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「これからの男の子たちへ」を読んで

2024/03/08

これからの男の子たちへ :
「男らしさ」から自由になるためのレッスン
– 2020/8/24 太田 啓子 (著)

これからの男の子たちへ :「男らしさ」から自由になるためのレッスン

「これからの男の子たちへ 「男らしさ」から自由になるためのレッスン 著:太田啓子」を読んでみた。

図書館の本、三冊目。

すごくよかったーー。これを2022年に求めていたのよ。と叫びたくなった。これ、この本。私が探していたの。

何を探していたかって?
『性描写はR15のネット小説作品に必要か』という話を含んだ本。

そのために、性描写のある小説を読んで死にそうになったり、ポリコレ反対の本を読んでめまいがしたりという……反対意見や性描写のあれこれを知るための本といろんな本に手を付けてきた。

具体的に『性描写はR15のネット小説に必要か』という事は書かれていないのだけど、性描写のあれこれ、昨今の炎上萌え絵、男の子の価値観、再生産される女性蔑視の視点などなど、欲しかった情報盛りだくさんだった。


なのに、時間がない。ただいま午前2時。私の気力が尽きるまで感想を長々と書くぞと気合を入れるのです。


はじめに
息子たちと暮らす中で『男らしさ』『女らしさ』の社会的メッセージに違和感を抱き、それらが性差別的な価値観や行動パターンを身に着けることに繋がるのではないかと考えるようになった。その試行錯誤の日々を書いたのがこの本である。

というようなことが書かれている。

私も周囲に男の子は少なかった。四人兄弟で末っ子だけ男の子だったが、引っ込み思案のおとなしい子だった。従兄弟たちは年が離れて遊ぶこともない人たちと、妹と同い年の従兄弟が一人といった感じだった。こちらは弟よりはわんぱくだったが、それでも男の子という中ではおとなしい方だったと思う。

つまり、私の中の男の子は『おとなしい』というイメージしかなくて、おそらく世間一般的な『男の子のイメージ』とは違うと思う。

でもそれは、『年下』という私よりも小さいという事もあったのかもしれない。子供の1・2年の差は大きいし、今思うと弟にも『男性的闘争心』のようなものはあったように思う。弟が大学生辺りでそれに気が付いて、おとなしいと思っていた弟も『男社会』にいたのかと驚いたことがある。


つまり、見た目がおとなしそうでも中身はがっつり『男らしさ』に染まる。という事を私は弟から学んだ。


この『はじめに』で逃げようがない社会からの規範や圧力に『どう対処するのか』が分かるのかなと思うと、少しわくわくした。



第1章 男の子の日常にかかるジェンダーバイアスの膜

社会から、親からと様々な角度から『ジェンダーバイアス』はかかっている。
ジェンダーバイアスとは「女らしさ」「男らしさ」などの概念を指すこと。日常はそのようなものに取り囲まれている。

男性性の4要素
1.意気地なしはダメ
2.大物感
3.動じない強さ
4.ぶちのめせ

しかし、これらの男らしさの中には有害なものも含まれている。弱みを見せることができないという事が一例として書かれている。

そう言えば、父が『お前たちに宿題を教える時に、「わからない」なんて言えないから、自分で調べさせていたんだ』と言っていた。最近、そんな感じで「弱い」部分を見せるのは年のせいなのかなと思うが、それ以上に横柄な態度もあるので、何とも言えなくなる。


男の子の子育てで引っかかる事3つの問題が書かれていた。

「男子ってバカだよね」

これは姪っ子もよく言うのですが、私はそのたびに「男子とは限らないし、賢い男の子もいるでしょ」と聞いている。そうすると少し考えて「いる」と答える。

全般的にそう言われることはあるというのも伝えてしまうので、私の言葉がどこまで伝わっているのか微妙だけど一応気になる点はなるべく指摘してしまうので、姪っ子からは「なんかうるさいおばさん」と思われていることだろう。

