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かさぶたの中

2023/07/15


『八本脚の蝶』を読んでいると、いろんなものがひきはがされて行った。


私は言葉を持たなかった。
物語は好きだし、本も好きだ。
けれど、むさぼるほどに読む本は手元には無かったし、『借りる』という行為もハードルが高すぎた。
図書室は私にとって異世界で立ち入っては行けない場所に思えていた。
本が好きであっても、異世界に立ち入る恐怖の方が勝っていた。


私が読んだのは、母や父が持っていた本と、親が買ってくれる本だけだ。


やがて、『気が付いてはいけない』『知ってはいけない』『判ってはいけない』というルールが出来上がった。
どこからそれがやってきたのか分からない。
けれど、現実は知ら無い方がいい事が沢山あった。


彼女にはそのルールがない。
むしろ積極的に『気が付き』『知り』『判ろう』としている。
私と真逆の……やはり、異世界の住人だ。





時々覗かせる『存在の根拠』も判るようでいて、ワカラナイ。
それが組み立てられてしまってる時点で、生きているのが不思議だ。
いつから彼女は、あちらとこちらの間で彷徨うようになったのだろう?
そう思いながら、彷徨ってる自分がいる事も自覚する。
同じではない。違うものだと意識しなければ、引き寄せてしまう。


物語として読めば、綺麗なだけの物語。
綺麗な言葉で綴られて、綺麗なものだけ集めて詰め込んだガラス瓶のようだ。


そして、死の約ひと月前の記事で私のかさぶたの中の女の子が叫び出す。
違うものだという意識などお構いなしに、『同じだ』とかさぶたを引きはがす。


それは私の中の……『彼女の死から一年後の私』

死ぬ方法を毎日のように考えて、明日が来る事を呪い。体をずたずたに切り刻んでいた私。
彼女が書く言葉が、私を切り刻む。


彼女は本の引用が増えた。
過去の私は毎日『生きてる』の一言だけをブログに書いた。
それ以外、書けなかった。
他人を恨めば、それはそのまま私に返ってくる。

『ただの思い込み』『勘違い』『被害妄想』

「辛い」……なんて言葉は書けなかった。言えなかった。飲み込んだ言葉で身体が重くなった。
そしてそのまま、身体ごと地面に沈んで帰って来なければいいと思っていた。



彼女は最後に詫びている。

『私がこうじゃなかったら……』

そんな未来はありえないのに、そう書いている。


そして、過去の私もそう思っていた。
「私がこうじゃなかったら、もっと楽だったのかもしれない」


バカバカしいほどに一致してしまう。
あれだけの世界を持って、知識も教養もある異世界の人間が
『過去の私』と一致してしまう。

それは私にとって『異世界』ではない。『現実』だ。



引きはがされたかさぶたの痛みの中で、
しごく冷静な私が落胆してしまった。


物語は物語ではなかったことに。
彼女がただの人であったことに。


そして、結局『自分の価値は自分で知るしかない』のだという事に。
そして、そのために必要なのは『知識』でも『教養』でも『友人や家族や恋人』でもないのだと。


私は残された痛みに呆然とした。
何を読まされていたのだろう?何を読んでいたのだろう?
かさぶたの痛みだけが、彼女の死に至るまでの痛みと同化してしまう。


私の近所には十三階建てのマンションなんてなかった。
これが、彼女と私の違い。


過去を引きずり出されてまで読んで得た結果が……これなのか?
こんなものなのか?
何故レビューはあんなにも、絶賛してるんだろうか?(もちろん一部、事実を述べてるようなものもあるけれど)



現実の自殺なんてこんなものだよねという、何とも言えない無意味さ。
言葉に出来ないだけで、もしくは、言葉が違うだけで、似たような思いを抱えて
『大人の世界と子供の世界の摩擦』で自殺は起きるんだな……と思えばいいんだろうか。


どうか、そんな思いを抱える人の傍に十三階の出入り自由のマンションがありません様に。
『八本脚の蝶』が十三階の出入り自由のマンションになりません様に。



彼女の父親は彼女が十代くらいから自殺の不安があったようだ。
彼女はブログに書くように、周囲(少なくとも家族や友人恋人)に自分の全てを晒していたのだろう。
そしてそれを否定される事はなかったのかもしれない。暖かく優しい視線で見守られていた。
だからこそ彼女は、もっと知を求め、生きる理由を探し、苦痛に耐えた。


他の似たような人間をイメージする。
大半の周囲は『そこまで考えるなんておかしい』の一言で足蹴にする。
共に語れる相手もいなければ、自分の意見を聞いてくれる相手を探す事すら難しい。
そして、求めることも探すこともやめてしまう。
下手をすれば、そのまま死を選んでもおかしくない。


彼女の『生き延びてしまった』は、そんな意味もあるのかもしれない。
それは幸せとは程遠く。
かと言って、死ぬことがいいとも言えない。同時に生きる事がいいとも言えない。
けれど、彼女は探すものを間違えていたのではないかと思えてしまって仕方がない。



さらに続ける。
醜美について。
彼女は『自分が醜い』と書いている。
それはどんな意味だろうか?
幼い頃の感性を忘れてしまう事だろうか?
それとも現実の肉体が衰え、老化していく事だろうか?


どちらもな気がする。


そしてそれは、『今の社会の価値観』に毒されてしまったからのような気がする。
この世界は変化する。
変化しないものは一つもない。留まるものも一つもない。
そうして、変化してしまった自分を受け入れられなかった言葉が『醜い』なのではないだろうか?
忘れないように記しても、読み直した自分に同じ感性が存在しない事はそんなに『醜い』事だろうか?
諦めてしまうのは、忘れてしまうのは、そんなに許されない事だろうか?


人は『醜い』それでも、『愛しい』

それではいけないのだろうか?