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「透明な膜を隔てながら」を読んで

2025/12/02

透明な膜を隔てながら 単行本 – 2022/8/17 李 琴峰 (著)
透明な膜を隔てながら

「透明な膜を隔てながら 著:李琴峰」を読んでみた。

エッセイ集。作者の考え方がわかると作品の意味も変わって来るんだなと思った。読めてよかった。

タイトルの元になった『透明な膜を隔てながら』というエッセイが最初だった。
『言語の壁』ではなくて、それは膜のようなものだというエッセイ。目に見える壁ではなくて、見えないけどそこにある『膜』のような差異。
なるほどなと思うけれど、それは言語だけではなくて、あらゆるものに言えると続く……。そしてこの本はそういう『膜』のあれこれが言葉やエピソード、設定などを変えて繰り返し語られてるような気がする。

目次ごとに見ていく。

『第一章 声 言語を行き来して』
言語というか、『日本語を学ぼうとした理由』みたいなテーマが多め。その中で、日本語を学んだことに理由はなく、ある日突然そう思った……とあるけれど、その後のエッセイには、流行した日本のアニメや漫画などが沢山出てくる。それだけ知ってるなら、『オタクだから日本語を知りたくなった』で充分な気がするけど、エッセイの中では『自分がオタクと言っていいのかわからない』となっていた。……上を見過ぎて、『自分なんて大したことない』というやつかなと思ってしまった。私はそれらを『タイトルを知ってる』程度で中身までは知らないので、十分オタクに見えてしまう。

その後にとある音楽ユニットにも興味を持つようになって、いわゆる『中二病』と言われる時期に嗜むような「伝承」「騙る」「麗しい」などを覚えたとある。
『見慣れぬ言葉に惹かれる』時期はあるので、普通の成長だと思う。そして、見慣れないのはその言葉が少し古いか固いので一般的には使わないことが多いから……使わないことが多いだけで、使われていないわけではない。
そして、中二病は正常な発達段階なので、恥でもなければ、黒歴史でもない……ただ、成長段階を過ぎると『あれはやりすぎだったな』と思う人もいるだけ。バカにする文面で使われることが多い『中二病』は『正常な発達段階なだけです』と返すだけでいいと思う。
中二病じゃなくても『バカなことをするとき』は人生にはいくつもある。バカなことをして少しずつ賢くなる。そういう成長なだけ。

『第二章 生 この世に生まれて』
生と死の話と思って読み進めたら、台湾の高校には「軍事訓練」があるという話になっていた。国のために人を殺せるかという話まで出てきて、最後はウクライナ侵攻への非難で終わっていた。
軍事訓練……現役の軍人が学校にいるって想像もつかない。さらに言えば、男女でやることが違うのも信じられない。銃の扱いと応急処置についての知識は男女問わず持っていていいのでは?銃器は重いから女性には不向きということなのだろうか。(いや。その前に未成年に軍事訓練させるのはどうかと思うけど)
でも、軍事訓練ではないけど、日本の運動会の行進もあれは軍隊のやつだよねっていう指摘は時々ある。軍事訓練はないけど、軍由来のあれこれは今も名残がある日本。

『第三章 性 存在の耐えられない重さ』
恋愛の話。トランスジェンダーの話が入ってたので、そういう流れなのかなと思ったら、恋愛の話だった。
同性を恋愛対象にしているから出会いがないと書いてあるのには驚く。それは同性を恋愛対象にしてるのではなくて、『同性で同性愛者の人』を恋愛対象にしてるだけでは?と思ってしまったけど、それが普通(大半の人の感覚)なんだよなと思い直した。……私の感覚が大半の人とは相容れないだけだった。
アプリで探したら「メガネの人は嫌だ」と言われたとあったけど、それは中々に新鮮な断り方だなとも思う。私が聞いたのは『声が低い』『男性的特徴がある』『女の子らしくない(オシャレではない)』みたいな理由が多かったので、メガネがアウトってあるんだな……と思った。でも、よく考えたらこの人『フェミ(女の子っぽい)』で探したからそうなるのかも。ビアンの世界も『フェミ』と『ボイ(男の子っぽい)』で意見が全く違うんだよな。
(もしかしたら、今はそう言わないのかも。こういう言葉もコロコロ変わるから、今は男の子っぽい、女の子っぽいを別の言葉で言ってる可能性もある。)
ビアンの世界も一枚岩じゃないから、立ち位置が少し変わるとみえる世界が変わる。私が見てない世界もたくさんある。というか、もう離れてるから、現状は知らない。

『必ずしも実状にそぐわない偏見や固定観念を作品世界で再生産しないというのが、倫理的な最低ラインだと思う。』126p
なるほど、この感覚があるから、違和感ある女性キャラが沢山出てきたんだなとわかった。固定観念に存在しないキャラが沢山出てきて、それがどのような背景から出てきたものなのかを考えつつ読む負荷に疲れたけど……。『それまでの固定観念を再生産しないキャラ』として読めば、説明がつくので次からはそうする。

