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「花芯」を読んで

2024/03/08

花芯 (講談社文庫) – 2005/2/15 瀬戸内 寂聴 (著)

花芯 (講談社文庫)

「花芯 著:瀬戸内寂聴」を読んでみた。5編の短編集。

実は今まで寂聴さんの本は読んだことがなかった。でも、『携帯小説』を少しだけ読んだことがある。瀬戸内寂聴さんが名前を隠して投稿したと話題の作品を読んでみた。

すごい……と思った。
他のケータイ小説と変わりのない時代の物語が忠実に書かれている。高校生が書いているものと思っても不思議ではないくらいのクオリティのものが仕上がっていた。
バカにしているわけではなくて、ちゃんと流行が取り入れられていてその時代の言葉も散りばめられていて、古臭いものが一切消えている事に感動してまうくらいの作品だった。
それでいて、文章は携帯小説にしては固いような気もした。私はその硬さも好きだった。
ただ『ケータイ小説』が好きではなかったため、途中で挫折した。

私が当時知っていた寂聴さんの事と言えば、尼になってる人、小説を書いているようだというぐらいしかなかった。
ケータイ小説の最初しか寂聴さんの小説を読んだことがない。
私がこの『花芯』を読もうと思ったのは、それが『性的だと話題になった作品』だというからだった。その部分に興味を持って、読んでみることにした。

やっぱり『すごい』しかない。ケータイ小説が軽い文体だったので、そのような感じなのかと思えば、全く違って古くて硬い。それでいて、女性の部分の表現が柔らかい。女性の視線があちこちに紛れ込んでいて、ドキッとする。

この硬い文面からあの軽いケータイ小説を書いたのかと思うと、どれだけの好奇心と才能がある人なのだろうかと思ってしまう。

とにかく『すごい』しかないのだけど、一つずつの感想を書いていく。


・いろ
るいという五目(踊、長唄など)の師匠と銀次郎の恋物語。銀次郎18、るい49という年の差から別れて、銀次郎は結婚し、るいは死を迎える。銀次郎もいつの間にかいなくなり、死の連絡が来る。

短くて読みやすい。江戸という馴染みのない設定なので、よくわからない部分もあるけど全体的にはしんなりとしていて嫌いではない。
『きゃしゃなるいの体は、うす青いらんぷの灯りの中では、人魚のような妖しい白さに濡れ、底のない泉のようにゆたかにあふれ続けていた。』25p
性行為中の描写がこれ。すごくしっとりしている。

・ざくろ
亮吉とナミの恋物語。どちらも別の伴侶との間に子供がいる。亮吉は子供が欲しいと言い、ナミはいらないというが……。

『皮を弾いてのびてゆく、白い粉をふいた若竹のようなすがすがしい少女の肌の弾力が、未知の触感として、ひどく私の好奇心をそそってくるのでした』53p

亮吉の娘に生理が来たと聞いて、ナミも自分の娘がそんな年ごろかもしれないと想像しつつ他の少女を眺めているシーン。すこし異常な感覚かもと思うし、これ男性の視線だと危険になる。でも、女性もそんな目で少女を眺める瞬間があるのは分かるような気がする。世間的にはアウトだけど。
子どもが欲しい云々は、正直よくわからない。

・女子大生・曲愛玲
中国人の曲愛玲(チュイアイリン)とみねの恋愛模様?
女性同士の恋愛かと思いきや、愛玲には男がいて妊娠しているといい……。

正直、この物語はわからない。時代背景も複雑な感じがするのに、人間関係も複雑だった。

・聖衣
電車の中で二人のシスターに出会いながら、けい子は過去を考える。

「性の喜びは、けい子にとって、いつまでたっても、あの幅広い、とらえがたい風に似たオルガンの音のようなものであった。男がじぶんの上でうごめき、嘆きを忘れ、恍惚と虚脱するのを感じる時、けい子はじぶんが、まんまんとふくれ上がった、ゆたかな海になった想いがする。」108p
ひっそり言葉が隠されてるのだろうかと思いながら読んでしまった。でも、すごく素敵な心理描写だなと思う。

物語のラストは男に「私とだけじゃなかったんだろう」と言われて子供を下ろして、男が死んでいてくれたらと願う……。過去はドロドロだけど、電車の中ではシスターが微笑むというほのぼのシーンで終わってる。ひっそりとシスターでも『性的なものがある』とほのめかしているのも、どんな意味なのかを考えてしまいそうになる。

・花芯
園子の物語。雨宮と結婚し、越智と浮気する。その後、雨宮とは離婚し園子は娼婦になる。

物語は好みではないし、娼婦になるまでの過程も共感できる点は少ないのだけど、細部は確かにと思うものが多々散りばめられている。

『私の処女なんて、全く偶然に、結婚まで守られたにすぎない。』147p
『女というものは、自分の目でさえ遂に確かめることのできない、小さな薄い一枚の膜のため、死ぬまでの貞操を約束させられねばならないのだ。』147p
『臨月近くには、お臍まで飛び出してくる醜悪な我身の裸を、真正面から真横から鏡に映したことのある女なら、じぶんが女に生まれたのを呪いたくなるだろう』151p
『死というものを、私は、セックスの極におとずれる、あの精神の断絶の実感でしか想像することができないのだ。』249p

女や身体への呪いがこれでもかと書かれてるのはすごいなと思う。ただ性に奔放なわけではなくて、出産後に性の喜びを知ったというのもあり得そうな話だとは思う。(すべての女性がそうなるわけではないし、大半の女性は出産後の性行為は苦痛でしかない。ホルモン的には出産後は性欲が抑えられる)

女性とはこうだと言いたいわけでもないし、人によっては子どもを置いていくなんてありえないのだろうけど。(この短編集の女性キャラたちは子どもに対して淡白すぎる気はする)
母子神話を信じたいわけではないけど、そう簡単でもなさそうな……でも短編だからその辺りがあっさり見えてしまうだけなのかと考えてしまう。


一冊読んで満足したので、寂聴さんの本はもういいかなと思った。


しっとりとした恋愛ものが読みたい人にはお勧め。

『花芯』