「1984年 作:ジョージ・オーウェル 訳:新庄哲夫」を読んでみた。
この本を手にした理由はディストピア小説だという話を見かけたから。特に『表現の自由が守られないとこの本のような世界になる』という興味深い意見を見かけたので、読んでみた。
物語は管理社会で、言葉が消されていくという世界観だった。物語は『管理されたものだけが人々の手に入る』という徹底ぶり。面白そうな要素ではあったけど、これらの設定が現実を基にしたものに寄りすぎていて、正直、面白くない。
そして、下層の人間にはそこまで監視は強くない。貧しくはあるが監視はほぼない。金のある中間層は監視が強いが、さらに上層になると『監視を解く』という特権まで与えられている。
……まるで、都会と田舎の話みたいだと思ってしまった。監視カメラがあちこちにある都会と、人の目すら危うく誰も見てない可能性が高い田舎。仕事がそれなりにある都会と、仕事を探すハードルが高くなり、給料も安い田舎。
表現の自由よりも、監視カメラの普及で『監視社会』の方が現代日本にぴたりとあてはまりそうだなと思ってしまった。
そして、表現規制はあるが『下層女性たちには性を売りにすることが推奨されるような節すらある』らしい……。性表現は規制されるが、性風俗は解放中。この本を『表現規制されたらこうなる』と言った人はこういう部分もそうなると思ってるのだろうか。
さて話を戻して、物語のあらすじ。
主人公のウィンストンが党(政治)に対して不信感や憎悪を持ち、反勢力に入り込んだと思ったら、それが党のわなで処刑される。
一文で終わってしまった。終わってしまったけど、ざっくりと書けば、そういう話だった。
気になった部分。
『党は暗黙のうちに売春を推奨するような傾向さえうかがえたし、それは完全に抑圧できない本能のはけ口とみなしていた。単なる放蕩も陰蜜裏に、そして楽しみを伴わない限り、また極貧で軽蔑された階級の女を相手にする限りにおいてはさして問題にならなかった。』69p
下層の女性が身を売るのはよくて、中層上層の女性たちには潔癖さを求めてる。子どもは人工授精で生まれて公共施設で養育される。という話に続くけど、主人公は男性なのでわかってないが、かなりの女性蔑視世界。
この後でジュ―リアという女性が『誰とでも寝る』として出てきて、主人公に好きだと告白し、主人公も汚れた女に魅力を感じて恋人同士になる。……男の妄想に吐きそう。
『驚いたことに、ポルノ課の職員は課長を除いて全員が女性であった。その理由はといえば、女性に比べて性本能を抑制しにくい男性は、彼らの取り扱うみだらな仕事のために堕落する危険性が大いにあったからだ。』122p
表現を規制した方がいい理由がここに書いてある気がしてしまった。男性にそんなに害をもたらす表現は『適切に処理』した方がいいと思うんだよな。
男性に害をもたらすのに、課長は男性……つまり、管理者には女性を置かない女性差別世界。
『「”偉大な兄弟”は実在するのですか」
「もちろん、実在するとも。党も実在する。”偉大なる兄弟”は党の化身だ」
「彼はわたしと同じように実在しているのですか」
「君は実在しないのだよ」』242p
禅問答にこういうのあったような……と思ってしまった。でもこれは主人公が思想犯罪で捕まった後に、党員に問う場面で、兄弟は実在するのかという質問に党員が実在すると答えてる。最後の『君は実在しない』は主人公に対して行っている言葉。つまり『死ぬ』ってことなんだよな。
死ぬまでの拷問がずっとこんな感じの現実とは何かという話で疲れてしまったけど、物語の核部分はこの辺りの話なのかなと思った。
『1984年』は男性から見た監視社会。小説を読むなら、それとは逆で女性から見た監視社会の『侍女の物語』もお勧めしたい。こちらは『文字』そのものを女性から取り上げていく。ありとあらゆるものを女性から奪い去り管理していく社会が描かれている。……ただ、侍女の物語は時系列がバラバラで読みづらいんだよな。
表現の自由が奪われるというよりも、人の存在が奪われるお話だと思う。
ごちそうさまでした。
『1984年』