『第四章 省 旅と歴史と省察と』
旅のエッセイを集めてある。
その中に日本が台湾を侵略していた時代の話が出てくる。日本兵は赤ん坊を銃剣で殺していたという話を教師がしたという話。著者は誰かから聞いた話をしているだけと書いていた。誰かから聞いた話でも構わない。『そういう歴史があった』と伝えることには意味があると思う。それを使って国民を上手く操ろうとしている……という上層部の思惑があるにしても、『被害の歴史』を消すよりは伝えていく方がマシだ。ただ、こういう歴史の話は『加害者側は被害を矮小化』して、『被害者側は被害を拡大化』して話してしまう可能性があるから、何が本当かがわからなくなるのがネック。

そして、台湾は元々そんなに日本が好きでもないという情報は、そうだろうねと思う。いくつか本を読むだけでも、日本はかなり酷いことをしてるから。戦争の被害者面してるけど、加害者になってた面も多々ある。

そして、与那国島の歴史も少し書いてあった。なるほど、これがベースにあって『彼岸花の咲く島』になってるのかと思った。琉球とも別の国というか、地域だったのか……。島だし、海を越えるだけで命がけの時代ならそうなるんだなと思った。海越えが容易になって侵略されてしまったと。

『第五章 星 芥川賞受賞記念エッセイ』
芥川賞に関するエッセイ……どこかで見たようなと思ったけど、『言霊の幸う国』が芥川賞を取る作家の話だったのでそこで出てきた文章だと思い出した。あの部分はやっぱり創作ではなくて実体験なのねというものがわかった。

『第六章 静 読書と映画』
書籍のいくつかは聞いたことあるようなものもある。まだ読んでない。読んでみようかなと思った。女性同士の恋愛小説に関するアレコレも書いてあったけど、『女性同士の恋愛』だと強調したいのか?と思って読み進めたら、「わざわざ言いたくない。言わなくてもそういうものとして受け止められるようになってほしい」という流れだったと受け取ったけど、正直自信がない。似たような事を『言霊の~』にも書いてあったけど、言いたいことが正直、よくわからない。どっちだったんだろう。私の読み取りで合ってるのだろうか?


その他ちょっと気になった部分。

『思えば、私は「真ん中」にいたくて「真ん中」に来たわけではない。第一言語も、国籍も、出生地も、性別も、性的指向も、すべて自分が決めた事ではなく、最初から私という存在に刻印されていた記号と性質で、つまり外部から押しつけられたものだ。』30p
この辺り、何かで見かけたなと思ったらツイッターで話題になってた部分か。この部分が『トランスジェンダー女性』と読み取れるように書いていると。ばらした後だから、そう読めるのかなと思うけど、正直ここからトランスだと読み取れるのは……かなり情報収集してる人たちだと思う。私もたぶんこの表現なら『トランスか?』と思うけど、確証までは持てない。

第三章で、女王様に鞭打たれた話が載ってた。
そこには『お尻の腫れが二日後には内出血の紫の痕に変わり、どちらも一週間後には綺麗さっぱりきえているであることを、私は知っている。』122p
これ、若いから消えているように見えるだけで、傷の頻度にもよるけどダメージは皮膚の内部に残ってる。歳をとると『シミ』として浮き上がってくるよ。十分にケアしないと、歳とってからお尻と背中がシミまみれになるのでは?と思う。若い時の話だけを見て、『傷は消えるんだ』と思うのは危険だし、40代を越えた後のエッセイで『あの時の傷が浮かび上がってきて感激した』というエッセイが読めるのかなと頭をかすめた。病院に行ってちゃんとケアしてるなら別だろうから、どうなのかわかんないけど。

あと、有名になってアンチからの誹謗中傷も増えたとあるけど……こういうの悲しいなと思う。私もこの人から見たらこんな感想を書いてるしアンチなのだろうけど、アンチ以上に『ファンが増えている』はずだからファンの声を大切にしてほしい。私みたいな声、聴く必要ないよと思ってる。別に届けるつもりもないけど、勝手に漁って勝手に傷ついてそう。

私はこの人の作品を好きになれないし、これ以上読む気はないけど、好きな人は読んだらいいよと思うし、好きだという感想をたくさん書いてほしい。

相容れないだけで、相手の意見が丸ごと『存在してはいけない』わけではない。みんな、信じたいものを信じてるだけなので、好きに信じたらいいけど、私は無理だというだけ。小説内の女性キャラがみせる男性っぽい感性に毎度頭に疑問符がわく。
だったら、まだ固定観念まみれの女性キャラの方がマシだと私は思っている。


透明な膜を隔てながら