「落ち着きがない」「片付けが出来ない」男の子もいる……というのを見ながら、それ、姪っ子ですがなと思ってしまった。さらに「物を壊す」という特徴もある。女の子ってこういうものという思い込みを姪っ子はことごとく壊してくれるが「女の子なんだから」とは言わないようにしている。

「何度言っても同じことを繰り返す」のも姪っ子あるある。男の子、女の子限らずですよと思いながら読んでしまった。性別の差よりは個体差ではないのだろうか。でも、社会からのメッセージで「許される」と思えば、その時期が長くなって影響があるのかも。


「カンチョー放置」

ここには30代男性がエアコンプレッサーを同僚男性の肛門に吹き付け死亡させた事件が書かれている。
その事件は私も知っている。父が仕事でエアコンプレッサーを使うので、その威力も知っている。事件を聞いた時、ありえないと思った。確かに子どもの頃は冗談でカンチョーをしあう男の子はいた。しかし、大人である。しかもエアコンプレッサーは仕事で使うものである。なぜ、その威力のものが体に入ると、体を破壊すると想像できないのか。幼稚すぎるが、さらに同様の事件は何件かあるという。カンチョーは医療行為で行うものだと、子どもの頃から教える必要があると思う。


対して、スカートめくりは今では見かけないし、武勇伝として語ることも良くないこととされている。

スカートめくりは性暴力であり、軽く扱ってはいけないことが社会的に広がっている表れでもある。となっている。

カンチョーも同じく許されない行為であるとなるといいと思う。仕事道具で人を殺すなんて、笑えない事件はやめてほしいとも思う。


「意地悪は好意の裏返し」

よくある「男子は好きな子に意地悪してしまう」という話。それで許していたら、男の子は『虐めたら、好きな子に振り向いてもらえる』と勘違いするだけである。
好きであるなら、相手の嫌がることはせず、相手が嬉しいと思う事をした方がいいと教えた方が未来のためにもなるし、女の子のためにもなる。なぜ、このような基本的なことが『男の子は~』という話になるのか。
女の子が男の子に嫌がらせをしたら好意があることになるのだろうか。……と思ったが、この場合は逆で『男の子のくせに嫌がらせや意地悪をされるなんて情けない』という方向に向かうのだったと思い出した。
女の子が男の子をいじめるのは、『男の子が情けない奴』になるだけである。これはこれで、大問題。


第2章 男の子にかけられる呪い

ジェンダーの議論をするときの男性の感覚は、要するに「壊れてないなら直すなよ」である。男性にとって現在の状況は問題ないらしい。

『男らしさの終焉』(グレイソン・ケリー著)p40
『男性学』がこの章のメイン。

男性たちは現状の社会の問題を問題だと認識しないという事が書かれている。それはそうだ、黙っているだけで特権を与えられているのだから問題はない。『弱者男性』だと卑屈になりさえしなければ。


ホモソーシャルとは、同性同士の性的関係性を持たない結びつきということ。

男性たちはホモソーシャルな集団の中で、『男らしさ』を強化していく。それは保育園・幼稚園の子どもたちも例外ではない。


そうだよなと思うのも、姪っ子の通っていた保育園ががっつり男女分けで、発表会や運動会で『サンタは女子』『トナカイは男の子』そこで分けるの?というものが多かったからだ。性別で分けるのが楽なのは分かるけど、くじ引きで決めた方がまだましな気がした。


「ジェンダーの問題を、子どもの人権と公共性の観点から真剣に取り組もうとするならば、教育者や保育者は、子どもたちを『個人』としてだけ見るわけにはいかない。というのも、子どもの現実は、大人が望もうが望むまいが、多かれ少なかれジェンダー化されているからであり、これがしばしば男女間に権力関係を生み出すからである。したがって、教育的な介入は避けられないだろう』271頁

『男子の権力 著:片田孫朝日』p47-48


このように放っておけばジェンダーバイアスが強化されるので、大人の介入が必要と書かれている。もちろん、子どもの自主性も尊重しつつ、人権や多様性を否定する価値観に与しないようにするにはという事も含めて書かれているらしい。
性差別満載の価値観の中では、放っておいては子供はその価値観に染まるという事である。


