だから、女は「男」をあてにしない
– 2001/4/1 田嶋 陽子 (著)
『だから、女は「男」をあてにしない 著:田嶋陽子』を読んでみた。
フェミニズム的思考のあれこれが書かれている。ただ、出版年度が2001年。……ちょっと内容が古い部分もある。とはいえ、全般的には頷きながら読んでしまった。
第一章 女であるキーワードは男がつくった
『口封じのための褒め言葉』という話の中に『きれい』『若い』『色っぽい』『美しい』と見た目を褒める褒め言葉しか言わないトークにがっかりしたというものがあった。今でいう『ルッキズム』これは、今も変わらない。
『「ナイーブ」の使い方』……「ナイーブ」は今ではあまり聞かない気がするが、確かに2000年ごろにはよく耳にしたような気がする。本の中では「ナイーブは英語圏では「単純バカ」の意味で使われる」と書いてあった。勉強になる。
『自由を束縛するパンプス』……これは確か、2019年に#Kutoo運動が起きている。でも、問題は確かに昔からあったのだと思う。……私はパンプスを履くような仕事をしてないし、ヒール3センチで見事にすっ転んだ女なので、ヒールがある靴は無理。
『処女でも非処女でも』……26歳の友人が処女で軽蔑されたという話と、昔は処女でないと結婚で機会という価値観だったという話。処女でも非処女でもその程度でガタガタいう人間たちがあさましい。ただこれ、男性は童貞が軽蔑対象のような扱いを時々目にする。他人の性行為に口挟む事が《はしたない》という価値観にはならないのだろうか。他人じゃなくて恋人だったら?妊娠と性病の心配を第一にした方がいいんじゃないの?と言いたくなる。
第一章は言葉を中心にしつつ、他も混ざっている。『看護婦の待遇』というタイトルもあって、そうか、この頃はまだ『看護婦』だったのかと思い出した。今は『看護師』に変わった。
第二章 男女の秤は、はかる前から男にかたむく
内容とは少し関係がないが、この章に『1999年男女雇用機会均等法の改正で、「男性のみ」「女性のみ」の募集は例外を除いて禁止された』とあった。その年からなのか……でも私の時代(2000年代半ばぐらい)にもまだ暗黙の「男性のみ」「女性のみ」はあった。制度があっても人の認識が変わるのはタイムラグがある。今はどうなのだろうか? 今も暗黙の性別雇用があるのだろうか?
『出版社の対応の差』……出版物が外国からの非難を浴びているという話。一つは文芸春秋発行「マルコポーロ」の「ナチ『ガス室』はなかった」という記事。最初は言い訳したが、謝罪をしてその後は廃刊になった。
もう一つはデータハウス発行『タイ買春読本』こちらは、おためごかしを言っていたが、世論に負けた形で絶版。
2019年には週刊SPA!の「ヤレる女子大生ランキング」が問題視されていた。時代は海外から、未成年(2019年時は大学入学時の18才は未成年)へと視点を変えたのか、マニアックな本だったものがたまたま晒されたのか。どちらにしても、男たちの思考は20年変わってない事を示してる気がする。
ナチについてはハーケンクロイツのデザイン商品をしまむらが売って2015年に炎上している。……こちらも意識の向上はしていないのかもしれない。
『住み分けシステム』……お店で料理が出てきた後に、後ろの席の人間が喫煙を始めた。店員に伝えると、こちらが移動させられたという話。喫煙についてはこの20年で喫煙者が減った。以前は我が物顔で吸っていたが、今では分煙で喫煙席・または喫煙スペースでしかすえない。これは都会ほど厳しい規制がある。道端でさえ吸う事は基本的にダメなのだから。また、煙草の値段が上がって禁煙したという話も聞く。このタイトルの通り『住み分けシステム』が進んだ社会になっている。
ということで、今ではありえないような話だなと思って読んでしまった。ただ、小さなお店では分煙しなくてもいいので、喫煙者と絶対に会わないというわけではない。
