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「深海の迷路」を読んで

2024/02/21

深海の迷路 (講談社文庫) 
 – 2005/4/15 森村 誠一 (著)


「深海の迷路」を読んでみた。


私にはかなり辛い……昭和的価値観の本だった。(書かれてるの昭和だから、しょうがないとはいえキツイ)

物語は強姦被害者が殺され、強姦魔と放火魔(アベック)が犯人としてあがり捜査されていく。放火魔とみられていたアベックが殺され、強姦魔が掴まる。しかし最終的に、一家殺人の放火は『一件だけ全く別の殺人事件』という事になり、最後の犯人が捕まる。という話。


不満なのは男性がリードをするべきとか、女性が従うべきみたいな価値観ではなくて、強姦魔と普通の男性が同じ視点を持って同じ女性を見ている事。

強姦魔の視点
『獲物の肉叢(ししむら)を最も食べやすい状態にした犯人は、勝ち誇って牙を突き立てた』P20

普通の男(という設定キャラ)の視点
『先方から自分の網の中に飛び込んで来た形の獲物を食べやすい状態にするために剥奪した』P38


普通の男の方は、惚れた女を抱くというシーン。待てこら。強姦魔と同じ表現にするなと突っ込みたい。いや。男なんてこんなもんさと言われたら、身も蓋もないんだが……もっと別のなにかないのか。これじゃぁ。男はみんな、強姦魔と言われても納得するしかない。


しかも男の相手となっているのは同じ女性(強姦魔の被害者)
強姦された女性が普通の男性に惚れて……身体を許すというシーン。

結局女は、『獲物』で『喰う』ためのものなのかという絶望的な話としか読み取れなかった。


さらに酷いのはこの後

『女性の意思を無視して女体を蹂躙する男に、保科は同性として怒りをおぼえる』p40

どの口がそれを言うか。強姦魔と同じ視点を持っている男が感じる怒りとはただの『俺の女に手を出しやがって』という支配欲でしかない。
さらに、『女性の意思を無視して』いるのは、女を『獲物』と思っている普通の男も一緒。

出だしで本を放り投げたくなったが、その後は『事件』の話が中心になり男女のあれこれがなくなったので読みやすくなった。と思ったのだが、最後の最後で再び本を放り投げたくなった。


一家殺人に紛れた別の犯人が実は『被害女性を愛した女性』というシーン。
同性愛者への偏見と侮蔑が書き連ねてあって頭が痛い。

『男女の恋愛には、おとなの恋やプレイもあるが、レズビアンは倒錯しているだけに遊びの要素が少なくなる』p256

その遊びって何なんだ?おとなの恋って何よ?

その前の事件で散々男女のいざこざを書いていて、女を取られた男(アベックの片割れ)がカッとして新しい男(強姦魔)を殺そうとしたという話だったじゃないか。


それが大人の恋で、女性が女性を愛して他の男と結婚する事が許せなくて殺すのは『こども』だとでもいうのだろうか。
何が違うのかちゃんと説明してくれ。その前に散々推理して男女の三角関係のあれこれを語ってたのはどこに消えた?

なぜ、同性愛だけ『倒錯』になるんだ。異性愛だって脳内の『倒錯』でしかないじゃないか。


物語よりもその価値観の気持ち悪さに……どうしようもなくなった。
恋愛部分はもっとさらっと書いてくれ。ぐりぐり抉られるようで、読んでいて気持ち悪い。

そういう時代だよと言われたら、そうだよねと思うケド。最近、紙の本で読むのはハズレが多い気がして……辛い。

もうちょっとただ単に『物語を楽しむ』だけの本を読みたい。


本は2005年発売になっているけど、初版は1989年。昭和の差別感満載でした。思った本と違う事がこれだけ辛いとは思わなかった。面白くない本の方がまだマシ。

『深海の迷路』