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「差別はたいてい悪意のない人がする」を読んで

2024/02/22

差別はたいてい悪意のない人がする
– 2021/8/26 キム・ジヘ (著), 尹怡景 (翻訳)


「差別はたいてい悪意のない人がする」を「82年生まれ、キム・ジヨン」と一緒に図書館で借りた。

どちらも韓国の話で、一部は話が被っているところもある。

「82年生まれ……」の方は小説だが、「差別はたいてい……」の方は差別の説明の本。この本のお陰で「82年生まれ」の本で掴めなかった韓国の男女差別がより深く掴めた。


実は書いてある内容自体は、あちこちで見たなと思ってしまった。というのも、ツイッターでそのような人たちを何人かフォローして情報を得ているから。この本もそんな人たちの紹介で知った本なので、全く白紙の状態で読んだというものではなかった。

それでも、私の中の足りなかったピースを埋めてくれるには充分で読む価値があった。



1部は『善良な差別主義者の誕生』

差別構造が組み込まれている社会で、私たちは『差別を内在化して』『差別を再生産して』いるという話。
差別は見えにくい。
理由はいくつもあるけれども、『自分の立ち位置』しか自分で経験して知る事が出来ないからと言う理由が大きい。
マイノリティと言われる人たちでさえ、立ち位置が変わるとマジョリティになり他のマイノリティを排除する。
女性と言うマイノリティが自国民と言うマジョリティになり、難民と言うマイノリティを排除する例が出ていた。立ち位置が変わるという事がどんなものなのかが分かる。

p65『差別は私たちが思うよりも平凡で日常的なものである。(略)誰かを差別しない可能性なんて実はほとんど存在しない』

差別だと言われて傷つく必要はない。ただそれを『間違った行動』だと認め、『正しい行動と認識』に変えていく努力をするだけ。
努力なしには平等な社会は訪れない。待っていても何も変わらない。という章だった。


2部『差別はどうやって不可視化されるのか』
4章『冗談を笑って済ませるべきではない理由』この章が一番読みごたえがあった。

「誰がそれに対して笑うのか」「なぜ笑えるのか」を考えると、それは笑えなくなる。冗談は他人への侮辱で笑いを取っている。その集団を侮辱していいと何度も繰り返し伝える事で、社会はそれを容認する。
それに対抗するには、笑わない事でそれは笑えないのだと伝えるしかない。と言う話だった。


笑えないものを笑わないのは、単に私が嫌な奴だからなのか?とか、冗談を冗談で笑わなければいけないのかと思っていたけど、この章は『笑うな』と書いてあってよかった。その理由もわかり易い。

笑えない冗談には笑わない。そんな単純な事さえ、差別社会では分からなくなる。

その後の章は、同性愛の弾圧の話なども入っている。キリスト教では同性愛弾圧が激しいというものを見かけていたけれども、韓国もそうだったのは初めて知った。


3部『私たちは差別にどう向き合うか』

p182『マジョリティは、マイノリティの話に耳を傾けないまま、彼らに丁寧に話す事を要求する』
これもツイッターでよく見かけた。そして、丁寧に話せば耳を傾けるかと言えば傾けない。声は小さく目立たないので『知らない』とそっぽを向く事が出来るのがマジョリティだ。


9章で『みんなのための平等』にみんなのトイレ論争についても書かれていた。
これについてはずっと考えていて、どう考えればいいのか分からないと思っている。
女性側は男性と一緒のトイレなんて使えないと言い、男か女かの二分法で困ってる人たちは性別で分けられたトイレは使えない。
『オールジェンダー・レストルーム』という皆のトイレがある国もあると紹介されている。安心安全なトイレ問題。盗撮する人やわいせつ目的の人が入って来た時点で、通報システムなどがあればいいのになと思います。が、そのようなシステムもプライバシーの問題でトイレでは難しそう。それでも、考え続けなければいけない問題だと書いてある。


p202『「差別されないための努力」から「差別しないための努力」に変えるのだ』

全てはそれに尽きる気がする。そして、無意識で差別をしている人にそれを訴えても、全く響かない事も知っておく。自分の利益が奪われる変化を望まない人たちには、無理なのだ。

世界は分断されている。だから、差別の構造は今まで残り続けてきたのだから。


私が出来るのはせいぜい『反応しない反応』だなと、この本を読んで思った。それでもブログでは小さく書き殴っているけど。
良書と思えたので、購入しようか迷ってしまう。本屋にあったら買おうかな。

『差別はたいてい悪意のない人がする』