戦争は女の顔をしていない
– 2016/2/17 スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ (著), 三浦 みどり (翻訳)
「戦争は女の顔をしていない」を読んでみた。
数年前に話題になっていて読もうと思いながら、欲しいものリスト入りにして眺めていた作品。
『同志少女よ敵を打て』が出たり、戦争があったりとしたので、リスト入りじゃなくて買って読まないとなと思ったので買って読んだ。
結論、買ってよかった。
事細かに感想をと思ったけど、なんていうか『すごい』の一言しか出てこないし、『読んでみて』としか言えない。
本当ならここに、『残虐描写があるから気を付けて』と書かなければいけないのかもしれないけど、『残虐だけどこれが現実』というものがこれでもかと詰まっているので、とにかく『読んで』と言いたくなる。
とりとめがなくなってしまうので、気になったいくつかを書いてみる。
『その人は黙ってしまったわ。顔から微笑みが消えたの。何だか恥ずかしそうなばつが悪いって顔して。もう若くない人だった……その人は分かっていたの、私を送り出す先がどういうところか……』p106
これはチョコレートをカバンいっぱいに詰め込んだ女性の話。軍事委員の人がカバンに何が入っているかを知って、笑えなくなったという部分。戦争を知らない少女たちが戦争に向かっていく話もこれだけではない。
『わたしは思いました、おかあさんは私のことを結婚するには若すぎるけど、戦争には若すぎないって思ったのね、と。私の大好きなおかあさん』p202
結婚に反対されて、早く大人になりたくて戦争に行った女性の話。着任最初の日に死体を見て思ったこととして書かれている。結婚には若くて、戦争には若くない……親はそんな気持ではなかったのかもしれないけど、結果としてそうなっているのが悲しい。
他にも全体的には『戦争に行って祖国を守るのが正義』みたいな思想が漂っているし、そのように教育されていたのだろうなと思う。この本には書いてないけど、たしかNHKの番組にもロシアには積極的に女性を送り出すようなスローガンがあったというのを見た。日本だと男子限定だったものが、ロシアでは女子もだったという事かなと理解した。
あとはロシアの女性のおさげは結婚するまで切らない伝統があって、ほとんどの子が髪を切る勇気がなかなか出せなかったと書いてあった。こういう文化の違いや価値観の違いが分かったのも良かった。
ロシアは広いので、どの地域かで変わってくるのかもしれないけど……そういう細かい情報までは分からない。
後半に進めば進むほど、戦時中のレイプやレイプされて身ごもって自殺する少女の話などヘビーなものになる。
5人の子供を殺されて気が狂った女性の話では、赤ん坊を殺してやるから投げろと兵に言われて自ら地面にたたきつけて殺すとあった。日本兵の話でも似たような話を聞いたことがある。どこの国も戦時中にやることは変わらない。
けど、それらよりも辛いのは兵役につき帰ってきた女性たちを、他の女性たちが『戦争で男たちの相手をしてたんだろ』と侮蔑するという話。家族に戦争に行った女性がいたら、ほかの姉妹が結婚できないから出て行ってくれという話まである。このような点は男性ではありえない点だろうなと思う。
他にも女性特有と思うのは、生理の話。戦争に行って生理になってそこにいた兵隊さんに手当の方法を教えてもらったという話まである。(個人差があって遅かっただけかもしれないが)生理にすらなっていない女性も戦争に行ったというのは、すごいなと思う。
そして、ストレスで生理が止まるという話も。
生理になれば、処置するものがないので血が固まって足に傷をつけていく凶器となるという話も。血は固まると意外と固いのでわかる……と思ってしまった。
草で血を拭って足が緑になったとか、銃撃されても水があったら飛び込んで体をきれいにしたとか。
おしゃれをしたかったという点は、私はおしゃれではないのでイマイチ分からないけど、男性物しか支給されなかったからそれを自分たちで直したというのも、戦争に女性を駆り出しておきながらその準備さえできていない状態だったんだなと……
『戦争は男の顔をしている』
という事が、分かる本だった。
ただ、こういうと『男だって戦争に行きたくないんだよ』という男たちがいるけど、それは意思決定の場にいる男たちに言ってくれと思う。この『戦争は女の顔をしていない』は戦争を決定した女性たちの話ではない。『戦場に行った女性たち』の話だ。
『戦争を決定した男性』はいるけど、『戦争を決定した女性』は聞いたことがない。
(女王の治世で戦争が多かったというのは聞いたことがあるが、これは単に『女性だから舐められて攻められて戦争になったのでは』という話もあるので、女王たちが戦争好きだったかは分からないと思っている)