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ボイトレと私

2023/07/15

ボイトレ時の違和感はどこから来るか。



ボイトレに行っていると違和感がある。
別にボイトレ自体が嫌なわけではない。
ボイトレの先生が嫌なわけでもない。

が、不自然さを感じる。
初回で余計な事を言った感じは否めない。
私の弱さを見せすぎたと言うべきか。
弱いかわいそうな子だと思われている感覚がする。

弱さを見せた理由を勘違いされた気がする。
未だにその弱さを引きずっていると思われているのかもしれない。

私は私の弱さを整理するために話したに過ぎない。
見知らぬ他人に……だが、聞く姿勢のある人間に私はそれを話して最後の整理をしたかったのだ。
そして、その目的は私の中で消化されている。
この弱さを弱さとして、私はもう他人に見せる事はないだろうと思う。
話すならば、過去にあった事として整理された形で話すだろう。

再び話した今の弱さを私は先生に整理された形で話す事が出来なかった。
話すべき言葉は私の中にあったはずだが、出てこなかった。
憐みの目が私の言葉を遮ったような気がする。
「可哀そうな子」そう思われた事で私は「可哀そうな子」であろうとした。
私に必要なのはその先、『その弱さは何が原因なのか』であるはずなのだが私は自分の甘さに甘えたのだ。
話さない事で知らないふりをする。
それは私の甘えであり、甘さだ。

相手が私の言葉を誤った形で受け取った事を知りながら、私はそれを訂正しない。
相手のその誤解が私にとって都合のいいものであり、私を甘やかすものだからだ。
その甘えは不愉快であり、都合のいいモノ。

きっと、この状態が続くなら私はボイトレに行かなくなるだろうな。
どーにかしなきゃなぁ。
……弱さを見せなきゃいいのか。あ。結論が出た(笑
弱さを言葉にして、誤解されるのが嫌なんだから、黙ってりゃいい。

うーん。ま。しばらくは試験の為にボイトレに行けないし、保留って事で。