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「息吹」を読んで

2024/07/14

息吹 単行本 – 2019/12/4 テッド・チャン (著), 大森望 (翻訳)
息吹

「息吹 作:テッド・チャン 訳:大森望」を読んでみた。
9つの短編中編。

科学知識としては面白いのかもしれないけど、好みの物語ではなかった。
綺麗な物語でこれを好きという人たちがいるのもわかるけど、私はもっと泥臭い物語が好き。もしくはもっと『綺麗なだけ』の物語。そのどちらでもないので、好みではない。


:商人と錬金術師の門

タイムマシン(歳月の門)の話。アラビアンナイトのおとぎ話みたいな雰囲気で読みやすい。過去に戻っても過去は変えられないという事は、過去に戻るという事すらも『時間の流れに定められている物語』ってことなだけで……最後に主人公は20年前の世界に取り残されるけど、という事は20年間『自分が二人いる』時間が存在したという事なんだな……と思ってしまった。それでも『過去と今の自分が出会うことがなかった』というのは不思議。

年齢が違うとはいえ、『自分なので姿形はよく似ている』はずで、ご近所さんだったら誰かが指摘しそうだけど。この世界は『ご近所づきあい』がないのだろうか? ご近所がいなくても親族は?使用人は? 人間関係が『夫婦(恋人)』しかないのは不思議。

物語はそれなりに楽しく読めた。

:息吹
空気の流れが止まって死ぬ物語。
人間ではなくて、機械の話……ということらしいけど、これはこれで『こういう生物』の物語……なのかな。ただ、原動力が空気って。お手軽なエネルギー源でいいなと思った。
でも、死がないのに死を恐れるって不思議なような。いや。『死(消滅)の概念』への恐怖ということなのかな。でもさ。これ百年以上前の記憶はないって事はその時点で『この事実は百年後には自分の中から消えていて、それは死と同等ではないのか』という疑惑は持たなかったのだろうか。

機械だから『死んだら数が減る』なのか、『新しい個体がどこかで作られている』世界なのかも気になった。エネルギー消費が悪になるなら、新しい個体が作られてたらそれは真っ先に切り捨てられてただろうなと思う。

科学や機械の話は難しく書いてあるけど、でも思考としてはそこまで変わったものでもない。これ、どう読むものなの?機械や科学の話が細かくてすごいって思うものなの?それとも、勝手にあれこれ妄想して楽しむものなの?
機械だから現実感がないというのもわかるけど、それにしても社会構造はどうなってるの?と思う。空気だけで事足りるなら、衣服も住処も必要なさそうだけど、建物・住居はある。一次産業は必要なさそうだけど、ライフライン……空気提供と建築の仕事はありそう。あと芸術文化があることになってる。他の生き物は?この世界は、『機械だけ』で他の動物や植物が出てくる描写はない。でも、芸術があるなら『他の生き物・植物』は必要な気がする。いや。鉱石だけで芸術を成り立たせてるのかな。
他の生き物がいるなら、機械たちが死ぬことで他の生き物にも影響が出そうだけど……。そういうのもない。
『誰かが見つけてくれる』事を期待して終わってるのを見ると、微生物のようなものも存在しない無菌の世界なのかなと思う。劣化(変化)について書かれてるのが『空気圧の減少』しかない事が不思議。

考え出すとあれこれ疑問が尽きない。


:予期される未来
自由意志は存在しない。自由意志がないと知った人たちが無動無言症になる物語。
……これ、どういう世界なの?と思ってしまった。自由意志がないだけで動かなくなる世界が全く想像できない。人間関係が存在しないカプセル内だけで生きてるの? 家族・友人はどこ消えた? なんで、医者が説得を試みてるの?
その説得も「今月のあなたの行動にしても、あなたが自由に選択したものはなにひとつなかった。今月のあなたの行動も、その点ではまったくおなじなんですよ」
これが説得になる世界ってなに? ここは『ご家族友人も、あなたが今までと同じように接してくれるのを待ってます』とかではないの?
家族の概念が消えてる世界?友人もいないの?
これも現実感ゼロで、意味が分からなかった。人との繋がりとか、その外側。ペットでもなんでもいいけど、そういうものがない。

:ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル
デジタルペットの物語。
繋がりや愛情の話……なのかなと思ったけど、『これはそういう生物たちの物語』としか読めなかった。たぶんここに『愛情』『繋がり』『成長』『人権』などの話が絡んでると読めることもできるんだけど、薄っぺらいと思ってしまった。

デジタルあるあるの『デバイス』が古くなって、新しいバージョンに移すことができなくなり、新しくするための資金調達をどうするのか……という問題に直面。
そこに、「デジタルペットを性商品にすればいいですよ」というお誘いが来て、『世界最古の職業に就けと?』と返すのだけど……。この世界には売春婦はいない設定なのか、いる設定なのか考えてしまった。作品内で明確に『売春婦がいない』とは書かれてないし、それらしい文面もないので『書かれていないけど存在している』のかなと考えてしまった。現実で楽しむ人とデジタルで楽しむ人たちがいて、でも、主人公は『デジタルペットを性商品にしたくない』という人なのかなと。それはそれで、なんかグロテスクだな。

ただ、この世界と作品だと『現実でも売春婦はいるけど、それは闇に潜っていて、主人公のような階層の人たちには目に見えない』というさらなるグロテスク構造になっていそう。
作品では『デジタルペットを性商品にするかどうか』『ペット自身がそれを望むなら、そうしていいのでは』という話になっているけど、これ現実にある議論と変わらないので吐きそうになった。そうやって『売春は仕事』と言ってる人たちがいるけど、現実の世界では『売春は搾取であり、仕事にはなり得ない』と当事者たちが言ってる声も見かける。そういう声を見てるとこの作品、グロテスクだなとしか思えない。

結局、『ペットの一人が自ら自分を売る』事になって、資金を得ることができて、他のみんなもバージョンアップできる……という話だけど。ペットの話というより、搾取の話だよねとしか見えないんだけど。エグミが強すぎる。


:デイシー式全自動ナニー

子守ロボットの物語。
人間は上手く子守が出来ないから、ロボットにさせた結果、ロボットにしか反応しない人間に成長してしまうという話。

虐待の話を拾ってると、いくつか似た事例はあったなと思う。人間以外に育てられた……というか、適切な養育してくれる人間がいないために他の動物の真似をする子供はいる。鳥に囲まれて育った子供は鳥の鳴きまねをしていたなど……真偽はともかく、適切な接触がない状態では人間は人間に懐かないみたいなものはあるのではないかなと思う。
それがこの物語では『ロボット』になっているだけで、ただの虐待の物語だなと思って読んだ。


:偽りのない事実、偽りのない気持ち
すべての記憶を映像として残す世界の物語+文字のない社会で文字を取り入れる物語。
二つの物語が交互に語られている。『記録の正しさ』と『記憶(一族)の正しさ』を対比させているのはわかるただ……これも、私にはイマイチだった。
映像はともかく『文字』というアイテムはとても魅力的で、私の好きなものではあるのだけど、物語が『一族を守るために、文字の正しさは必要としていない』と『間違った記憶を正しい映像記録で正す』という終わりでもやりとする。

『映像記録・文字記録』は『絶対に正しい』の観点で話が進むけど、その『記録』すらも改ざんされて変わっていく。もちろん、物語の中にはそれについても書かれているけど、オチが結局『記録は正しい』なので、モヤんとする。

「記憶では娘に傷つけられた父親」だった主人公が、「記録を見て、自分が娘を傷つける父親だった」と気が付く。でもこれね。もっというなら、『気が付けた』ということはそれより前、父親の子供時代のどこかに『記憶を改ざんしたくなるような何か』があった可能性もある。けど、この物語は『親子』の物語なので、『父親』は『父親』としか存在してない。子供時代のもっと深い傷跡は存在さえ見せてないし、反省点も「父親として」としか存在しない。

もう一つの、『一族を守るために紙に書いてある記録は信用しない』という物語も、これさ『その時の語り手が間違いを語っていた』可能性もあるし、『もっと世代をさかのぼると別の情報があった』可能性もある。記録が常に正しいとは限らない。

