私はいま自由なの?
男女平等世界一の国ノルウェーが直面した現実
– 2021/9/28 リン スタルスベルグ (著), 枇谷 玲子 (翻訳)
「私はいま自由なの? 男女平等世界一の国 ノルウェーが直面した現実 著リン・スタルスベルグ 訳:枇谷玲子」を読んでみた。
スウェーデンの本の次はノルウェー。同じく北欧で男女平等が進んでいると言われている国。
スウェーデンの方は『男女平等』を感じると書かれていたけど、この本はタイトルからして何やら怪しい。どんな内容なのか気になって手に取ってみた。
『はじめに 胸騒ぎ』
男女平等が実現されている国ノルウェー。だけれども、その間で混乱している人たちもいる。
フェミニズムにおける七つの自由
1.女性が男性と同じ機会と権利を得られる自由
2.特別な措置を受けられる自由 ――例えば女性が妊娠、出産、授乳にまつわる特別な権利を得る自由
3.主婦としての人生を送らなくて良い自由
4.経済的な自由
5.ワークライフバランスの取れる生活を送る自由
6.職場における不当な権力関係からの自由
7.自らの日常と周りの社会、両方に参加し、決定できる自由
これらの7つがある。
本当にそうだろうか?と疑問を投げかけるのが最初の『胸騒ぎ』である。
ただ、この『はじめに』においてすでに本の内容の殆どが書かれているような気がする。
第一章 「仕事と家庭の両立」という難問
簡単に言うと、ノルウェーにおいて仕事と家庭の両立は簡単ではないという話。社会が求める女性はフルタイム=8時間労働の女性であり、子育てをしながらも賃労働する事が良い事とされている。子どもと家にいる事は働くことほど価値がないとされている社会になっている。
ノルウェーでの価値観と、その価値観に合致しない女性たちの苦しみが書かれている章。
第二章 70年代の神話と社会変革の夢
70年代の女性解放運動は記録がなく、嘲笑の的だった。それでも仕事と家庭の両立を目指して活動が行われてきた。80年代には主婦への尊敬は失われた。市場経済と結びついたフェミニズムは女性を労働市場に押しやった。
ざっと現代までのフェミニズムや女性解放運動。福祉のあれこれが書かれている章。
第三章 仕事をすれば自由を得られる?
子育て中の母親は仕事をすれば、子供を保育園にやる事に罪悪感を覚え、仕事に集中できない事にも罪悪感を覚える。それでも、仕事は自由を得る事が出来るのかという話が書かれている。
P189 「家事のレベルや段取りを批判する人は大抵、家事をしてもらっている人、家事がどんなふうに切り盛りされているのかを知らない人たちです。批評家気取りの男たちは自分が外で業績を上げられるかどうかを判断基準に議論をしばしば行うのです」
知らないから批判できるというのは分かるし、おそらく私もやっている。&やっていた。それでも、家事においては男女問わず出来た方がいいのだから『やってから言え』と思う。最低限、自分の身の回りを回せる程度の家事スキルは必須だ。
P218 『ケロッグ社の6時間労働はいかにして打ち砕かれたか』
6時間労働を導入していた会社で6時間労働が消えていくまでが書かれていて興味深かった。戦争で労働時間延長命令が出て6時間労働は消えていった。会社は『6時間希望』の人の部署を分けて「女子部門」と呼び、障がい者や高齢者を入れるようになった。という流れが細かく書いてある。
なかなか、エゲツない話である。
第四章 キャリア・フェミニズムと市場の力学
キャリアを望む事が良いとされる社会で主婦を選ぶとはどういう意味を持つのかという話が書かれている。
P253 保育所には、乳幼児に必要な注意を向け必要な慰めと快適さと遊びを提供できるだけの職員はいない
これは子供と一緒に居る事を選んだ女性の話として書かれている。その女性も保育所で働いていたからこそ、そう実感しているのだと。子供を1歳で保育所に入れるノルウェーで3歳まで待つ人達もいる。子どもたちは保育所でたくさんのストレスを抱えて過ごすが、それをケアしきれてはいない。
という事が書かれていた。ふと思ったが、この著者の子供時代は保育所入所はいつだったのだろう?いや。保育所には行かなかったのだろうか?と思ってしまった。私は3歳からだったが、保育所で言葉を発さないという状態で3年間過ごした。人によるし、時代にもよると言うのは分かるが、『子供を保育所に入れて、親が働く』というスタイルが常に良いものとはいえない。と同時に、『子供を保育所に入れずに、親と過ごす』ことが常に良いわけでもない。そんなジレンマがこの本の中全体で漂っている。
P354 三つの課題がある。
1.市場:今日のフェミニズムは私たち全員の肩に手をかける市場の力に抗うことができるのだろうか?
