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「侍女の物語」を読んで

2024/03/08

侍女の物語 単行本 – 1990/3/1 マーガレット アトウッド (著),
Margaret Atwood (著), 斎藤 英治 (翻訳)

侍女の物語 (ハヤカワepi文庫 ア 1-1)

図書館で借りた「侍女の物語 著:マーガレット・アトウッド 訳:斎藤英治」を読んでみた。
二段組とは思わなかったので、ページ数だけで読める……と思ってしまったのを後悔。二段組の本は文字数が多くなって読むペースが落ちたように感じる。

さらに内容は難解で、読んでも読んでも読んでる気分にならない。

なぜだ……と思ったけど、『かがみの孤城』が読みやすくてそれと比べてしまうせいかもしれない。

難解とはいえ、『異邦人』のような哲学的な難解さではない。
物語が過去と現在を行き来して語られるので、時間の位置の把握。独特の世界観の把握で、思考が持っていかれる。
時間が行き来していても『そうだと分かる』のならば、まだ読みやすいけど、この物語はなんだかよく分からないけど唐突に過去に引き戻されている。そして、いつの間にか戻ってきている。
境目がはっきりしてないので、過去だと思って読み続けていると現在になっていたり、現在だと思って読んでいると過去になったりする。

さらに世界観は一つ一つ説明されるわけではない。
何だかわからない『侍女』という役割の人物。『妻』に『女中』『小母』そして、得体のしれない『コロニー』
私は『100分deフェミニズム』を見て、この本を読もうと思ったのである程度は知識得てから読んだが、分からない部分が多かった。

これを知識なく読もうとしたときには、さらに労力がかかるんだろうな……と思う。
フェミニズムを知るためにもお勧めですと気軽には言えない。『82年生まれキム・ジヨン』の方がまだ分かりやすいし、身近でもある。



物語は『この世界には老女はいない』という事になっている。おそらく『小母』たちは老女だろうけど、彼女たちは教師のような立場の人間という設定で少数だろうと思う。

『女中』は館やそれなりの地位の人の身の回りや家事などを担っている……らしい。この部類にも老婆と言われるような年齢層が居そうではあるが、彼女たちは『買い物をしに街に出る』事はない。また、身体を壊せばすぐにコロニーに送られる立場である。

買い物は『侍女』の役割になっている。
では『侍女』は何かと言えば、『地位の高い人間の為に子供を産む女』であり、他の女たちから好かれる立場ではない。公的な妾のようなもの。

『妻』はそのまま妻という意味。『娘』もまた同じく。

『コロニー』とは、食事も与えられるか分からない劣悪環境で、長く生きる事はない場所。


物語は『侍女の物語』の名の通り、『侍女』が主人公。
侍女の『オブフレッド(フレッドのもの)』の視点で物語が語られる。


ざっくりあらすじ……と思ったが、本の物語通りはなくて時系列で書いてみる。

主人公はある日唐突に、クレジットカードが使えなくなり、会社からクビを宣告される。友人のモイラから社会が変わりつつあり、『女だけ』が資産を凍結され女の資産が身近な男に行くことを知る。主人公の場合は夫のルークへと移る。このことに主人公は憤りを感じるがルークは大したことがないように感じている。
主人公たちは国を出る事を計画するが、それに失敗して捕まる。
夫は草むらで別れたまま行方が分からず、娘とは引き離されて、主人公は『赤いセンター』へと送られる。
モイラとそこで再び出会う。モイラは二度めの脱走でそこから抜け出す。

『赤いセンター』での教育が終わり、侍女として派遣される。三つ目で司令官の家に派遣され『オブフレッド』という名が与えられ、そこでの生活が始まる。
毎日、散歩に行きパートナーの『オブグレン』と買い物をする。買い物は『交換できる品物が描かれたトークン』と引き換えで行われる。
看板も絵で描かれていて、女たちは文字を読む事を禁止されている。
月に一度医者に連れていかれ検査を受ける事になっている。医者は『(自分と子供を作って)ここから抜け出させてやる』と誘う。オブフレッドは、それを断る。
儀式と言われる司令官との性行為には、妻も参加する。出産もその地域の侍女たちが集まり、声をかけ、立ち会う。生まれた子供はその家の妻の手に渡される。

司令官に呼び出しを受け、妻には内緒で会う事になる。主人公と司令官は内緒で会ってゲームをする。散歩のパートナーである『オブグレン』とも本物の信者ではない会話をするようになる。
妻から他の男との間に子供を作る事を勧められる。侍女は三度目までに子供が出来なければセンター行きで、オブフレッドには後がなかった。主人公は男の使用人のニックを指名して、これを受ける。
司令官が夜に主人公を家の外に連れ出す。そこは『悪女たちの店』と呼ばれる場所で、そこでモイラに再び会う。そこは、海外向けの娼館のような場所で、外では禁止されている酒もたばこも女たちには許されていた。モイラにはそれ以降会っていない。

救済の儀で、オブグレンが仲間を救うために目立つ行動をして、迎えが来たために首をくくる。主人公は自分も迎えが来るのではと怯えるが、その前に妻に司令官との夜の外出がバレて叱責される。やがて迎えが来て、ニックが『これは自分(反逆者)たちの仲間だ』と説明をし、主人公はその車に連れていかれる。

