「差別の日本史 著:塩見鮮一郎」を読んでみた。
図書館でたまたま見かけて、黒字に白と赤の文字が目立っていた。で、最初をぺらぺらと見てみるとがっつり日本史だと思って読み始めた。日本史に興味があるわけではないが、差別の歴史のあれこれかなと思って手にした。
質問に答える形式で、差別の歴史が語られる。乞食の話から始まる。
20p 「平等」などという考えがない時代です。
平等という考えのない時代の『身分制度』について書かれている。
私も平等という思想は近代的なものと思っているので、それに異論はない。さらに最下層の人ほど、宗教にすがるというのもごく当たり前の事だと思う。為政者たちの都合のいいように宗教が使われるのも日本だけではなくて、世界的に当たり前というのも知っている。
私が日本史に詳しくはないので、『日本の歴史のあれこれ』だと思って読んでいた。身分制度の変遷のあれこれも『差別』を考えるためのものなのかなと。
半分以上読み進めて近代史に近くなると、途端に【怪しく】なる。
114p 差別が関係性で決まっているとわかったとき、差別事象はすぐにはなくなりませんが、「差別語」は潮を引くように少なくなりました。
これは『26.部落差別はなぜ生まれたのですか』という中で書かれていて、ここにある『差別』とは『部落差別』に置けるものについて書いてあるが、ついこの間のツイッターで2000年代においても部落出身者という事で結婚を断られたという話を見かけた。
私は、部落について調べてみた事もあるのだが、身近にないので掴めない。もしかしたら、Twitterの文面も嘘だった可能性もあるが、本当だった可能性もある。どちらかなのかを判断する事は非常に難しい。とはいえ、たとえそれが『部落』ではなくても母の時代には『家の格が違う』と言われて結婚に反対される事例はあった。つまり、少なくとも母の時代にははっきりとした差別はあったのだ。
それを考えると、部落差別を『関係性で決まっている』というのはなんだか違う気がする。
モヤッとした私の感覚は外れていない。
この後にさらに本の内容は酷くなっていく。
『27.女性は何故差別されるのですか』
115p ものすごく大きな事柄を小さな知識に引き寄せ、全貌も分からないのに、男女の賃金格差や家庭での役割分担などに矮小化して理解しようとしている。「性差別」とか「ジェンダーギャップ」と言ったとたん、もう近代の罠にとらわれていませんか。
あれだけ細かく、日本史について『身分』のあれこれをいっていたのに、女性差別になった途端に歴史が消え去った。なんだ、この解像度は?と思ってしまった。
その後にオスとメスがまぐわらないと繁殖できないじゃないか――という話が繰り返される。吐きたくなりました。ここは、女性がいかに社会から除外された存在であったかを『歴史』からひも解くんじゃないのか。なぜ、ここで生命論や神話が出てくるんだ?
さらによく分からない『女性を保護する目的で、社会から切り離された』という仮定の話が出てくる。いや。だから、それを仮定する証拠はどこにあったのかを出してくれ。それが出来ないなら『歴史』ですらない。そして、そんな仮定はネット上で腐るほど『男女差別なんかない』と叫ぶ男たちが言っている。
この後に『フェミニズム』についても書かれている。
125p これまでの「歴史」の通念に照らせば、「女の歴史」はありません。
それを差別と言わずに何を差別というのだろうか……。それを書け。『女の歴史がない』という事がすでに差別なのだと書けばいいのに、続く言葉は
125P と、いうことは、何千年もの期間、男子女子とも「女の歴史」を必要としなかったともいえます。「男の歴史」を男女で共有していればそれでよかった。つまり、自分が産んだ男の子が成人し、表舞台でスポットライトを浴びれば誇らしい。
私、間違えてた。『差別の歴史』を丁寧に紐解いていく本かと思ったけど、『歴史を見ても差別は存在しなかった。だから、今も存在しない』という人の本なのか。と、意識を変えました。
この後はこの調子で続くのか……と思ったけど、頑張って読み進めた。
さらにフェミニズムについては『女たちが男性と同じように働こうとしたから、パートや非正規で働く女性が増えてさらに分断が進んだ』と言う風になっていた。
北欧ではそうなってるけど、日本の場合そもそも男性の賃金が下がっていて、夫婦共働きでやっと生活できるレベルで、子供がいたら短時間勤務しか出来ないという話じゃないのか。男一人で家庭の稼ぎを賄えないという前提が抜けてる。
もちろんこれも、『格差の立ち位置』によって違うので、裕福層は男一人で家庭が回る。中間以下は男一人ではどうにもならないというものだろうけど、分断が進んでいるのは女性の社会ではなくて、社会構造そのものだと思う。
『28 マイノリティーは差別されるということですか。』
128p そんなことはありません。マイノリティーはマジョリティーと対になって使用される言葉で、日本語にすれば「少数派」と「多数派」です。
頭が吹っ飛びそうになった。何、その理解? 差別に関する本を読んだ? 歴史はあんなに事細かに詳しかったのに、マイノリティーとマジョリティーを少数と多数って言っちゃうの?