モテない悩みをこじらせる前に『モテよりマッチング』だと知るべきとあった。私自身は、そんなことに悩んだことはない。

しかし、『モテる』ことに拘る人たちがいる事は知っている。


『モテない』という思いをこじらせて、女性たちを攻撃する男性たちの事をインセルと言うらしい。

女性は男性を攻撃しないのか?と思うが、しないというより、これは『女性はある程度、男性が寄ってくる』のである。よほど閉鎖環境にいるなどという条件がない限り、普通に暮らしているだけで女性には男性が群がる。ただし、これは『セックス目的』として群がるのであって、好きだとか惚れたとかそれは二の次である。

インセルの思考は「自分には女性とセックスする権利があるはずなのに、女性がそれを拒否しているからできない。拒否する女性が憎い」p58 というもののようだ。
身勝手な理由である。しかし、男性の思考は基本的に『女性を多く獲得できる』事に価値を置いているようだなとは思う。というのも、以前、『自分はモテない』と書いている人がいたので、てっきり独り身なのだろうと思って読んでいたら、後になって実は結婚して子供までいると書いてあった。結婚して子供までいるのに『モテない』と思う思考が分からない。

男性の思考が『女性の獲得数』にあるなら、『モテない』のは『妻しか獲得できなかった』という意味なのかもしれない。


女の子に伝えたいことも書かれていた。

「男の子に好かれるためにバカなふりをするのはやめておきなさい」p66


私自身は好かれようが嫌われようがどうでもいいと思って生きてきたので、『好かれるために』というのは分からないなと思っていた。でも、好きな人が出来て、私はバカになった。正確には『分かっていることを言わない』『相手が知らないと思う事は先に答えを言わない』という風にしていた。他の人間にはそんなことをしない。

私は相手が好きで、自分の価値判断を狂わせた。

でも、おそらく恋愛は大なり小なり、そんな部分があるとも思う。振り返れば、あれは違うなと思う事もあるけど、当時はよくわかっていなかった。


ただしここで一言加えたい『男の子に好かれるため』というのは異性愛しか想定していないので、なんか違うな……と思う。『好きな人に好かれるために』ではないのだろうか……。テーマはそれではないので、気にすることもないのかもしれないけど、気になってしまった。



「男子って、どうしてああなんでしょうか?」清田隆之さんに聞く

恋愛相談をしているうちに、『有害な男らしさ』を考えるようになったという清田さんの話。
なかなかおもしろかった。
ダッシュ10本走ったら、女の子と付き合えると思い込む話とか……そういえば、漫画なんかでそんな表現もあったような。女の子と無関係の事でなんで、そんなことするんだろうね。

容姿を馬鹿にされて傷ついている女性たちも多かったという話。男は平気で、容姿を弄るのは分かる。父もよく私をけなしたけど、自分の遺伝子をけなして何が楽しいのだろうかと思っていた。たぶん、男性側はバカにしているつもりも傷つけているつもりもない。ただの『世間話』程度の感覚で、女性の容姿についてあれこれ言う。そして、そう言っていることにすら気が付いていないし、まして、相手が傷ついていることも気が付いていない。男性が女性にかける言葉は『空に向かって唾を吐く』ようなものだと思う。しかし、唾が自分にかかっていることは気が付かない。

ないがしろにされた女性は、男性に嫌悪感を抱くだけである。


男性たちは『感情の言語化』をすることで、自分を知り、『有害な男らしさ』にも気が付いていけるとある。
男性が『言葉にしない』というのはその通りだと思う。言葉にする機会がないのだから、言語化の能力は磨かれない。



第3章 セックスする前に男子に知っておいてほしいこと

子供たちに包括的性教育をと言う話。
107頁 ユネスコの「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」の例(生殖関連)

