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「キリン解剖記」を読んで

2025/05/05

ジュニア版 キリン解剖記
キリンの首の骨が教えてくれたこと
– 2021/12/13 郡司 芽久 (著)


「ジュニア版 キリン解剖記」を読んでみた。

コウモリと同じものかなと思って読んでしまったので、肩透かしを食らった。
コウモリの方は、延々と『コウモリについて』が書かれていた。それでいて、その文章が『コウモリが好きだから、コウモリを知ってもらいたい』という気持ちであふれていた。

対して、このキリンの本は『解剖記』なのだ。つまり、キリンについて書いてはあるがほとんどが『解剖』の話。さらに言うなら、この文章から感じるのは『こんなすごい事を発見できた私の事を知って欲しい』という『私の紹介』に感じた。

キリンの事で分かるのは『偶蹄目キリン科に属する動物』『キリン科に属ずるのはオカピとキリンしかいない』『キリンは4種類。日本の動物園にいるのはほとんどがそのうちの2種類』

長々と書かれている『キリンの解剖』に至っては、『著者は最初は訳も分からず解体した』『著者は初めての解剖は知識がなくて何が何だか分からなかった』『著者はキリンの第一胸椎が動く事を発見した』という……著者の話満載。


先にコウモリの話を読んだために比べてしまうのだが、それにしても『キリンが好き』よりも先に『頑張っている自分が好き』が前面に出過ぎている。
コウモリの本が『コウモリについていろんな事を知る事が出来た』という満足感で終わったのに対して、キリンの本は『子供に夢を持ってもらうための本だったのか』という感想で終わった。


『ジュニア版』となっているので、所々『好きを続けていれば、いつか仕事になる』というような事が書いてある。
確かに『好き』は大切だと思うし、子供に『好きを大切に』というのは分かる。が、大半の人間は大人にその『好き』を散々踏みつけられて現実を知って諦める。
何度も『チャレンジし続ける』というのは、本当の馬鹿か、天才か、現実が見えていないかのどれかだ。


そうは言っても、子供に限らず大人にだって『好き』は大切だとは思う。キリンの話じゃないじゃないか……という感想で終わるのかなと思っていた。


しかし、最後で『博物館に根付く「3つの無」という理念』と言う言葉が目に留まった。
【無目的、無制限、無計画】に標本を作り続けるという話。
「何の役に立つのか」は二の次で100年後に役立つかもしれないと、作り続けるらしい。


なるほどなと思った。目的も制限も計画もなしに、雑食のように知識や経験を積んでいつか『目的の仕事に就いているかもしれない』というこの本の趣旨とも合う。そして、忘れがちなその3つの無が大人にも必要なのかもしれないと思った。けど、良いと思ったのはそこだけ。



悪い大人な私は色々とモヤッとしたものが拭えなかったけれど、憶測はやめておく。

コウモリの方が読んでいてワクワクして『外に出てコウモリを探そうかな』という気分になったのに対して、キリンはモヤモヤして『キリンを見に動物園へ』とは思わなかった。むしろ、金の力ってすごいなと言う感想を持ってしまった。

動物園でキリンを見ても、死んだら東京近郊で解剖されるんだな……と思いながら、これから見てしまいそうである。そんな本だった。ついでに解剖されるのは様々な動物という事なので、動物園や水族館に行ったら次からは『これが死んだら解剖……』と思いながら見る事になりそうだ。


解剖自体には嫌悪も何もないが、そんな気持ちで動物を見たいとは思わない。

子供に夢を持たせるにはいい話。だけど、内容が子どもには難しい気がする。研究者の努力の話として読ませるものなのかもしれない。

『ジュニア版 キリン解剖記』