何のために生まれてきたの? 希望のありか (100年インタビュー) 単行本
– 2013/2/5 やなせ たかし (著)
「何のために生まれてきたの? 著:やなせたかし」を読んでみた。
10つの章に分かれていた。どれもよみやすくサクサクと進んだ。
難しい言葉はないけど、ときどき躓いてしまう。
「病院へ行ったら、きれいなナースさんはいるかなぁ……とまず探して、」9p
この部分でさっそく躓いた。昭和の人だなぁと。
7 人生は「運・鈍・根」
『この世界は、「運・鈍・根」なんです。ですから「運」がよくなくちゃいけない。 そしてあんまり器用に、何でも簡単にできるっていうんじゃなく、いくらか「鈍」であって。 それからあと大事なのは、「根」。つまり、根気よくやらなくちゃいけない。それがあれば、どんな人でも、ある程度のところまでいけるんです。』77p
こういうのは「運を掴めた」人の言い分で、大半の人が「運」を掴めずに消えて行くものだと思う。この後に、電車の座席に例えて「いつか座れる」となってたけど、実際には「椅子取りゲーム」に近くて、「座る事なく退場」がほとんど。ただ、大器晩成という言葉があるように、長く続けていたら運よく椅子に座れたパターンもあるだろうけど……。
10 九十三歳が見つめる希望
『いまの時代は、あまりにもいろんなものに恵まれすぎている。(略)だからどうなったかというと、まず、離婚がすごく多くなった。せっかく結婚したのに「合わないから別れよう」と、すぐに別れちゃうんだね。つまり、わがままになってしまったんですね。
それで子供たちは、(略)撃たれ弱くなってしまったというか。
世の中は確かに、文化的にも発展してきたけど、ある意味、我慢ができない人間がでてきたわけですね。駅で知らない人を刺したり、ただぶつかったというだけで腹を立ててみたり。そんな大人、むかしはいなかった。』109-110p
この辺りはたぶん、どの時代も言われてきたことを言ってるだけにしか見えなかった。老人たちは『自分たちの時代はよかった。むかしはそんな人はいなかった』というけど、それは『そんな人がいなかった』世界に居ただけで、その時代にはそういう人たちもいたと思う。どの時代にも少しの事で怒り狂う人間はいる。ただ、人間の数が増えたから遭遇率が増えただけ。さらに情報も加速してしまったから、そんな人間の情報が伝わりやすくもなった。
あとは、やなせさんは『おぼっちゃん』な世界の人だと思うから、そう思うのかなとも思う。
でも最後は
『自分のやっていることが世間にどういう影響を与えるか、ということを考えれば、やるべきことは自ずと決まっていくと思う。』111p
と続く……。そうだよねと思う私と、そうなのだけど……と思う私がわいてくる。
言ってることは間違ってない。でも、そのまえに『何かのために生きなきゃいけない』という強迫観念で疲れてる人たちが大量にいる気がする。
『何のために生まれて、なにをして生きるのか』
やなせさんはこれをずっと考えてきてやっと転職に出会えたと最後に書いてたけど、今の世界に必要なのは『何のためでもなく、何をしなくてもいい。そこにいるあなたの存在がこの世界に必要だからそこにある』という絶対的な安心感な気がする。で、それを与えられるのは『神様』と言われるような概念だと思う。いや、神様じゃなくてもいい。ご先祖さまでもいい。精霊でも天使でも妖怪でも阿弥陀如来でもアンパンマンでも……何でもいいんだけど、この本のタイトルの『何のために生まれてきたの?』の問いは、今の世界にはただの負担や重しや絶望になるような気もする。
この本は『アンパンマンを書いた人の本』だから、希望になる。
でも、アンパンの消えた世界では『何のために生まれてきたの?』の問いは重しでしかない。
私も幼少期にアンパンマンに出会ったけど、感想は「変な絵」だった。4歳の私の感想がこれだった。アニメも放送されてたけど、初期のアニメは絵が少し違っていたし、保育園で出会った絵が頭から離れなかったので、何であれがこれになるんだろう?同名別キャラ?と思ってた。
歌も耳にする度、「私に生まれてきた意味はないんだろうな」と思ってたし、「わからないまま死ぬんだろうな」と思ってた。
我ながら可愛くない子どもだと思う。でも、そんなひねくれた子供だったので、この本もすんなりとは入ってこない。
アンパンマンが好きな人、ごめんなさい。
良いことが書いてあるのはわかる。けれど……どうしようもない絶望の中にいる人間には届かない。
この言葉がちゃんと届く人はそのまま受け取っていていいと思う。その方が幸せだし、希望が増えるのだろうから。
とても素敵な本というのはわかるけど、歌もアンパンマンも幼少期からあるものだから、素直には読めない。私にアンパンマンはいなかったから。
ごちそうさまでした。