夏目漱石:いまも読みつがれる数々の名作を書き、
人間の生き方を深く追究しつづけた小説家
(伝記世界を変えた人々 20) 単行本 – 1994/3/1
三田村 信行 (著)
「伝記 夏目漱石 著:三田村信行」を読んでみた。
姪っ子が借りてきた本。学校の宿題らしい……けど、本を読む気はないらしい。
毎度のことながら、私が読む。三日間で読んだら『化け物』と言われてしまった。
児童書だから文字は大きいし、写真も多いし、簡単な言葉で書いてあるので、難しくはない。
夏目漱石は『坊ちゃん』しか読んだことがない。これが古い本で当時の言葉で書いてあるので、読みづらい。現代語に変えてある本も今は出てるんだろうな。
夏目漱石の出生から書いてある。まずは、八番目の子……という数字にびっくりした。この時代だから、それくらい当たり前でそのうちの2人は死んでいるけど、それも当たり前の時代なんだよな。現代みたいに『産まれたら全員成人する』なんていう時代ではない。
流産死産も当たり前で、なんなら『産まれたのは8人』でも、妊娠した数はもっといたのかもしれない。
江戸時代が終わった時代に夏目漱石は生まれている。1867年。
夏目漱石は里子に出されて、その後養子にも出されている。なかなか、複雑な育ち。八番目ともなると、『厄介者』『要らない子ども』の扱いだったと。芸術家の要素がばっちし……と思ってしまった私は下種だなと我ながら思う。
実家は元裕福だったけど、漱石が産まれたころには傾きかけていたということも、漱石を育てられなかった理由らしい。
けれど、9歳の時に養子先の夫婦が離婚して実家に戻ることになった。戻ったはいいけど、兄弟たちとは年が離れすぎていて、親しみを感じることができず、父親も自分に期待していないことがわかり、距離を感じてすごした。唯一、母親だけが優しかったらしいけど、その母親も実家に戻って数年で亡くなってしまう。
こういうの不幸な生い立ちに見えてしまうけど、この時代は養子も里子もそんなに珍しいことではなくて『一般的な選択肢』の一つだったのではないかなと思う。
お金に余裕があるお家が子供を育てることがそんなにおかしなことではなく、大きな家ほどよくわからない複雑な家系ができあがっていたのではないかなと。子供が成人前に親が死ぬのもこの時代ならよくあることで、夏目漱石のような人生が特別変わっていたわけでもないような。
その後の人生は大学に行き、教師になって、結婚をするというもの。もちろん、そこにも小さなトラブルはいくつかあるけど、大体において順調な人生。そして、どう読んでも金持ちのボンボンの坊ちゃん。伝記には『中流家庭』となってたけど、『一億中流(みんながそれなりの暮らしをしてる社会)』とは意味が違って、『上流の下』っていう意味の『中流』なんだよな。つまり社会的に考えると、生活水準はかなり上ってこと。……現代的感覚で読むと、ズレそう。
結婚までして子供が出来たのに、イギリス行きを政府から命じられて、妻子を置いてイギリスに行く。そして、イギリスで近代文明の影の部分を見る。
『近代文明・産業の象徴である工場からはきだされる煙が、環境や人々の健康をおびやかしているのです。(略)文明の発達、経済的なゆたかさの実現は、すべてを金銭でわりきる考えかたをひろめ、貧富の差を大きくしていくように金之助には思えました。』85p
漱石の本名が金之助。イギリスでそう思えるのは『貧困』がすぐそばにあったからなのかなと思う。江戸(東京)がどんな街だったのか分からないけど、たぶん『貧困』が見えない作りになっていて漱石はそれを見なくて済む場所に住んでいたのかなと。立場的に貧困が見える場所にいない層だったというのもあるだろうけど。