全てを記録したとしても『記憶したものと記録が違っている』事はそれでも起こる。ただ、全てが記録される世界は『相手の不快になるような事、相手が問題だと思うことをなるべく避ける』世界になって、『ふとこぼす本音』みたいなものは消えるだろうなと思う。

実際、twitterがそんな感じになっているような。公開するものについては『不快をなるべく削除する』ようになるけど、逆に言えば鍵がかかっていると『どこまでも不愉快な世界(犯罪など)』が平気で広がっていたりする。そういう二極化する世界はすでに存在してる。


これ、本当は娘が『お父さんそれ、間違ってる』と指摘したときに、父親が素直に聞けたのかというのも問題で、たぶん、それは出来てなかったのだと思う。娘に言われても聞かないけど、記録映像を見せられたら反省する父親と考えたら、それは『謝罪に来るな』という娘の言い分はすごくわかるなと思う。
さらに言えば最後は『自分は正直だろうか』というのもホラーだよね。だって、『相手を大切にして』と娘は言ってるのに、父親の結論は『自分は正直なのか』だよ。全然違うじゃん。エグミが強い。

『人の言うことは聞かないけど、記録はちゃんと信じる』ってそれはどうなのかな。なんか、『自分の間違いを正してくれる世界』といいこと風に書いてるけど、そうじゃないよね。いろんな見えない『負』が隠れてるけど、とりあえず『綺麗な部分だけ抜き出した』感じがする。

:大いなる沈黙
意味が分からない……と思ったけど、オウム(ヨウム?)が人類とコミュニケーションできる能力をもってたのに絶滅するという物語……なのかな。全体的に詩的な文章の羅列な感じ。綺麗な言葉を楽しむ作品なのかなと思って読んだ。
人類が他の種の絶滅を推し進めているという事も書いてあるけど、悲観的ではないのでこれ、どんなメッセージ?と思ってしまう。殺されても人類を愛してるっていう話?


:オムファロス
神様が世界を創造したことになっている世界の物語。
これ、現実の世界も元々は『神が作りたもうた世界』の説明のために科学は存在してたよね。地動説を唱えて投獄されたという事実の比喩なのか揶揄なのか。どう読めばいいのかわからないけど、物語の中ではだれも投獄はされず教会も都合よく科学のいいとこどりをするだろうになってる。ガリレオは存在しない。
難しい科学の話で『神が想像した世界と科学が共に成立する』という事になってるけど……難しい話なので、整合性が取れるように作り上げる世界がすごいっていう話かなというレベルでしか理解できなかった。科学の知識がもう少しあったら、たぶんこの整合性の話が理解できるのかもしれないけど、そこまで科学に詳しくないのでさっぱりわからない。


:不安は自由のめまい
多数の分岐世界と交信ができる世界の物語。
意味が分からない。「選択しなかった未来」の事がわかる時、人は自暴自棄になることもあるというような事なのかなと思うけど、こういうのわざわざ「分岐先と交信ができる(選ばなかった選択肢の結果がわかる)」にしなくても……双子が全く別の人生を歩んで、もう片方に嫉妬するみたいな物語は腐るほどあるなと思った。
最終的には「どの分岐の人物も、不良の道を歩いているから、あなたのせいではない(友人を裏切ったと後悔していたキャラがそれを知る)」というものだったけど。これ、探しまくったら「不良の道を歩いていない分岐」も出てくるのでは?と思うと、なんだかなと思う。
『無限にある選択肢』を知っていても、『今選んだ選択を変えることができるわけではない』のだから、そこに「都合がいい意味付け」だけを持ってきてもなと思ってしまう。いや。でも、それが物語でもあるのだし……うーん。

悪事っぽいものが出てくるけど……似合わない。物語や世界観や文章に合わなくて、浮いているような気がしてしまった。悪事も単に物語装置の一つで、リアルさはないので楽に読める。


9つの物語、どれも上品なので、それが好きなら楽しめるのかなと思う。
私は好みではない。それだけ。



『息吹』