「超」整理法 (続) (中公新書 1222) – 1995/1/25 野口 悠紀雄 (著)
「続「超」整理法・時間編 タイムマネジメントの新技法 著:野口幸雄」を読んでみた。
『「超」整理法』の続編。情報が古いけど、現代ではこれはほぼそうなっている……ような気もしてしまう。個人でスマホを持ったことでかなりの事が変わってしまっているので、使える部分があまりない。
時代の変化を考えると、『紙』でできることはほぼスマホでもできるようになってるんだよな。持ち運びも簡単。入力も難しくはないのでメモしやすい。クラウド(ネット上の保管庫)もあるので、データ消失リスクも小さい。データ保存前にデータ破損……がゼロではないだろうけど、それもかなり可能性が低い。あとは、スマホになれているかどうかの話。……私は慣れてないので、紙がいい。
章ごとに見ていく。
序章 時間との戦い
タイムマネジメントの大切さとポイントが書かれてる。正直、『「超」整理法』と同じ感じだなと思ってしまった。
第1章 時間を見る技術
スケジュールを一覧にして時間を視覚的に把握するという事が書かれている。数週間分のスケジュールを見開きで見渡せるようにするといいらしい……。12か月分のカレンダーを眺めてると残りの今年の分量が視覚的に把握できるから、そんな感じかな。
第2章 スケジューリングの技術
中断しない時間帯を作って、なるべく作業に集中する。あるところまでやったら別の仕事に手を付けて、一旦寝かせる。
この章、言いたいことはわかるけどこれこそ『仕事による』のだろうなと思う。そして、こういうのは家事になると難しくなる。『荷物の受け取り』だとか『誰々が来るので対応する』とか『回覧板を持って来た人と世間話』みたいな余計な作業が増える。
さらに育児になると子供の行動は予測不可能なのでさらに無理。こういうのって『男のための』なんだよなぁ。この時代ならそうなのだけど。
第3章 連絡時間の無駄をなくす技術
電話ではなくて、ファックスや電子メールでという事が書いてある。
現代だとほぼメール。そして、スマホがあるので電話も即座に相手を捕まえられる。この章はこの時代だからこそなんだよな。電子メールが使えない事があるって……現代でそれだと仕事が出来ないことになる。時代を感じさせる章。
第4章 組織内コミュニケーション革命
組織内の連絡もファックスやメモで……となってた。
現代だと多分そうなってる気がする。迷惑メール発生の予言までちゃんと書かれてる。ビンゴ。大当たりと思って読んでしまった。
『官庁で重大事件が発生した時の対応例。
1.まだ報告を受けていない
2.事実とすれば大変だ
3.早速調べて
4.善処する (「前向きに対処する」「慎重に検討する」)』145p
すごい。これは時代が経っても古びてない。現代では堂々と政治家たちがそう言い放って結局『ほぼ何もせずに、時間が過ぎるのを待っている』。30年前から変わらないこの文面に古臭さが一切ない。(褒めてない。政治は腐って腐敗臭を放っていそうだと思ってる)
こんなところで現代と同じだと思うなんて。
『あまり、指摘されていないけれども重要だと思うのは、教師が間違えることの教育効果である。(略)どこで間違いに気付き、どのように修復したかである。』148p
口頭による講義について書かれてる文章の一部でこれがあった。文書だけで人を教えるのはよくないのではという話。
教師が間違えることで、その問題の背景がわかるという風に書かれてあって、なるほどなと思った。確かに思考の過程が垣間見えるのは実際に人を前にした時だけのような気がする。これ、動画での講座でもダメで。動画だと綺麗に整えてるある部分しかみせないから……という事も書かれていた。
『過程』が垣間見えるのは生の講義だけと考えると、コロナ禍の動画の講義を見るだけなどだった授業は理解度が減ってる部分もあるんだろうな。
『日本の女性は教育水準が高いにもかかわらず、育児期に第一線から退くパタンが一般的だ。テレコミューティングは、この状況を変えうるだろう。』161p
男性的な考えだなと思ってしまった。保育園落ちたの悲鳴の前だろうけど、女性が仕事をやめるのは子供を預ける場所がないことも大きい。家で仕事をしたいわけではない。子供の面倒を見てくれる人&場所が欲しいというのがこの時代(今の時代も?)の母親たちの気持ちだろう。
そして、子供の面倒を見ながら家で仕事ができると思ってるのは子供の面倒なんて見たこともない人なのだろうなと思う。
香ばしい男性思考。
第5章 押出しファイリングと時間管理
押出しファイリングで時間管理も出来てしまう。『「超」整理法』のまとめみたいな章。
第6章 時間を増やす技術
人の時間をもらう・買う。隙間時間の活用……など、現代では当たり前になっていそうなことが書かれてる。
買うのは『人を使う側』だからでは?と思ってしまった。
204pのあたりに遅刻常習犯は人の時間を盗んでいるとあるけど、そもそもこんなに時間にうるさくなってるのは近代になってからなので、『時間の感覚』に対応できない個体がいてもおかしくはない。それに現状では仕事において遅刻魔はある程度排除されてると思うんだけど……仕事の信用を無くすような人を雇い続ける奇特な企業がどれだけあるんだろう。
次の206pでは不必要な情報を見分ける事が書いてある。
『読むべき内容がある文章は、最初の迫力で分かる。』
正直、これはただのノリがいい文章が好きだというだけになってしまうような気がした。
「私はこの問題の専門家ではないが~~」「……といわれている」「……と考えられている」「ケインズのいうように」「……は万人の認めるところであろう」
このような文章は価値がないとなっている。この点は同意できるけれど、こう書きたくなる気持ちもわかるので正直、そこから最終的にどう結論付けるかも大切なのではないかなと私は思う。
第7章 人間の認知・記憶能力とタイム・マネジメント
7つしか人は覚えられない。でも、一つの中に色々詰め込んで名前を付けて管理することはできるので、なるべくそうして多くの事を覚えておくということが書かれてる。
潔く一つづつ片づけるのが正しい気がした。人は同時に複数の作業はこなせない。ひとつやると一つ忘れる……。うん。忘れちゃうんだ。洗濯機を回して何かをやり始めると、洗濯をしてたことを忘れる。
終章 他人の時間を大事にしよう
少し前の章では『他人の時間を貰う』って書いてたのに?と思ってしまった。
ここではルールを変えていこうという事が書かれてる。
すでにルールはかなり変わってしまっている。電話についても若者たちがどこででもするようになった時期を得て、今はほぼメールになっている。どこでもメール(チャットアプリ)で仕事も回すようなところがある。
人前で電話をする事は恥ずかしいことだ……なんて時代があったんだな。いや。うん。あったかもな。と思うけど、私が大人になったころには携帯電話がそれなりに普及してたから、その感覚がよくわからないし、現代はむしろ『電話が苦手』な人が増えて、文字連絡になってるような気がする。私自身も電話が苦手なので文字連絡の現代が少し好き。
書いてあることはわかるけど、やはりお勧めするには古すぎる本。
ルールは変えようという話とか、細かい点では頷けるのだけど……それ、この本じゃなくてもいいしと思ってしまう。
読み終えたら図書館に返すのです。