【大型判】わたしのせいじゃない せきにんについて
– 2017/2/17 レイフ・クリスチャンソン (著),
ディック・ステンベリ (イラスト), 二文字 理明 (翻訳)
絵本「わたしのせいじゃない ―せきにんについて― 文:レイフ・クリスチャンソン 訳:にもんじ まさあき 絵:ディック・ステンベリ」を読んでみた。
図書館で借りた6冊のうちの一冊。
こちらも、『かぞくのほん』と同じく絵本だけど、内容が重く深い。
また、色味も白黒一色で楽しいと思わせる仕掛けはない。
読者年齢は高めに設定されているような気がする。でも、私が勧めたいのは大人。大人こそ必要な絵本。
教室で泣いている男の子に対して、周囲が『わたしのせいじゃない』という理由を書き連ねてある。
絵は泣いている男の子とクラスメイト達。話している子の絵がページごとに違うだけで、他の部分は一緒。
文も一ページ毎にクラスメイト達の『言葉』しか、書かれていない。
あまりにもシンプルだが、シンプルゆえに文章が刺さってくる。
『学校のやすみじかんに あったことだけど わたしのせいじゃないわ』
『はじまったときのこと みていないから どうしてそうなったのか ぼくはしらない』
こんな感じで、一ページに文章が一つのっている。
誰もがなぜそうなったかを語らず、『じぶんのせいじゃない』事だけを語る。
そして
『たたいても わたしは へいきだった みんな たたいたんだもの わたしのせいじゃないわ』
という文章が誰の語りでもなくクラスメイト達の絵だけで語られる。
最後に真っ黒なページに白い文字で『わたしのせいじゃない?』という文字だけで終わり。
いじめと被害者叩きを示している本かと思えば、さらにこの後に世界で起きた被害の写真が載せられている。
つまり、教室の中という小さな出来事だけではなくて、世界規模の話もそこに通じるよねという話。
規模が大きすぎて……心にぐっさりと刺さってしまう。
責任とは、『その問題にどう対処したら、解決するか考える当事者意識を持つ』という事。
その為に必要な知識と情報をかき集める事からしか始まらない。
絵本は延々と『わたしのせいじゃない』という理由をあげつらっている。
本のタイトルから考えると、『でも、責任はあなたたちにもあるんだよ』という事だと思うケド、この本はある意味では恐怖しか与えず、必ず大人のフォロー必須の絵本のような気がする。
しかし、大人側が一方的に子供に恐怖を与えるために子供に読ませるという可能性もあるので、使用法を間違えると危険な本なのではないだろうか。
大人側がしっかりと、『問題解決のために情報が欲しくて聞いているだけ』『情報を大人に伝える事が、いじめられた子供を救う事になる』という点まで伝えないと子供によっては、『責められ続けるから言わない』と頑なになる可能性もありそう。
この本も姪っ子に見せたけど、数ページで飽きてしまった。でも、この本は難しいので仕方ない。
私も伝え方が難しいなと思って、諦めてしまった。
とても個人的な読み方をするなら、『何を言っても他人(当事者ではない人間)は批判するものだから、他人の批判など聞くに値しない』という読み方も出来る。
と同時に、自分はどうかと振り返ると……間違う事も多々あるよね。という、反省の気分になる。