ロンドンで『貧困』が見えたのは、貧困層と裕福層の暮らす地区が組み合わさっていたから。たしか、シャーロックホームズを書いたコナン・ドイルは裕福層と貧困層が隣り合っているような地区で暮らしていて、どちらの生活も分かったのでそれを作品に取り入れた……と何かで見たような気がする。
多分日本は『貧困層』と『裕福層』の暮らす場所は明確に分かれていて、知ろうとしなければ知ることもないぐらいにはきっぱりしてたのではないかな……部落差別とかそれだよね。
もちろん、近代文明がより明確に『貧困』を照らし出す部分もあるだろうけど、その前から貧困は存在していたわけで。
話がずれるので、漱石に戻る。
漱石の妻の鏡子は筆不精でイギリスの漱石に手紙をあまり書かなかったとなってた。でも、この時は赤ん坊の世話をしている時期なので、もしかして単に育児が大変で手紙どころではなかったのではとも思う。乳母がいたのかな。そういう子育ての手はどれくらいあったのかは書かれてないので分からないけど、経済的に楽ではないみたいなことも書いてあるのでやはり鏡子夫人が自分でやっていたのでは?と思うんだけど。男の都合だけ書くのはズルい。
イギリスで心を病んだ漱石は『狂人になった』と思われて、日本に呼び戻されたとある。
この頃の通信手段が手紙だけなのを考えると、こういうすれ違いはよくあることだったんだろうな。
その後、精神的に不安定になった漱石を支えながら、子育てに励む妻……ってだけで、妻の負担、半端ないよね。たくさん子供を作らせて、機嫌のいいときはにこにこ構って、不機嫌になればいきなり子供に当たり散らしたりしてたらしい。坊ちゃんはどこまで行っても坊ちゃんだな。子どもに当たり散らしてたのに、『子煩悩』って思ってる妻も……時代だなあと思う。そういう父親が腐るほどいたんだろうね。気分のままに子供を怒鳴ってストレス発散する時代。
そんな中でも縁があって、小説を書くようになるとそれが飛ぶように売れたとあった。
純文学だと思ってたけど、意外とエンタメ(大衆文化)系で売ってたということらしい。言われてみれば、『坊ちゃん』もキャラが立ちすぎていて、純文学よりはエンタメ……になるのか。
夢の話も書いていたらしい。
『小さいころからかかえこんでいた心の傷は、おとなになってもきえるどころか、ますますふかくなっていき、だれにも見せない心の奥にしまいこまれ、こうした夢の話のなかにふっとあらわれてくるのです。』140-141p
〈孤独〉と〈不安〉の夢を綴った「夢十夜」にはそういうものが表れているとあるけど、時代的にはそういう作品は珍しかったらしい。この時代の小説作品の流れと漱石はその流れに乗らなかったというのも書かれていた。つまり『その時代になかったものを書いたから受けた』というものなんだな。
最後の辺りは人を育てていたという事が書いてあった。
いろんな人の支援をして、育てて褒めていたと……それ、実の子どもにしてないのが泣けるね。と思ってしまった。まぁ。『育った他人の子どもに最後の知識を与える』方が育てるの楽だものね。人間の言葉を発しない物体を育てるなんて出来ないよね。坊ちゃんは。
男のための男の物語なんだよな。いや。この人だけではなくて、あらゆるものが『そうだった』っていうのもわかるけど。他の作品を読んだことはなかったけど、「女を男二人で取りあう」物語が多いらしいとあった。でもそれ、「女」は母親で、「男」の一方は父親、もう一方が自分というものを当てはめてるのではと思ってしまった。子供時代のあれこれを思うと、そういう構造だよね。
作家の人生を知るって、それはそれで楽しいけど……だから作品も読みたいと思うかは別問題。時代背景は作家にも多大な影響を与えると思うので、まずは作家が生きた『その時代その国の価値観』を知ることからなのかなと最近、思う。
夏目漱石だけではなくて、他の作家も少し調べたり本を読んだりしてるせいだろうけど。でも、作品にまで手が伸びないんだよな。悪趣味だけど他人の人生の方が下手な物語より興味深い。