あしたは晴れた空の下で―ぼくたちのチェルノブイリ
– 2011/7/1 中澤 晶子 (著), 小林 ゆき子 (イラスト)
「あしたは晴れた空の下で 作:中澤晶子 絵:小林ゆき子」を読んで
図書館で借りた本。この本は『ブタのお腹に手を入れるシーン』が教科書にあった事が印象的で調べてタイトルを見つけた。
ネットで調べると、教科書掲載の時期は短かい。その短期間に出会えてよかった。ブタの『お腹』だと思っていたけど、読み直すと『背中』でした。細部の記憶は曖昧。
副題に『ぼくたちのチェルノブイリ』とあるように、中身はチェルノブイリ原発事故の話。教科書に掲載されてたシーンにそんなのあったかなと思ったけど、掲載シーンは事故がまだ起きていないシーンでした。
あらすじ
ドイツに住む日本人『トオル』(日本で言えば小学六年生)が主人公。
物語は、ママが旅行に行くところから始まる。残されたパパの料理の腕は期待外れでトオルは文句を言って過ごしていた。学校では『農場見学』に行くことになり、トオルもそれに参加する(参加自由)。
ブタの悲鳴と、目の前で流れる血に皆が怖気づいてしり込みする中、マドンナBが真っ先に進み出て切り裂かれた豚の背中に手を入れる。トオルもブタの中に手を入れて、その命を感じる。
チェルノブイリ原発事故のニュースが流れ、日常が変わっていく。サッカーが禁止され、外遊びも出来なくなり、雨も浴びないように気を付けないといけない。呑気に旅行しているママにヤキモキしながらも、帰ってきたママは食料にも気を付けて、日本産を選ぶようになっていた。ヨーロッパ周辺は放射能で汚染されているため、日本食なら大丈夫と思われていた。
学校での特別授業が行われ、事故についてクラスメイト達が話し合う。みんな、禁止事項が多くてうんざりしていた。その中でマドンナBが『危険を承知で便利な生活を続けてきたはずで、原子力発電所が悪いわけではない』と発言し、クラスメイトの不快を買う。しかし先生は、マドンナBの言い分も一理あるとクラス中に伝える。
ママの妊娠。マドンナBの引っ越しが発覚して、トオルはマドンナBと最後に会う。何もできないトオルはヨウ素剤の瓶をマドンナBに渡した。
奇形が産まれるなど不安な話を聞きながらも、トオルの弟が無事に誕生する。
こんな感じで物語は進んでいた。どこかで聞いたような話が満載だが、チェルノブイリ原発事故は1986年。37年前に起きている。日本で起きた福島原発事故は2011年。12年前。
最初に『復刊にあたって』という文章があり、この本が福島原発事故があったために復刊されたことが書かれている。
日本で起きた事故のおかげで、『ヨウ素剤』も理解できるようになってしまっている。それまでは一切聞いたことがなかった言葉や状況が、理解できてしまう事が少し悲しい。
食肉のブタのシーンしか読んでなかった私は、こんな話だとは思っていなかった。
当時、中学一年生だった私は教科書を読みながらも『命』を感じた。
「あたたかいわ、本当にあたたかい」
というマドンナBの言葉が迫ってくるように感じたのだ。
さらに、一人暮らしをして初めてサンマを捌いた時にも同じものを感じた。こちらは、文面だけの感動とは違う、実感として……サンマは冷たかったけど、『命』を感じた。
『人間は他の動物の命を頂いている』
切り刻まれた肉を焼くだけだと決して感じる事はないけど、生きていた時の形を解体して『食べやすいように自分の手で切り分ける』のは、『命』だと思う。
……私は食には興味がないので、まともな料理をしてない。サンマを捌いたのはたまたま食べたくなって安かったから。今では高くて無理ですね。
食育(食物連鎖)の話だろうと思ってたのに、実は原発事故の話で放射能で生き物たちを殺し汚し、食べる事すらできないものを生み出す土地になってしまったという話だった。
思ったよりも壮大な話。
トオルの弟は生まれてきたけど、『中絶を選ぶ女性も多い』という話題も出ている。広島の原子爆弾の話やポピ族の石板、聖書の話など、いろんな話が挟まっているのも読みごたえがあった。
原子力発電所は悪なのか……という話も深かった。人は一度手にした便利さは手放せない。私もだけど。
原発事故のあれこれを改めて思い出させてくれた本。
ブタの背中に手を突っ込んでみたいけど、さすがにそんな機会はなさそうだ。私は『サンマ』だったけど、今はサンマもないだろう……今の時代だと何に手を突っ込むのだろう。
読んでよかったのです。ごちそうさまです。