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「リハビリの夜」を読んで

2024/03/10

リハビリの夜 (シリーズ ケアをひらく)
– 2009/12/1 熊谷 晋一郎 (著)

リハビリの夜 (シリーズ ケアをひらく)

「リハビリの夜 著:熊谷晋一朗」を読んでみた。
実は去年図書館で借りたけど、気が乗らなくて途中まで読んで返した。少し落ち着いて、読める感じになってきたので改めて借りた。

官能という言葉が沢山出てくる。読んでるだけで、悶えてしまった。すごい。こんなに丁寧に身体と感覚について書かれている本、見たことない。

脳性麻痺当事者のエッセイだけど、健常者にはたどり着けそうもない感覚が書き連ねてあって……恥ずかしくなる。身体が動くって『身体と心理と脳の繋がり』を考えなくていいって事なのねと思ってしまった。


序章 リハビリキャンプ
リハビリキャンプの様子や腹ばい競争に負けたことなどから『敗北の官能』について書いていくよということがさらっと書いてある。
 
第一章 脳性まひという体験
身体と脳内の連動の仕組みが図解つきで説明されてる。行動一つとっても、フィードバックを繰り返して修正をかけているという事が分かる。そこから、脳性まひはどの辺りに問題があると言われているのか著者の場合はどうなのかという事が書かれてる。

そしてそれは、『体内』だけではなくて、他人を操る時も似たような形を取るという話に変わっている。操るというとあやしいけど、本では『妹にムーンウォークを教えてみた』という経緯が書かれている。それが「言葉で指示」→「妹の動きを見る」→「手本と比べて修正点を見つける」→「修正した点を指示」というような形と同時に、著者の中の動きのイメージも修正されるというもの。著者自身は動けないけど、動きのイメージは持てるのでそのイメージを脳内で微調整しているらしい。
自分が動けなくても、脳内に動けるイメージは持てる。
なるほど、言われると確かにそいうことはあるなと思う。動けるのが当たり前だと、気が付けない。

第二章 トレイナーとトレイニー
リハビリの様子が書かれている。リハビリをする側がトレイナー、リハビリをされる側がトレイニーとして、トレイニーとしての感覚が事細かに書かれている。

A「ほどかれる体」の互いの動きを《ほどきつつ拾い合う関係》
B「まなざされる体」の運動目標をめぐって《まなざし/まなざされる関係》
C「見捨てられる体」の私の体が発する信号を拾わずに介入される《加害/被害関係》

この三つの関係性の変化が細かく書かれている。この本に何度も出てくる関係性。

第三章 リハビリの夜
この章はこれまでとは違って、子どもの頃のリハビリの時に経験した事がメインに書かれている。性的なものも含めて書かれているのでギョッとする人はいるかもとは思った。でも、最初から『官能』という言葉が使われているので、私は文章の色が変わったなと思って読んだだけ。

第四章 耽り
思春期に入ったころのセックスに関する話題。
小さくないと介助が受けづらいというのと、著者の中で小さくありたいという思いもあって摂食障害になったという話も書かれている。男性の摂食障害の事例は初めて見たような気がする。でも、『周囲の自分は小さいというイメージに合わせるために』みたいなのは、女性にも通じそうだし、これは障害者によくあることなのかな……と考えてしまった。いや。よくあったら困るし、病気の状態次第では痩せることができない場合もあるだろうけど。こういう事例があるんだなと思った。

エロ本を同級生たちと見たという話も。でも、著者は男優の動きを真似るのは無理だと悟って興味を失った。代わりに大柄な女性が小柄な男性を持ち上げるものに興味を持ったのも、それが『実現可能』なものだからというのと、おそらく著者のマゾヒズムも影響あったのかなと思う。

その後もセックスに関する考察があって、面白いなと思う。男優の官能は『まなざし、まなざされる官能(緊張が高まって崩壊する)』に似ているというのも。
「してはいけないとされていること」をするという行為に興奮しているだけ……というのは納得しかない。逸脱規範には際限がない。


『規範からはぐれそうなときは体をこわばらせ、規範から解放されればほどける。そしてこのような、規範をめぐるこわばりとほどけの反復運動には、官能が伴う。私たちは、そんな私だけの世界に閉じこもって、際限なく耽っていったのである』140p

思春期の性への興味は『他者がいない』ともある。

すごい。男性の性的興味について、これだけ的確に書いてあるの見たことない。つまり『思春期は相手の事を考えていないので自慰しかできない』ってことだね←拡大解釈。
でも、男性に限らず、セックスはそうなる要素が多いような気がする。自分の体で手いっぱいになって目の前の相手の反応に無頓着になったり勝手な思い込みで行為を進めてしまったり(加害/被害の関係)、相手の好むように動いてしまったり(まなざし/まなざされる関係)

この本は障がい者の視点なので、行為の事までは書いてないしそこは本題ではないけど、健常者がこの視点に当てはめて考えるならセックスは常に『加害/被害の関係』に陥りやすい危ない行為という事になる。

男性にとっては『男優という規範に沿った動き』を獲得しようと躍起になり、相手を見ていない……ということは本にも書いてある。



第五章 動きの誕生
大学生になって一人暮らしをしたという話。
これは一人暮らしをすることになって、改めて自分の体を知ることになったことが書かれてる。今まで書いてきたことを『人間関係』まで含めて丁寧に描き直してる感じがすごい。
まずは便意との闘い……というのは笑いも込めてるのかなと思うけど、排泄は切実な問題。
自分の体が一人だとどこまで動いて、どこに何があれば自分の体をうまく動かせるのかというモノとの対話。
その次に、『一人で頑張らずに、周囲を頼る』という事が書かれている。

さらには、「権力構造が《加害/被害関係》を決める」という人間関係の難しさまで書かれてる。加害/被害関係になるくらいなら関係を無理に続けない方がいい。


第六章 隙間に「自由」が宿る
最後は排泄の話から人と繋がり、『人は時々間違うモノ』という逸脱規範を許す……緩みの時間も大切。

また、頼り過ぎて不安になるのも問題なので、『問題が起きたときに組み直す』という話が書かれていた。
『凍結』と『解放』を人は繰り返している。たしかに、固定化された関係性は心地いいけど息苦しくもなる。解放はその瞬間はホッとしても『新しく組み直す』のは手間だったりする。

でも、それを繰り返すしかないんだよな。

ラストは『衰え』について。
40代……身に染みる話過ぎる。30代もじわじわ来るけど、40超えると若さはないなと思う。肉体は衰える。でも、精神的には楽になってる感じ。不安がないわけではないけど、『どうにかなる』の開き直りの境地は年を取ればとるほど強くなる気がする。ただ、これ悪い時もあるので取り扱いは注意。

官能についてなので性の話も多かったけど、脳と身体と心理の繋がりが興味深かった。
健常者にはたどり着けない気がする。

本当に心地いいのは、ほどきつつ拾い合う関係……いいなと思う。読めて良かった本。

『リハビリの夜』