ぼくがスカートをはく日
– 2018/7/31 Ami Polonsky (原名),
エイミ ポロンスキー (著), 西田 佳子 (翻訳)
「ぼくがスカートをはく日 著:エイミ・ポロンスキー 訳:西田佳子』を読んでみた。
図書館で借りた本。
トランスジェンダーのお話。児童書なので読みやすい。
物語のあらすじ。
第一章 鏡に映る、ぼく
グレイソンは女の子の服を着たいと思っている。しかし、着ることができないので、長いすそのある服を着て目を閉じて自分がスカートをはいていることを想像して我慢する日々。ある日、アミリアという転校生の女の子と仲良くなり、一緒に古着屋に通うようになる。やがて、アミリアは他の子と仲良くし始め、グレイソンとアミリアの関係はぎくしゃくする。そんな中で、グレイソンは演劇のオーディションを受けることにする。グレイソンが受けたのは女の子の役のベルセポネだった。
第二章 母の手紙
アミリアと新しく見つけた古着屋でグレイソンは女の子の服を選び、アミリアに笑われてしまう。その後、二人の関係は完全に断たれてしまった。同じころ、グレイソンの祖母が亡くなる。遺品の中にあった母の手紙をおじから受け取る。その手紙にはグレイソンが女の子として振舞っていたことが書かれてあった。自分は『女の子』だと確信するグレイソン。しかし、おばさんはそれに猛反対し、おじさんは渋い顔をする。さらに、演劇の役がベルセポネに決まったという知らせを受け、おばさんは役を決めたフィン先生を非難する。それでも、『女の子』だと確信したグレイソンは『ぼくがベルセポネなんだね』と役を引き受けることにする。
そして、演劇の練習が始まる。
第三章 グレイソンとベルセポネ
着々と進む演劇の練習とは裏腹に、フィン先生が『グレイソンに女役を与えた』という事で、教師を辞めるのではないかという噂が広がる。何も言わないフィン先生にグレイソンは不安を増していく。さらに、学校では嫌がらせが増えていた。同じ演劇仲間の先輩がグレイソンをかばう事もあるが、一人の時はただ耐えるだけのグレイソン。演劇の発表が近づき、フィン先生はグレイソンに『校長に二人きりで話してはいけないと言われたから、話しかけられなかった』と伝える。そして、『教師を辞める』ことを演劇のみんなに伝える。ショックを受けつつも、理由が分かりホッとするグレイソン。
しかし、発表当日、男子生徒に階段から突き落とされ手首を骨折してしまう。ギプスの色をピンクにしたことでおばさんはまたも怒り出したが、おじさんがそれをなだめた。傷は演劇にはさほど影響せず、演劇は大成功をおさめ、フィン先生は学校を去っていった。寂しく思っていたところにフィン先生から手紙が届き、グレイソンを勇気づける。
授業の準備の合間にトイレに入ったグレイソンは女の子の格好を皆の前にさらすことにする。
「わたしは、ドアを開けて教室に入った」
ラストが、それまでの『ぼく』から『わたし』になっている。けど、これ……英語だと同じなのでは?と思ってしまった。いや。違うのか?うーん。よくわからない。
でも、この最後の訳がすごくいいなと思った。
いくつか女子トイレに入りたいというシーンがある。結局は入らないけれども。
これがよく分からない。ただ『女の子の場所に入って、自分が女の子である』と確かめたいという事にしか見えない。しかし、大半の女性にとって、別にトイレは『自分が女の子と自覚するための場所』ではない。ただの『排泄場所』であり、男性用と分かれていることで『安全に』使える場所であるというだけでしかない。
つまり女性であるという事は『男性への脅威』を常に感じるという事で……別にスカートはきたいとか、三つ編みしたいとかではないんだよな。
たぶん、私がトランスジェンダー……特にトランス女性が理解できないと思うのは、その辺りなのかもなと思った。
女性の服を着たいけど、それが出来ないから色々と工夫する点はいいなと思った。
思春期のこじれていく人間関係とか、新しく結ばれる友情とか、近しいわけじゃないけどそれほど遠いわけでもないみたいな中途半端な距離感とか……そういう繊細な空気感みたいなのは好みだった。
思春期のあれこれと思って読むとそれほど気にならない。ただこれを『トランスジェンダーの話』と思って読むと、細部がもやもやする。
でも作中では誰も『トランスジェンダー』とは言わないし、本人もそうだとは言わない。
ただ『女の子の格好をして、女の子として扱ってほしい男の子』として書かれている。服装に関しては『何も言わない』キャラもいるけど、主人公は『自分がおもちゃになっている』自覚がある。可愛く髪を編んでくれるのも、女の子たちは面白がっているだけだと。
それはそうだな……と思うけど、それは年少の女の子にも同じ対応だと思うので『男の子だから』というものでもない。女の子の側にはそれを楽しむ余裕があるというだけの事。
女子トイレまで入りたいって言ったらドン引きされることがわかっていて、主人公も言わないまま物語が終わる。女子トイレの扱いだけが気持ち悪い。
トイレも大用トイレと女性用は同じ形なのでなぜ『女子トイレ?』
これ、男性用トイレの大用に入って『女性気分を味わう(座って行う)』ではダメなの?
それとも、女子トイレに入れないので女性用トイレの形を知らない……という話だったのだろうか?いや、それはないよね。女性の気分を味わうために服装ではあんなに創意工夫していたのにトイレになると途端に『女子トイレに入る』になるの不思議。
でも、こう書くと差別なのだろうな……。
そんな本だった。