いになりやすい話題』と言われただけ。
「他人に迷惑をかけるな」もよく聞いたし、自分でできることがいい事だと思っていた。
いじめられても不登校(当時は登校拒否)にならない話は、それ、私も同じだったなと思った。ただこれは『道から外れてはいけない』ではなくて、休むという意識がそもそも存在しなかった。『学校は(死んでも)行くもの』だった。毎日、用水に飛び込みたいな、ベランダから落ちたいなと思いながら通ったな。
障がい者が戦う話に『自分たちもつらい』と感想を寄せる大学生が多くいたという話を読みながら、『ごんぎつねは自業自得』という感想を書いた子供がいたのを思い出した。ごんぎつねが感動話にならないのも自己責任でみんなが苦しくなっているからなのかもしれない。
ウィークネス・フォビア弱さ嫌悪というものだと書かれていた。
第三章 正社員も非正規層も追いつめられる時代
男女雇用機会均等法は女性を分断しただけだったという話から始まる。猛烈に働く女性と、働いても働いても稼げない女性との分断。
さらに労働者派遣法の規制緩和が進んだ。
私が大人になった時にはすっかり『派遣で仕事を探す』が当たり前の世界だった。むしろ、そっちの方が探しやすかった。ただそれも、35までだという情報もしっかり出ていた。
『先日も女子会で老後の話になり、いかに人を傷つけずに、長期間、刑務所に入れるか、という話題になりました』p90
そんなドラマをこの間見た。『一橋桐子の犯罪日誌』
コメディっぽくしているけど、ある意味ではリアルだなと思うし、誰もがそれを妄想しそうな世の中ではあると思う。
第四章 第三次ベビーブームはなぜ起きなかったのか
戦後はみんなつがって子供を産んだという話から始まる。
戦時中は『産めよ増やせよ』と言っても増えなかったのに、戦争が終わるとみんな産んだと。
で、なぜ団塊ジュニアは産まなかったのかと上野さんが質問する。それに『雇用破壊』が原因の一つとして雨宮さんが挙げている。
私は、これはもっと単純なんじゃないかと思う。
戦時中は男たちがみんな戦争に行っていなかったから、増えようがなかったのだろう。戦争が終わると、男たちが戻ってきて男女が出会うから増える。
という、単なる『性行為の機会の増減』
ここに団塊ジュニアが増えなかったというのは、もう一つの生物的理由。
『危機的状況時に生物は子供を育てようとはしない』
ということなのではないかなと。
これ、本当に野生の生き物ならば環境の変化しか考慮に入れられないけど、もっと言えば『生き物が危機的状況だと思った時には』だと思う。
人間の場合、『経済の停滞・衰退』は『危機的状況だと判断する』には十分な材料なわけで。
不景気が続いている時期に人口が増えたかどうかという統計ってないのかな……。ただ、この『不景気』の概念自体が近代的なものかなとも思うので、影響はわからない。
教育水準が上がると人口が減るのも、教育水準が上がることで『危機的状況の判断材料が増える』からではないのかなと思う。
人間的に言うなら、『社会が要求する子育て水準が上がる』なのかもしれない。
これが団塊ジュニアでも起きているのだろうし、それが『雇用破壊により子育て水準に届かないと判断した人たちが生まない選択をした』のかなと。
上野さんは戦火や難民キャンプでも子供は生まれるというけど、出生率としてみると平常時と比べての変化はどうなのだろう。子どもが生まれることと、出生率が上がってみんなが生むようになるのとはずいぶん違う。レイプされて医療もなくて『産むしかない』状況でも子供は増える。
その後は結婚観の話へと移っている。
社会は変わっても、男は稼ぎ、女は家事育児をするという価値観は変わってないという話。
「メキシコのフェミニストがDVをどれだけ問題にしようとしても、女がそもそも共感してくれないと嘆いていました。なぜかというと、殴ってもくれないなんて、私を愛していないのねという女性が多いと。」p129
所有されることが女の価値になる。と続いているけど、ネット小説読んでると恋愛ものがそれ系っぽいのちらほらある。価値観的には現代日本もたぶん変わらないのでは?と思ってしまう。
第五章 団塊世代は年老いた
