シドニーの虹に誘われて 単行本 – 2024/10/25 李 琴峰 (著)
「シドニーの虹に誘われて 著:李琴峰」を読んでみた。
トランス女性は女性だと思う人たちは読んで……という本。
この本が出た時は、カミングアウトはしてないんだっけ?と考えたけど。カミングアウトの時期が24年11月だった。出版時期が10月なので、カミングアウト前の本なのね。
内容はレインボープライド(LGBTの権利を訴える運動)の祭典の場シドニーに行ったという話……と歌舞伎町を取材した話。
シドニーの風景描写だけを中心に読むようにした。読んでるだけでカラフルで楽しそう。
歌舞伎町はオマケっぽい感じで、あまり目新しいとは思わなかった。夜の世界を少しだけ垣間見ることが出来る。
気になった点。
「はっきり言って、それまでトランスの人たちの存在と生活にまったく興味も関心もなかったくせに、(略)「性自認至上主義がヤバい」と言い出した人は、大抵この流れで扇動された人たちである、」34p
長年興味があったから、ちらほら情報だけ入れてたよ。一応、私は女性が恋愛対象なんだろうなーと思ってたからそういうサイトも見てた。でも、だからこそ、トランス女性(男性)はダメだというのは最近の話じゃなくて、私がビアン系サイトを見てた時(二十年近く前)も『トランスお断り』の言葉はあった。サイト自体がそうだったことはないけど、個人間の募集ではそういうのが当たり前だった。自衛として当然だったんだけどな。いつの間にか『トランス女性も女性だから入れろ』って言ってくるの狂気だと思う。
ビアンイベントに参加するトランス女性が問題になったこともあったのに、そういう話は書いてない。LとTのがぶつかる事件は一切書かずに、トランス女性は差別されてるって続くの苦痛。
『日本にも「ホモ狩り」があった。』66p
軽く検索したら出てくるのは一件だけみたい。ホモ狩りの事件なんて記憶にないので、私の記憶している『ホームレス狩り』を調べてみた。たくさん出てきた。こっちの方が知ってる人が多そうだし、私も記憶にある。
私の興味はホームレス狩りの事件の方なんだ。一件だけのホモ狩りは、可哀そうだけど続いてないなら『殺すほどの殺意を持って近づく人間』は多くないことの証のようにも見える。少なくとも何度も繰り返されているホームレスたちの方が危険な差別にあっている。
『黒人やほかの人種的マイノリティの子どもが学校など外の世界で差別を受けても、家に帰ればそこには居場所があり、愛してくれる親がいる。しかし性的マイノリティの子どもにとって、親は往々にして最初の敵対者であり、否定者なのだ。』81p
安易に比較するのやめろ。黒人や人種的マイノリティの人たちの差別を勉強してから出直してきてほしい。ついでにいうなら、マイノリティは往々にして『貧困』とも結びつきやすい。貧困は余裕を奪うし、子供を売り買いの商品にするしかないこともある。『学校などの外の世界』に触れることが出来ない子どもたちもいる。
なぜ、『黒人も人種的マイノリティも』自分と同じく学校に通い、彼らは親に愛されているはずだと思い込めるのか。一万歩ゆずって、そうだとして『虐待する親』が存在しないとでも思ってるのだろうか。
性的マイノリティではなくても、『親が子供を拒絶する』ことなんて腐るほどある。性的マイノリティが他のマイノリティよりも悲劇的であるという間違った認識やめろ。
どうしてもいいたいなら比較せずに『性的マイノリティは親に否定されることがある』とだけ書け……と思った。
『――すげぇな、「全身と全行動をペニスにかえる」とは!ペニスにまったく興味がない私にとっては到底持ちえないような発想だが、』82p
すげぇな。ペニスに危険を感じないで生きることが出来る特権階級の人間たちは。と思った。女の身の安全なんて保障されてない世界に生きてる自覚があるから、ペニスを気にしないで生きていけるの羨ましい。男性と一定の距離をとるのは、信用してないとか、男が嫌いだとかそんな理由じゃなくて、『危険(何かあった時に自分の身を守れない)だからなるべく距離をとりたい』んだけど……この人徹底して、『男性が好きではない』『女が好き』だから男性に近づきたくないっていう姿勢なの、すごいなと思う。ほとんどが性暴力を性暴力だと認識しない男たちで、性暴力を明確に認識している男は希少なんだけど。この人の世界はそうではないらしい。
『子ども時代に学校で孤立するというのは、多くのLGBTに共通する経験と言える。』102p
……。子ども時代にすでに自分は同性愛者だとわかってる人はどれだけいるんですか?どうやってわかるんですか?……というのは置いておくとしても。
さすがにこれはないだろ。子ども時代に孤立するのは、『子どもの世界に上手く合わせられなかった子供』でしかない。LGBTでも合わせられる子供たちは孤立しない。LGBTでなくても合わせられない(発達障害や貧困、転校生etc)で孤立することはある。
何でもかんでもLGBTに関連付けるのやめた方がいいよと思ってしまう。
トランス女性やゲイが殺されてるとも書いてあったけど……。すごい。女は殺されてることになってない。性風俗に従事するトランス女性が殺されてるらしいけど、その前に性風俗に従事する女性たちが今まで殺されてきたよね。切り裂きジャック事件なんか有名だけど。最初は性風俗に関係している女たちだからって捜査もされてなかった。女性が殺されても問題なしで『トランス女性』が殺されることは問題になるの?
少し……いや。かなりイライラさせられた。
まずは比較するのやめてほしい。比較せずに『トランスジェンダーの事(もしくは、自分のこと。自分の周囲の事)』だけを書くなら、まだ読めるかも。あと、ヘイターヘイターうるさい。デマを『デマ』というのは、何の意味もない。『こういうデータが出ているからこれは事実ではない』が正しい。でもこれも『都合がいいデータだけを取り出して提示する』ことがあるから、複数の情報源が必要になるんだよな。
トランス女性は女性だと思う人たちは、この本は読んでみると頷けると思います。
私は貧困や虐待防止の話題が興味のど真ん中なので、頷けない。それは、『女たちへの差別』が先にあって、『トランス女性が女性として扱われたから殺されてるだけだ』という理解しか私はしてない。もちろん、どっちもダメに決まってる。『トランス女性が殺されてることが問題(女性が死んでる事なんて知らない)』という人たちとは意見が合わないと思っている。
さて、終わった。これ以上李琴峰の本を読む予定はない。と書きながら、10年後にすっかり忘れて手に取る可能性はある。嫌いな作品なんて覚えたくないから、忘れる。