マイノリティーは『社会的弱者・社会的に地位の低いもの』という意味。数で言うなら、女性の方が数が多い。でも、女性はマイノリティーに入る。なぜなら『社会的に地位が低い』からなのだけど……なぜ、多数と少数という理解なのか。差別についての知識は一般の人が多少かじった程度という理解なのだろうか。いや。私もかじっただけだけど。
131p 何が差別語かと問われれば、「それを言われた人が不快に思い、その場から去りたいと思う言葉」と定義しています。
『差別語』だけが、問題なわけ?差別に付随するものは言葉だけじゃなくて、態度、視線etc.があるけど。
そして、差別語は「その場から去りたいと思う言葉」ではない。踏みつけられる事に慣れてしまった人間は、それを『不快』だと思う気持ちすら奪われている。……差別の構造から学習してきてくださいと思う。
『29 いじめと差別は関係ありますか。』
131p はい、「いじめ」は差別です。
ある点では間違ってないような気もするけど、根本的に違う気がする。
いじめとは病理を持った加害者による憂さ晴らし……という『加害者側』の問題で、『被害者側』には問題はないと私は思っている。子供の場合は『言葉の選び違い』『行動選択の間違い』なども含まれそうだけど、その場合は大人からの指導が必要なわけで。大人の場合も第三者による、加害者側への指導は必要かもしれない。
さらにここに武勇伝として『苛められっ子と決闘をした話』が書かれている。決着は書いてないが、筆者は『よわっちいから勝てる』と思われて対戦相手に選ばれたらしいと書いてある。さらに周りも『すぐにまける』と思っていたと。
それは筆者もまた、そのクラス内で『差別の対象であった』という事なのだが……そんな事は書いてない。ただ、いじめられっこはそれ以降は虐められなくなったとだけある。何処が武勇伝なのかさっぱり分からない。いじめられっ子の味方をしたわけでもなく、決闘に負けたわけでもなく、相手をボコって決着がつかなかっただけの話。
最初にモヤッとした『差別は関係性』という文面はいたるところにちりばめられている。
なので、この人はこの感覚なのだなと思って読んでいた。でも私は『差別は社会構造の問題』だと思っている。そんな言葉は出てこないのかなと思ったら、出てきた。最悪の形で。
『30 LGBTと差別について教えて下さい』
138p 賤視された人が、同類の中の誰彼を選別して差別し、自分は彼らの同類ではないと主張する。結果、「差別の社会的な構造」をささえてしまうのです。
抜き出してみると、ものすごくまともな事を言ってるような気がする。でも、残念。この文章の前にはこんな言葉がある。
138p (LGBTの分類の項目は増え続けています。その中に)死体愛好や小児性愛のような性的傾向を持つ人も加わりたがりますが、参入を拒否する人もいる様です。
カッコ内は前の文章をざっくりまとめたのです。要はLGBTに死体愛好や小児性愛を入れたらいいじゃないか。入れないなんて差別だと書いてあるの。著者はLGBTで、あなただったら入れたいと思っているのだろうか。死体愛好や小児性愛のお知り合いでもいるのでしょうか? でしたら文句はありませんが、そうではなくて、LGBTではないけど……と続くのなら、黙ってくれとしか思えないし、LGBTへの侮辱です。あなたたち異性愛者の中に死体愛好や小児性愛を入れても問題はないと思いますよ。どうぞ、異性愛を自由に語り合えばいいです。(という、暴言を言いたくなってしまった。)
この後はユダヤ人やジプシーの人など海外の話も出てくるが、なぜ『日本史』と銘打っているのに海外まで手を出したのか。
理由は『西欧的価値観の否定』を入れたかったからだろうと思える文面がチラホラある。『日本史』はすでに捨てているようですね。西欧が嫌いということは分かった。
『36 「地名宗鑑」とはどういうことですか』
この辺りから部落差別者への差別的な感覚を惜しげもなく、書きだしてある。ウィキにこんな事まで書かれた。自分は悪くないのにという私怨も吐き出されている。その私怨を書くためにこの項目を作ったのだろうか。これ以降の項目も私怨が差し込まれている。『日本史』は消え去った。
『40 人が生きている以上、差別はなくならないのですか』
175p そんなことはありません。預言者ではないので百年さきとか二百年さきとか、年月は決めかねますが、でも、ある日、うたかたのように消え去るでしょう。
魂が抜けた。いや。そんなバカな。何言ってんだこの人?
さらにその理由が続く
175p 「差別」というのは、近年だけに通用する「便利な道具」なのです。
ん? 差別は道具って……なんだそれ???
つまり、差別差別ってうるさく言いやがって、女子供も不具者も黙って男に従え。というやつなのか。いや。分かっていたけど、こんな歴史でも何でもない場所に辿り着くとは思わなかった。
差別は消えない。
私たちは常に新しい価値観と、新しい視点を取り入れて『誰かを踏まないように』言葉と態度を選ばなければいけない。
それは同時に『自分が踏まれない事』でもあるから。
それでも、間違ってしまう事はある。その間違えさえも『許せる』寛容さは必要。
とはいえ、こんなゴリゴリの差別を平然とされて『自分はいい人』という態度+本気で自分は差別をしない人だと信じているので『相手を踏む言葉を発していても気が付いていない』のは読んでいてキツイ。
歴史だけ書いてあったら、黙って読めたのに。
『地動説が信じられるようになったのではない。天動説を信じた世代が死に絶えて、新しい地動説を信じる世代になったから地動説へと変わったのだ』
という……価値観の変換はつまり、世代交代しかないというのを目のあたりにしている気分になる。
この本の言いたい事
+ 過去には『身分制度』という差別があったが、当時は社会を律するために必要で差別という観念はなかった。
+ 現代に身分制度は存在せず、差別という西欧からの観念は不必要である。
+ 差別とは『関係性』のものである。相手が不快に思わなければ差別語であろうと、発していい。
個人的な感想
+ 日本史を知りたい人には有効かもしれない。
+ 差別の日本史ではなくて、『日本の身分制度』とタイトルを変えてほしい。(そして、後半はざっくり削って)
そう言えば部落差別者の地名を書きだそうとした本を出そうとして、猛反対されたという事件はどこかで見かけた気がする。この人か……この著者だったのか。
思った本と違ったけど、『歴史』の部分だけを読めばたぶん間違ってもいないと思うので、差別についての私見を覗いて読めばお勉強になる部分もあった。