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「ダメなときほど「言葉」を磨こう」を読んで

2024/02/27

ダメなときほど「言葉」を磨こう
– 2017/6/16 萩本 欽一 (著)

これは、妹が借りた本。面白そうだったので、妹が読んだ後に借りた。

ちょっと独特すぎて、合わなかった。
努力・根性が少し強い。いや。言いたい事はわかるケド、私はそれはちょっとなと。

でも単純に「こんな言葉が嬉しかった」「こんな言葉が素敵だった」という点は、共感できるものも多かったので読んで損だったとは思わない。


一番もやっとしたのは、高校の先生の言葉で社会の理不尽さを知ったという点。その歳(15歳か18歳か知らないけど)まで純粋に『社会は平等である』と信じられたのすごいなとしか思えなかった。先生の言葉があろうがなかろうが、『社会は理不尽で不平等である』ということはうっすらと気がつけるものではないのだろうか。


私がこの本が合わないと思うのは『その純粋さを私は持ち合わせていない』からかもしれない。

0点こそ「カンニングをしなかった。偉い」と褒めろとあったが……小学三年生の姪っ子は「カンニングしたのに、間違えた」というほどカンニングで点数を取ってる。しかも、親が「カンニングに気が付かない先生が悪い。だから、気が付かれないならしていいよ」とお勧めしてます。


欽ちゃんはカンニングを子供に勧める親がいるというのを知っているのだろうか。と思ってしまう。
ついでにその『姪っ子の親=妹=この本を借りた人』です。


一度は100点を取った方がいい。その方が『出来る子』と『出来ない子』の気持ちが分かる。とあったけど、そもそも『学校のテストで100点を取れない子供たち』もいるわけで。
識字障がい者は知的に問題がなくても読めない書けなくて、学校のテストがダメとか。
学校のテストでなくてもいいのかもしれないが、「自分の子供たちにそう言って、実際に100点を取ったから後は好きにしろと言った」と書いてあった。それでも100点を取れない子どもたちはいる。


出来る人は結局『出来る人』の気持ちしか分からない。

100点がペーパーじゃなくて、100m走で1位でもいいとか、夏休みの工作で最優秀賞とかだとしても、その子が1位を取れる場所を知らなければ永遠に『出来ない場所で出来ない事を努力する』ことになるわけで。
そして、どこで咲けるかを知るには情報が必要。それを与えてくれる環境も必要。子供が自分でそれらをつかみ取るには金も環境も足りなさすぎる。

そういうのはサクッと抜けて、『子供自身の努力』の話なので子供の話も好きではない。


合わない点は多いが、素敵なエピソードもある。
『質問への答えは思いついたものではなくて、言葉を一つ捻る』というのもなるほどと思えるので、読んだ感想は……半分は素敵。半分は合わない。
訂正。大半は合わない。ファンなら素敵に見えるのかもしれない。

『ダメなときほど「言葉」を磨こう』