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「新世界より 下」を読んで

2024/02/22

新世界より 文庫 全3巻完結セット
– 2011/1/14 貴志 祐介 (著)

「新世界より」を読んでみた。
最後まで読み終えての感想。
世界観は好み、それだけ。キャラもストーリーも魅力が見出せず、私には合わなかった。


キャラクターに感情移入が出来ない。
物語の語り手である主人公が訳が分からない。差別対象であるバケネズミに対して哀れみはかけるが、優しさは最後まで皆無である。しかしその『哀れみ』が文面だけでは一見『優しさ』に見えてしまうので気持ち悪い。
差別はダメだとか、生き物は大切にという思考ならばそれを一貫して示せばいいのにユラユラとその時その時で言う言葉が変わる。
いっそのこと「偽善者である」と自分が言うか、誰かが指摘してくれたらいいのだが、そんなシーンは一切ない。


とにかく、主人公は無自覚な偽善者という最悪の性格をしている。
これがテーマなのか? 人は無自覚で偽善的であるというテーマなのか?とすら思うが、そこには傷つく相手がいない。バケネズミは差別される事が当たり前。多少不満をぶちまけているが、それについて『引っかかる』程度の感覚しか主人公は持ち合わせていなくて、深く考えているようには思えない。


ただ、上巻は『子供時代』だったので知識の足りなさなどを考えれば、まだ飲み込めた。
下巻は途中で大人になるのだが、ここでも同じような性格だった。ラストの醜態は『人間とは己の命になるとこれほど醜悪になる』という事を示したいのかもしれないケド、世界観と物語の流れから考えると「自分の命をかけるのは嫌だが、バケネズミの命ならばいい」とここで言ってしまうのは……無様過ぎる。

世界観の素敵さと人物像のグロテスクさの対比なのだろうか。


主人公は女性キャラだが所々、女性として考えるとおかしいなと引っかかる点が多すぎる。初性交渉でも「文字通り痛感させられた」となってたが、それは拒否していいやつだし痛いけど我慢するというのは男側の都合なのだが。性に奔放だが性教育も行われてないし、男女差別もしっかりと残っているというのがこの言葉からでも透けて見える。

ただ気持ち悪いのは、表面上は「男女差別のない世界」を描いているのである。

男性が見た「男女差別のない世界」というのが見えてしまって読んでいて気持ち悪い。だったらまだ、男性キャラの視点で書かれていた方が読みやすかったかもしれない。もしくは一人称ではなくて、三人称で。どうでもいい点(夫婦別姓や役職に女性がいる)で、男女平等を演出しているの気持ち悪い。


バケネズミへの差別も最終的には「気持ち悪い姿にさせられた人間だった」と気が付きながら、人間とは認めない。先祖がおぞましい行為を行ったことへの嫌悪感もさらりと流されている。
最初から最後まで何も変わらず、ただ「被差別者の反乱が失敗した物語」で終わる。



さらに、「世界観」を成す愧死機構も設定が緩い。
愧死機構とは「人間を殺した時に発動する自殺機能」ということだが、これは『目視で相手が人間だと認識する』という条件がある。これだと「認識せずに人間を殺した場合」は全く役に立たない。呪力で見えない場所でも感覚で物を動かす事が出来るのだから、事故は多発しそうと思うのだが。その場合愧死しないと言える。

下巻には覚と早季がお互いの身体を呪力で放り投げるという無茶ぶりシーンがあった。着地を誤れば死ねるだろうし、覚の方は反応が遅れて腰を打ったという表現があった。これも一歩間違えば呪力による殺人が行えてしまう。


そしてこれは、『呪力による殺人』だけかと思っていたが、道具を使って殺した場合も同じように愧死機構が発動するらしいと下巻を読んでわかった。最終的にそれは『同類を殺したという罪悪感によるもの』という……そんな曖昧なという話に落ち着く。

この世界観には残虐なものはないという事だが、それにしては残虐にバケネズミたちは殺されていくし、安易に殺戮と言う名の殺処分が行われていく。その残虐な殺し方は、どこで学ぶのだろうか?と思う。殺すだけならば脳の中枢を一発で仕留めるのが一番苦しまなくて済む。内部破損ならば血も出ない。周囲のバケネズミへの恐怖も最小限で済む。なぜ、非効率な『虐殺』でバケネズミたちを殺すのか分からない。