団塊世代の親は仕事も結婚も娘に押し付けるという話から始まっている。親のプレッシャーが重いという話が続いている。
「父親の不在は暴力」p150
金さえ家に持ってくればいいだろという父親の話からそうなっているが、これはうちも一緒だった。父親は不在だった。それで歪んでるなとはっきりわかるのは下の妹と弟。弟にとっては『父親像の消失』で、下の妹は『年上の恋人を父親代わり』にしていた。
「(介護問題で困ったら)地域包括支援センターに相談することです」p156
と上野さんが提案したのに対して、雨宮さんは「私たちの世代はそれを知らない」と返してる。うん。私も知らなかった。そんなセンターが存在することは知っているけど、相談するという発想にはつながらない。そこ、高齢者のための相談場所だよね。
最後に娘に介護してもらうのが団塊世代の親の夢とある。うちの親もまさしくそれなので、介護になったら殺す覚悟で挑もうと思っている。介護してあげようともしたいとも思わない。刑務所に入るか一緒に死ぬかの二択。親と一緒に死んであげた方がうちの親は喜びそう。
第六章 フェミニズムはなぜ継承されなかったのか
アグネス論争から始まっている。乳児を収録現場に連れて行ったという話らしい。似たような話を10年ほど前に聞いたような気がする。アグネス論争は1987年なのに40年たっても同じ話題が出ている。
フェミニズムと言えば『田嶋陽子』という話へ。
私はそれをテレビで見た記憶がない。たぶん子供でわかってなかったんだろうな。なので、『そうなんだ』という気分。フェミニズムといえばこれというものは思いつかない。
その後もフェミニズムのあれこれが書いてある。女性雑誌にも載っていたとあるけど……そんな雑誌は見たことがない。と思ったら後から『時代が進むと消えて行って、占いやファッションへと変わった』となっていた。
最後の『女の幸せを知らないからそんなことを言うんだ』というものには、どう対処したらいいかという話題。
『「あんたのほうが女に依存している価値観だ」と言い返せばいいんですね」p210
女に依存しているのは男のほうという話だったけど、もっと簡単に『人の幸せを勝手に決めることができると思っているなんて不幸な人間ですね』で充分では?
第七章 「みんなが弱者」の時代にわたしたちができること
三つの質問が投げかけられる。
一つ目『長く政治に対する冷笑的な態度が続いたのはなぜ』
社会のせいにすると『社会のせいにするな』と言われてきたから。火炎瓶の作り方も知らない。闘い方も知らない。と続く。
政治の話は遠すぎたというのは私も実感している。火炎瓶の作り方は知らなくていい。
二つ目『若者とフェミニズムが共闘できなかったのはなぜ』
男を立てて生きる社会だというメッセージを受け取ってきたから。
学校教育が平等でも社会は違うし、結局男たちは『自分の優位』を手放したくないし、女たちは『諦めて従う』しかなかった。
すごい。よくわかる。私、化粧が嫌いで意地でもしなかったけど、それでも言われた。『した方がいいよ』
おしろいならわかる。紫外線予防に。それ以上は意味が分からないし、なんなら『男受けがいいからスカートは短くした方がいい』とかいうおばさんまでいた。(当時私は20。相手は30代)
諦めるしかない社会が転がってることに変わりはない。
三つ目『団塊ジュニアからどんな政治的求心力が生まれるか』
難しい。
その後、障害者運動やみんなが老いて弱者になる社会をどう変えるかという話になる。
地方政治から変えるのがいいという話で終わっている。
いろいろ盛りだくさんな話で、面白かった。
そして、私が大人になった時の雇用状況は結構最悪な状況だったんだなと。正社員で入った従姉妹や妹は三年以内にクビにされたり、会社がつぶれていたりしたし。未来に希望なんてどこにもない状況が当たり前だった。
だから私も、正社員なんて目指す気になれなかった。
厳密にいえば就職氷河期のラストのはずだけど、見ていた世界が『氷河期』なのでそれ以外を知らない。正社員になってもクビ、サービス残業当たり前。
今もさほど変わらないのかもしれないけど。
普通の世界がどんなものなのか知らないなと思った。
読みやすかったし、共感もできる点が多かった〇