レベル1(5~8歳)赤ちゃんがどこから来るのかを説明する
・卵子と精子が結合して赤ちゃんができる
・排卵、受精、受胎、妊娠、分娩など多くの段階がある

レベル2(9~12歳)どのように妊娠するのか、避けられるかを説明する。避妊方法を確認する。
・無防備な性交は、妊娠やHIVなど性感染症にかかる可能性がある
・常にコンドームや避妊具を正しく使用すると、意図しない妊娠や性感染症を防げる
・低年齢での結婚、妊娠、出産には健康上のリスクがある
・HIV陽性の女性も健康に妊娠でき、赤ちゃんへの感染リスクを減らす方法がある

レベル3(12~15歳)妊娠の兆候、胎児の発達と分娩の段階を説明する
・妊娠には検査で判定できる兆候や症状がある
・妊娠中の栄養不足、喫煙、アルコールや薬物使用は胎児の発達へのリスクがある

レベル4(15~18歳)生殖、性的機能、性的欲求の違いを区別する
・パートナーとの性的な関係で、双方の合意はいつも必要
・意図しない妊娠や性感染症を防ぐ方法を事前に考える事が必要
・すべての人に生殖能力があるのではない。不妊に取り組む方法がある


海外では女性用のコンドームやピルの説明まであるし、韓国では性暴力に遭った時の相談先もちゃんと教えているらしい。


年齢ごとに適切に知識を与える事になっているの素敵。日本もこの程度は教えて良かったのに……私が子どもの頃にはどめ規定が出来て、教えられることなく今になっている。


AVはフィクション(嘘)だから真似するなという事も書かれていた。私は、AVを見ないので分からないけど、小説は読む。男性向けに書かれている作品は女性の扱いが酷いものばかりで読めたものではない。
女性向けなら大丈夫かと言われたら、そうではないものも混ざって入るけど、レイプを恋愛として書いているものは少ないような気がしているので男性向けよりマシ。あくまでも『マシ』なだけで、女性蔑視も侮蔑もある。


性的同意についても『嫌だったら言って』が言えないなら、セックスはするなとなっている。
昔、「セックスしたい。いいよね?」と聞いてきた男がいるが、私がそれに返事をしなかったらOKだと受け取った愚者がいた。沈黙は基本NOであるという事も覚えておいた方がいい。

この章の最後には「セックスは義務ではない」という事も書かれている。付き合っていても夫婦であってもしたくない時はしないでいいし、しないままの夫婦もいる。アセクシャルと言って性的欲求を抱かない人もいるという事も書かれている。こういう情報は本当に貴重だと思う。


「多様性が尊重される教室をつくるには?」

「らしさ」を疑う授業について書かれていた。でも、家庭では学校の授業ような事を言うと怒られてしまう子もいるので、プリントで授業内容を知らせるという事までやっていると……。親の教育までしないと、子供は安心してそれを飲み込めないという事。
さらには年齢別にいつまでなら修正可能かまで書かれていた。高学年になると難しくなってくると。
感情の言語化の大切さも書かれている。
子供が転んだ時に親が「痛くない」と言ってしまうと、身体の痛みを言語化する機会を失うという話。これ、妹たちは、『親が「痛い」と言ってしまうと、子供は不安になってもっと泣くから「痛くない」が正しい』と話していた。私はそんなの変と思ったけど、私の感覚おかしくなかった……と思ってしまった。怪我をしたら痛いし、それを他人(親であっても他人)が「痛くない」というジャッジをするのはおかしいわけで。ここで『子供が不安になるから』というなら、「痛い」も「痛くない」も言わずに、泣いたら「泣きたい気持ちなんだね」、起き上がったら「汚れてない? 擦りむいてない?」などの状態の確認が必要ではと思う。

この感情の言語化が出来ないと『アフェクトフォビア(情動恐怖)』という状態になって、他人の強い感情に触れるとコミュニケーションを途絶えさせてしまうらしい。
女性側が「話し合おう」としても、男性側が「聞きたくない」と遮る状態……よく聞くけど、あれは『相手の感情に恐怖を感じているから』だったのか。

感情が分からない人には、絵文字がお勧めとなっていた。
私もさっそくカレンダーに感情シールを張る事にしたけど……。単純にシールを張るのが楽しくて、どの感情でもよくなってしまった。シール、楽しい。怒りマークのシールも作ったのに、にっこりマークだけで十分楽しい。

男性たちは『男性特権』について知る事から始める。そして、『弱さを認める』事が必要という事が書かれていた。


第4章 セクハラ・性暴力について男子にどう教える?