そういえば、下巻では15歳の子供に「愧死機構」の話をするシーンがあったけど、子供は「愧死」という言葉すら知らず「何それ?」と返していた。上巻では12歳の主人公たちが「愧死」の意味を知っていてそれはタブー視されている……と書いてあったような。10年の間に子供に愧死を教える事をやめたのか?と頭を捻ってしまった。


『たとえ、そのために、もう一度、すべて灰燼に帰することがあっても。決して信じたくはないが新しい秩序とは、夥しい流血によって塗り固めなければ、誕生しないものなのかもしれない』

最後の方に主人公がそう書いている。その後に、新しい命が宿ったと続く。その命を次は捧げる事になってもいいという話なのだろうか。


なんというか、何を読まされているのか分からない。
『新しい秩序』とはいったい何なのか。バケネズミは変わらず使役対象だし、子供達も間引きの制度が消えているとは書かれてない。変わったのは『周囲の町や海外と連絡を取るようになった』という点だけ。

正直、そこ? ここまで、バケネズミについてあれこれ書いてたのに、そこは完全スルーして記述されるのが『周囲の町や海外』の事なの? という気持ちになった。海外の事なんて、上巻で『大陸から来たバケネズミ』程度の事しか書いてなかったのに。


バケネズミのコロニーを処分してる時点で『今までの体制は維持』
社会を変えるのは難しい……という話だとしても、バケネズミに対しては何の救いもないまま差別社会が継続されている。



これがバケネズミ側の話ならばまだ心地よく、戦って散って逝った者たちの話として読めそうだけど、人間側は差別を差別と理解しながらも『人間とは思えないから当然』と正当性を主張してさらりとそれらを忘れていく。


「私たちは人間だ」とバケネズミが裁判で叫ぶシーンがあるケド……少し前「私は人間です」と裁判で演説した被害者のニュース記事を思い出した。そこからなのだろうか?
バケネズミの方が人間らしくて、リアリティがありすぎるだけになぜ加害側の人間視点で物語を書いたのか分からない。

そして加害者が『それくらい大したことがない』と思ってしまう部分まで同じなのである。大したことがないから、『子供は希望だ』などと言えてしまう。


大したことがあると思えば、『人間をバケネズミに変えてしまうような残虐な人間の血を続かせる』事にためらいはでる。バケネズミを殺す事は人間を殺す事に等しいと一瞬でも考えていたはずの主人公は数年の歳月の間に『やはり人間とは思えない』と意見を変える。

加害者側の残酷さだけが最後まで描かれるが、それが『子供は希望』という楽観的なもので終わるグロテスクさ。千年後に答えを求めると未来に問題を丸投げするエゲツさ。



千年後ではなくて、今、答えを出せと思ってしまう。

産まれてくる子供が間引きされても、文句は言わない。生まれてくる子供に同じ災厄が降りかかっても後悔はしない。……その決意の上での『子供は希望』なのだろうか?



『想像力こそが、全てを変える』
最後の言葉がこれだったけど……何が変わったのか分からない。人間だと知ってもなお、人間とは思えないバケネズミ。間引きされる子供の存在を知りながら産む我が子。
悪鬼や業魔の発生が増えていると知りながら、「子供は希望」と言えてしまう不思議。
さらに突くなら、妊娠中はホルモンバランスが崩れて不安になりやすい時期でもあると思うのでこんなに楽観的に考えれるのいいなと思った。もちろん、ホルモンの影響は人によって違うのだから、この主人公はそれほど影響を受けてないのかもしれないけど。


『想像力は何も変えない』というのが、この物語だと思う。


作者が言葉遊びが好きというのは作品を読んでいて分かる。前に読んだ「悪の教典」も言葉遊びが沢山あった。
でも、言葉が軽すぎて『虐殺』『エロファンタジー』がこの作者の好みなのかなと。あと「うんちく」


それ以外のものを作品から読み取れなかった。


文章自体は読みやすくてサクサク読んだけど、それは楽しいからとか面白いからではなくて、さっさと次の本を読みたいという気持ちから。


物語の設定も世界観も好みなのに、合わない。

『新世界より 文庫 全3巻完結セット』