最後にこれが『録音テープ』であることが書かれている。オブフレッドの時間より未来設定で『この時代に何があったのか研究するシンポジウムの議事録』という形でそれは示されている。ここで、名前がないのは『身分を明かして捕まる危険を避けるため』という事が分かる。

物語の流れはこんな感じ。

訳者あとがきから読んだので、これが『受け身』の物語であることは分かっていた。そうでなければ、動かない主人公にイライラしていたかもしれない。主人公が動いたのは司令官に『ハンドローション』をねだる事ぐらい。
主人公は一切動かないが、物語は動いていく。そして、世界が変わっていく様子が書かれているが、主人公は不満を持ちつつも、それを受け入れていく。


上記は時系列で書いたが、『オブフレッド』の時間より前は、時間軸など無視して回想と言う形で書かれている。これが、読みづらい。それが『今より前の事』という事は分かるが、『赤いセンター』での出来事が書かれていたと思ったら、『家族といた時の事』が書かれていたり、『子供時代の事』が出てきたり……と時間軸がめちゃくちゃなのだ。

その断片を脳内で繋ぎ合わせ、『社会の変容』と『物語の時系列』を組み立てて読む……。読者にかなりの負荷がかかる物語。
翻訳も『トークン』は配給券に書き換え可能のような気がするが、英語のままである。他の訳もカタカナにしてあるものはあるが、音を重視してるせいなのか『日本語英語』ではないので一瞬意味を受け取り損ねるものがいくつかあった。
他にも『壁の落書きの文字』と言うものが出てくるが、これが英文(?)のままで、正直、一切読めない。意味も掴めない。この辺りは注釈ぐらい欲しいと思ってしまった。
後から、司令官が説明するシーンがあるけど、これが『ジョークですよ』と書かれているジョークの雰囲気がつかめない。どんな背景でこの文面が『ジョーク』なのかという説明がないので、主人公と同じくポカーンとしてしまう。おそらく文化的背景が分からなければ、分からないものなのだろうけど、なぜその言葉が性的なモノになるのかが分からない。


物語の雰囲気は掴めるけれど、なんというか……細部がつかめない。
ただでさえ、読者置き去りの物語の構造なのに、さらに言語の壁を感じる。

他にも『事実だ』と思って読み進めると『こうだったらいいのに』という願望にすり替わっていたりする。

ただ、それら全てが『書く事』『読む事』『飾る事』などのやるべきこと、できる事がないゆえに『頭で妄想する時間しかなかった』という事なのかもしれない。そう思うとこの『妄想』や『回顧』すらこの社会の侍女の扱いの酷さを物語る一部になる。

細部は外して説明をしたけど、女性たちは『仲良くなったり』『会話をしたり』することも基本的に禁じられている。禁じられても、そんなものが守れるわけがないので、徐々に交流したり内緒で会話をしたりしている。
トイレに行く時間を合わせてトイレで話すというシーンもある。刑務所のような日常なのに、主人公は『コロニー(と言う名の収容所)』に行くよりはマシだと考える。
でも、これ、あるあるなのだろうなと。徐々に物事が変わっていくと『そういうものなのかな』という正常バイアスが働くし、『逆らえば死が待っている』と思えば逆らう事もしなくなる。
壁に吊るされる死体が『死』を身近にさせ、主人公の受け身に説得力を持たせる。

『救済の儀』は公開処刑。これが性別で分けてあるのは、『同じ性別』という事でより身近に感じさせるためではないかと思う。この救済の儀でオブグレンの仲間が侍女の一人をレイプしたという事で引き出されて、侍女たちの手で暴力を与えるシーンがある。オブグレンは真っ先に飛び込んで、彼を気絶させたことで『仲間』であることがバレる。
しかし、そのほかの侍女たちは殺気だって彼に暴力を加える。暴力を与えなければ、信者ではないとみなされて自分たちが処刑される身になるという恐怖もあるかもしれないが、これは娯楽のない彼女たちにとって娯楽にもなっているのだと思う。
暴力は甘美な娯楽になり得る。という事が、ここで描かれているのもゾッとする。

だが、従順であればそれでいいのかと言えば、侍女たちにもタイムリミットがあって『派遣先三人目までに子供が出来ないとコロニー行き』
派遣期間が分からないが、一年ぐらいだろうか。つまり、侍女の寿命は三年。派遣期間が二年としても六年が侍女のタイムリミットで、その間に子供が出来ればそれなりの生活が約束されている。ただし、派遣先の司令官や高官は『高齢の男性』が多いらしいので子供ができる確率はそれほど高くはない。つまり、侍女もそれほどいい身分ではない。

ゾッとするが、その『ゾッとする』の中にはひたひたと現実にもある一部が反映されてるから。侍女はいないが、『子供を産む重圧』がない社会になっているとはいいがたい。
『若年女性の地方流出』がニュースになるような社会に私はいるのだから。

行動の制限、学習の制限、交流の制限。女性たちの置かれている状況が『ここまで酷くないけど』の言葉を置いて、この物語が描かれている気がする。
オブフレッドではないが『今(現実)はまだ(物語より)マシだけど』と思いながら読んでしまう時点で本当に『マシ』なのだろうか……と考えてしまう。



読んでよかった。

『侍女の物語』