男の子を加害者にしないためにも、性暴力について教える必要があることが書かれている。
性暴力の厄介なところは「同性同士」になると、性的な意味を持つ接触ではないからOKという雰囲気だと思う。同性異性に限らず、「許可のない接触」は基本的にアウト。

この章で「7SEEDS 作:田村由美」がレイプ未遂事件を描いているとなっているけど、正直、この文脈でこの作品を勧めるのはどうかとも思う。だって、この作品のメインはそこではない。レイプ未遂が重大だという事は分かるけど、でも、その前も他の男たちも色々やっている。野生の中では男の理性など存在してる方が不思議だと他のキャラも言ってたけど、環境が特殊過ぎてこの作品を引き合いに出されてもピンとこないし、その環境で「レイプがどうのこうのなんて文明的な話ができるまともな感覚が残ってるのもどうかしてる」とも思ってしまった。

この流れでお勧めするなら「問題提起シリーズ作品 作:ももち麗子 『ひみつ』」の方がまだわかる。けど、ちょっと作品が古い。現代のこういう系統の作品ってないのかな。

現実の性暴力は「エロネタ」ではないし、男性こそ女性の声に耳を傾けて、性暴力排除の声を上げよう……と本では綴られていた。でもこれも、「女性はか弱くて可哀そうだから」になると、違うんだよなと思いながら、読んでしまった。


第5章 カンチガイを生む表現を考える

「エロいことになっている」から「エロく」感じる。p184

初っ端からその通りだなと思って読んでしまった。性欲とは学習である。パブロフの犬のように教えられた「エロ」にエロさを感じているというのはある。未成年者が書くR18作品からもそれがありありと分かる。

話題の萌え絵炎上や、お色気シーンは性暴力など、表現のあれこれが書いてある。
「性表現」が悪いのではなく「性暴力を娯楽にする表現」が問題とはっきり書いてある。たしかに性表現だけで言うなら、ミロのヴィーナスやダビデ像なども問題になってしまう。実際に「教科書でもそんなものを見なかった」と言っている世代がいたので、今はそうなのかと目から鱗だった。

性教育がエロだというのも間違った表現から「性的なモノは全てエロい」に変換されているからだと思う。性教育は「発達・同意・人権・病気予防」など様々な観点からも必要なものだ。それを「性器の話」にすり替えて「エロい」になるのは解せぬと思う。


「母親として、息子・娘に何を伝えられますか?」p205

父親世代は諦めて、新しい世代の子供たちは今までの性別役割意識のアンインストールをしよう……とある。そして、その大変さも書いてある。周囲が持っている価値観を子供も受け取るから。
男性たちも自分の性欲を搾取されてるという視点は新しいと思った。確かに「男性視線のエロ」があふれてるのは、それだけ「男性の性欲で金を落としてもらうため」なのでその意味では「搾取」だろうなと。女性側になると逆で「売られるためのモノとして見られる」という意味での搾取になるのも忘れてはいけないけど。

子供の時間は短いので、早めに手を打つ方がいいとも書いてある。大きくなればなるほど、修正が難しくなるのは分かる。


第6章 これからの男の子たちへ

弱さを見せる。性暴力を笑わない。男性には特権があるのだから、それに気が付いて女性と一緒に戦うという事が書かれている。まとめとしての章。



感想は書ききれなかったので、また借り直してきて(5月)感想の続きを書きました。
無理はしないのが一番です。


買ってしまおうかと迷うくらいの本。読んでよかった。

『これからの男の子たちへ』