図書館がくれた宝物 単行本 – 2023/7/12 ケイト・アルバス (著), 櫛田理絵 (翻訳)
「図書館がくれた宝物 作:ケイト・アルバス 訳:櫛田理恵」を読んでみた。
原題は「A PLACE to HANG the MOON」なのかな。裏にそう書いてあった。ネットで翻訳してみたら『月を吊るす場所』と出た。原題は図書館よりも『月』がキーワードなのかなと思う。そして、物語もそうなってる。ニュアンスは「月のある場所」かな。吊るすという言葉はしっくりこない。直訳ってこういう部分が困る。
ただ、好みかと言われると……うーん。お行儀がよすぎる。いや。『現代の児童書』として考えると、これはこれでいいんだけど、個人的にはもうちょっとお行儀悪くてもいいから『面白い』方が好き。でも、子供に読ませるには考えさせる部分も入っていて、差別表現は差別だと指摘してあるので子供も理解しやすく安心してお勧めできる。
物語は第二次世界大戦のイギリス。たった一人の肉親である祖母を亡くしたウィリアム、エドマンド、アンナが親代わりの(子供である自分たちの代わりに資産管理してくれる)人間を探すために弁護士エンガーソルさんから疎開を勧められる。
12歳で弟、妹たちの面倒を見ているウィリアムは年齢より大人びている。11歳エドマンドは少しやんちゃ、9歳アンナは甘えん坊な部分もありつつしっかりしている。この3人……本が好き。疎開にも本を持っていく。やんちゃなエドマンドですら、何かしら本を読んでいるので、『常に暴れているやんちゃ』ではなくて、『兄妹に比べると、少し突飛なことをする』程度。
両親は早くになくなっていて、祖母も『冷たかった』。お手伝いのコリンズさんが3人の面倒をみていたけれど、主人(ウィリアム達の祖母)の死と、戦争で疎開するために3人とは一緒にいられない。
寄宿学校に通っていて、本を読んで、お手伝いさんがいて、弁護士まで付いている……ご立派なお家の御子息と令嬢ということがわかるけれど、子供たち中心の視点なので『自分たちがどんな階級にいるか』は書かれてないし、貧しい人たちへの侮蔑・軽蔑・嫌悪の視点も入っていない。ただ、『自分たちとは違うんだ』ということが書かれてる。物わかりよすぎるぞ。この3人……。
疎開は『他の学校の疎開に混ぜてもらう』形で参加してるので、3人は完全に部外者の立場。疎開責任者のカー先生も3人に対しては最初からいい顔をしていない。部外者でありながら、『三人一緒の宿舎(疎開先)にしてほしい』という難しい要求までされているから。
イギリスの疎開は日本とは違って、『一般家庭に子供達それぞれを預ける』という形。なので、おそらく『なるべく、一人ずつ』な形が預けられる家庭にとっても負担がなくて助かるのだと思う。それを、この3人はまとめて面倒を見てくれ……というのだから、責任者としても厄介な子どもたちだったろうな。と、考えてしまう。
疎開先につくと3人まとめて面倒を見てくれる家が見つかる。肉屋のフォレスター家。そこにはサイモンとジャックという双子の男の子がいる。アンナには一人部屋を当てられて、おばさんはアンナをかわいがってくれる。対して、ウィリアムとエドマンドは双子たちと同じ部屋になり、小さな意地悪をたくさん受ける。持って行った菓子も全て盗られてしまう。
これ……「いいところのお嬢さん」ということが分かる格好でおばさんの受けが良かったのだろうなと思う。
双子は『自分たちの部屋を見知らぬ子どもたちと一緒に使う事』に不満を持っていて、意地悪しまくってる。双子たちは意地悪だけど、別に『悪い子』達ではないんだよな。ただ、親が男の子たちに無関心だったことが悲劇なだけ。
ウィリアム達は黙って耐えていたけれど、耐えきれずにエドマンドが『ヘビの死骸を双子のベッドに入れる』という仕返しをしたために、関係がこじれてしまう。そして、『学校に落書きしたペンキの缶(と思われるもの)』がエドマンドのリュックから出てきたために追い出される。
3人一緒でないとダメということなので、カー先生や婦人奉仕団(受け入れ責任者)のノートン婦人が次の受け入れ先を探す。
アンナは図書館司書のミュラーさんを希望するけれど、ノートン婦人に拒否されてしまう。
次の受け入れ先はグリフィス家。小さな女の子が3人に赤ん坊がいる。夫は戦争に行って、おばさんひとりで家の中の事をしている。
3人で一部屋を使うことになったけれど、部屋も寒くて、雨漏りがある。トイレ(厠)も外にあり、新聞紙でお尻を拭くという酷い有様。食事も少ない。グリフィスさんは最初から「金はいつ振り込まれるのか」と子供たちの前で言い、『お金目的』だということを隠す余裕もないくらいに酷い生活になっている。
『お嬢様、お坊ちゃま』には無理だろう……という生活なのだけど、この3人は「トイレは出来るだけ学校か図書館がいい」と言うだけなのよね。物わかりよすぎるのも怖いんだけど。『本の中で知っている』っていうの?え?本の中と、現実は違うんだけど? 本は万能ではないんだぞ!!と叫びたくなってしまった。
グリフィス家では何かと用事を言いつけられ、小さな子たちの面倒を見ることになる3人。そんな中、自分たちが持って来た本と図書館の本をびりびりに破かれてしまいそれを訴えても謝罪もしてくれないことに苛立ち家を出てしまう。
困り果てていたところにミュラーさんが、3人の異変に気が付き、自分の家に来るように言う。……図書館司書のミュラーさんは最初から図書館に来た3人に優しく接して、気にかけていた。でも、ミュラーさんの夫がドイツ人(行方不明)ということで子供を預けるにはふさわしくないとして子供を預ける家にはなっていなかった。
でも子供たちの環境の酷さにミュラーさんは自分が面倒を見ることに決める。その後、3人はミュラーさんの家で楽しく過ごす。そして、最後はミュラーさんにおかあさんになってくれるように頼む。
王道すぎる物語だなと思う。本好きな子どもたちだから、図書館司書の家……ハマりがよすぎる。仕掛けがなさ過ぎるのがつまらないし、子供たちも『自分たちでどうにかして動く』部分が小さくて……正直、つまらないのよね。だって、「仕方ないけど、今は我慢しよう」って言いながら状況が悪化していくだけなんだもの。
それを、さっそうと救う図書館司書のミュラーさん。
しかも、問題だったミュラーさんのドイツ人の夫は『実は死んでいた』という知らせが来る。都合がよすぎる。いや。そうしないと『子供たちを引き取れない』のはわかるけど、重要な位置にいるミュラーさんなのに物語装置としてしか働いてなくて切なくなるわ。
最後は丸く収まってるけど、これもなんていうか……ご都合主義にしかみえない。
そして怖いのは、いろんな本が出てくるけど、そこに薄っすらと透けて見える『この本を読んだ子供たちが、これらの本を読んでくれますように』という作者の都合や、『この言葉を知ってる?』という思惑。教訓的って言うか、ちょっと「子ども読者への期待が強すぎる」感じがする。
最後には本のリストまである。
せっかくだから私はその罠にはまって『読みたい本リスト』にまだ読んでない本を入れておくけど。『砂の妖精』はすでに読んだ。他にもいくつか読もうかなと思ってた本はある。
子供には安心安全にお勧めできる『図書館がくれた宝物』
ただ、大人の都合は見え隠れする。
ごちそうさまでした。