第三章 女のモーツァルト 女のプラトン
『内なる敵と外なる敵』……お茶くみの話。私もやったなぁ。お茶くみ……自分でやれって言いたくなるけど、社会ってそういうものなのかなという意識もあって言い出せなかった若い頃の私。今なら、薄く作って出す。
他にも結婚後の女性は弱くなるなどが書かれていたけど、気になる話題がなかった。
第四章 パンツを洗わない男たちへ
一番気になった章。
『女性差別温存に加担するCM』……洗剤や台所、衣類などの(テレビ)CMの殆どが女性だと言う話。これに関しては、今は少し変わってきている点もあると思う。ただしやはり、女性の方が多め。さらにインターネットではエロ(女性への性加害)と思わせる広告が氾濫していてテレビはマシになったがインターネットが無法状態だなと思う。
『些細なことにこそ現実が凝縮』……「男になる」は自立して一人前になる事だが、「女になる」とは処女を捨てることという話。恐らく昔は「男になる」というのはそれこそ『命がけの通過儀礼』で山に登る事のようなものだったと思う。下手をすれば死ぬかもしれない経験をして男になれたけど、今は勇気を見せるとか仕事で成功するとかそんな意味だろうか。「女になる」は昔からそうだったのかは分からない。もしかしたら、初潮を迎える=女になるだったかもしれない。
とはいえ、どちらも男が『自らの経験を得て』「男になる」のに対して、女は「自動的に、または受動的にそうならざる負えない」事で「女になる」 この差は言葉からも感じるという意見には同意する。
『結婚しない女への警戒』……結婚しないというだけで、「男に興味がない」「レズ?」と言われたという話。さらに、レズビアンだと言えば「男を知らない」「一度やればわかる」などと言われるとあった。……うわぁ。うん。それさ。実際言われたわ。と思いながら読んだ。ただアレは20004年代だったので、今はどうなのかは知らない。
第五章 「女らしさ」「男らしさ」の行き先
『体ではなく、人格をセクシーに』……フェミニズムの視点が出来たら女を見る眼が変わってしまったレズビアンの話。それまでは男性的な視点で女性を見ていたのが、男性的な視点で見れなくなったという事。
うーん。好みは人それぞれ。私は女性の男性的な部分に引かれてしまうので、女性の女性らしい部分はちょっとと思ってしまう。そして、男性的な視点で見られると相手が女性であっても……嫌だなと思う。『個人の好み』と『社会が押し付ける価値観』の差はどこから来るのかは疑問。
『女性の地位向上と生理用品』……テレビのコマーシャルで生理用ナプキンの宣伝をしているという話。
今では介護用おむつや尿漏れ用パッドのコマーシャルまである。排泄は大切な生活の一部で『快適に過ごしたい』点であることに違いはない。ただ、やはり最初は恥ずかしさを持って見てしまっていた。でも今は慣れてしまった。私も困ったら、尿漏れパッドを使おう。
『自立度とボケの関係』……ボケたくはないという話。
ボケや痴呆症という言葉を久しぶりに聞いたような気がする。痴呆症は今では認知症に変わっている。
『美意識の再考』……「男らしさ」「女らしさ」の美の規範から外れた途端に幻滅するという話。
男性が小指を立てて話すと「男らしくない」と考えて、何か理由があるのではと探ったりすることだろう。……私はこれを中学生の頃にやっていた。小指を立てて、身体をくねらせて話す男の先輩に対して『なぜそうするのか』を考えてしまっていた。今で言うなら、性同一性障害などというのかもしれないがそれさえも「男らしさ」「女らしさ」の規範を出ていない。
私がするべきだったのは、『彼はその仕草や好意に美意識を感じてそれを身に着けている』と理解する事だったのかもしれない。と、今なら思う。
ざっくりと感想を書いてきたが……実はこれ、返却日ギリギリに書いている。読み終わるのがギリギリになってしまった。