2.ステイト・フェミニズム:フルタイムで働きながら、子どもを一日保育所に預ける事が全ての家族にとっていいわけではないということを、ノルウェーの政治家や官僚たちは知っているのだろうか?
3.男性の役割:男性と女性は、福祉を得ようと競い合う代わりに、女性解放に向けたより大規模なプロジェクトを進めて、互いの居場所を見つけることができるのだろうか?
この本に書いてある事の大半がこの章でも繰り返されている。
女性を市場に押しやって男性も女性も疲弊しきっている社会からの脱出のための課題がまとめられている。
5章 「可能性の時代」は続く
p385 生きているうちは、今よりあともうちょっとよい人生を送りたいと常に願おう。たとえ世界一素晴らしい国に暮らしていたとしても。
高福祉のノルウェーでも問題は起きている。ただ、『問題があるからそのシステムは良くない』という事ではない。
日本はノルウェーほど高福祉ではない……と思っていたが、新聞には世界一長い期間の『育児休業制度』がある国となっていた。ただし、その制度を国民の殆どが知らないだけというおまけ付きだが。……日本の政府は制度だけ作って告知はしない。困ったら、行政窓口に行けと言うが、行政窓口はなるべく支援をしないシステムになっているので、出会えた職員次第で制度にたどる付けるかどうかが決まる。という職員ガチャシステムだと思う。
ただし、ノルウェーでも『働いていない人への風当たり』が強い事はこの本からも分かる。それが、育児のためであっても怠惰だと見なされると。
それは『市場経済に全ての人々を押しやった結果』だと本にはある。私たちは不必要なものを欲しがるように誘導され、高賃金を求め、労働をして消費をする事を求められる社会なのだと。
日本においても共働き家庭が半数を越えているが、ノルウェーとは事情が違っている。ノルウェーが人手不足のために労働を求めたのに対して、日本は『男性の賃金を下げる』ことで女性を労働市場にかり出した。つまり『男性一人の稼ぎでは家庭が回らない』のだ。
ただし、結果だけをみればまたノルウェーと状況は同じである。ノルウェーでは二人の稼ぎになり生活レベルが上がり、結果『男性一人の稼ぎでは家庭が回らない』ことになってしまったのだと。
ノルウェーと日本の最大の差は、日本が景気の停滞に陥っているために女性が働いているのに対して、ノルウェーは景気の向上で労働力が足りずに女性が働いている。
読みながら、景気部分だけを脳内削除すれば『仕事と家庭の両立に苦しむ女性』は日本でも同じであると思った。ただ、さらに日本では『二人でやっと回せる経済状況』なので、『子供を持つ余裕すらない』のが現状。
色々と考えさせられる本だった。
ダメだ。タイムリミットなので、本を返さなければ。
《 追記 》
本の内容をざっくりまとめる。
・主婦は「怠けている」という価値観へと変わった。
・誰もが「何でも出来る」と思っているが、実際は妊娠すると同時に女性は様々な事を緩やかに諦める。
・出産後も職場で変わらない働きを期待されるが、実際は『変わらない』ことは難しい。
・主婦を選んでも差別されない環境が必要。
・短時間労働が導入されれば、フルタイム(6時間労働)を選ぶ女性が増えるのではないだろうか。(現在は7・5もしくは8時間労働)
・違う階級の女性たちとも連携しなくてはいけない。
・子育てをベビーシッター(本の中では別の名称だったけど、忘れた)に任せたままにしていいのだろうか?
・貧困女性(ベビーシッター)の子育ては誰がやるのか。
・結局は、子育てや家事の価値は低いままである。
たぶん、こんな事が繰り返し書いてあったように思う。