ヒトは〈家畜化〉して進化した―
私たちはなぜ寛容で残酷な生き物になったのか
– 2022/6/3 ブライアン・ヘア (著),
ヴァネッサ・ウッズ (著), 藤原 多伽夫 (翻訳)
「ヒトは<家畜化>して進化した 私たちはなぜ寛容で残酷な生き物になったのか 著:ブライアン・ヘア ヴァネッサ・ウッズ 訳:藤原多伽夫」を読んでみた。
進化の本かなと思って読んだけど、徐々に差別や分断の話へと変わっていった。
最後の謝辞に『(二〇一六年の)大統領選の後、第一稿の半分を没にした』とある。政治に疎い私でも前後の文から、トランプ大統領が当選したときの話だと分かった。
一章ずつ感想を書いてみる。
第1章 他者の考えについて考える
人の考えが分かる実験について書かれている。人の考えが分かると書いたが、心の中が分かるという意味ではない。指差しが何を示しているかわかるという実験をいくつかの動物でやってみたという話。
イヌがチンパンジーよりもいい成績らしいのは、人間と一緒に生活しているかららしい。
第2章 友好的であることの力
キツネの実験の話が出てくる。人に友好的な態度をとったキツネを選別してかけ合わせていく実験。たしか、テレビで見たことがあると思いながら読んだ。
この実験で何世代もかけ合わせていくと、友好的なキツネたちは姿が変わっていく。毛の色が変わり、たれ耳になり、鼻づらが短くなりまき尾になっていく。そして、人に従順に変わっていく。家畜化されるとどんな変化が起きるのかという事が書かれている。
キツネだけではなくて、ほかの家畜化された動物についてもどんな変化があったのかが書かれている。
第3章 人間のいとこ
ボノボの話が中心。チンパンジーとの比較で書かれているが、相手と協力する能力に長けていて、決して殺し合うことはしない。性的な行為で対立を避けるという事が書かれている。ボノボの話は『新世界より 著:貴志祐介』にも少し書かれていた。そして、この本を読めば読むほど、新世界よりがただ『性的な行動』だけを取り上げてボノボの事を書いていることにいら立ってしまう。
ボノボの世界は赤ちゃんが最上位にいるらしい。赤ちゃんがそばにいるだけで、雄はエサを置いてその場を去る。雄がおかしなことをすれば、雌は結託して行動する。
ボノボの話は読んでいるだけで楽しいなと思った。
第4章 家畜化された心
脳の大きさや活動の話。人(ホモサピエンス)とネアンデルタール人の違いは脳の大きさにあると書いてある。ホモサピエンスの方が小さい。脳が小さくなることが家畜化の変化の一つ。
ヒトの瞳の色がいろいろな色なのも、家畜化の一つ。白目(強膜)があるので瞳の色がくっきりと分かりやすい。白目が人のコミュニケーションに使われたからそうなった。ネアンデルタール人などの他の人類は色のついた強膜で目を目立たなくしていただろうと本にはある。
黒い目の人類がいたかもしれないという事にちょっとびっくり。復元図が白目なのは人間味を持たせるためだとか。
……でも実際にどうだったのかは、わからないよねという気持ちもある。この本も断定した書き方ではないのが気になる。
人間らしさを失わせるためには白目部分を変化させるのがいいと書いてある。物語などでよくあるけど、確かに普通のキャラクターで白目部分が変わった色というのはみかけないな。豹変したキャラには使いやすい。
第5章 いつまでも子ども
発生や発達の話。ちょっと難しい。
簡単に理解すると、友好的などうぶつは発達期間が長くなった。そのために社会性を身に着ける時間が増え、友好的になる。という好循環を繰り返す。
ヒトの場合それが「見知らぬ他人」と協力する力になり、爆発的に数が増えた理由の一つであるらしい。
いろんな動物の話が書かれているけど、家畜化は脳内ホルモンの増減で『友好的になるホルモンが増えて、攻撃的になるホルモンが減る』
人も同じく。
人間は『ずっと子供のまま』というのは、何かのテレビで見た気がする。これは『幼いまま』という意味ではなくて『好奇心が強い生き物』という事。
人間は大人になっても好奇心が強い。とはいえ、子供のころよりその好奇心は縮小されているのはひしひし感じる。それでも年を取って好奇心ゼロになる人は少ない気がする。
第6章 人間扱いされない人
この章から、友好性の反対。攻撃性の話が絡んでくる。差別という言葉は出てこないが、これが『差別』や『分断』の話というのは分かる。
アフリカとフツ族とツチ族の争いの話から始まる。なかなかヘビーな話なので、読むだけでちょっと辛い。
そこから人間の性質『友好性』のためのホルモン、オキシトシンは他者から攻撃されたと感じた時に相手を非人間化するという話につながる。
『民族紛争が絶えない地域で育った青年は、オキシトシンの血中濃度が高く、敵対する民族に共感しにくい』p166
これは確か、母親が子供を攻撃されたときに、攻撃しかえすことでも知られていたような。父親であっても子供への攻撃は許さない……というのを聞いたような気がする。
最後には偽の情報によって、敵対勢力への攻撃を決定した話が書かれている。人は『誰かが酷い扱いを受けると共感し、それを信じやすい』性質がある。それによる判断が時に間違いを起こす。
というのを、この間Twitterで見かけた。
公園廃止のニュース。私が最初に見た時は、『指導者側の拡声器』『家の中にボールが入ってきて植木などを踏み荒らされる』『一日百台以上の車の出入り』といった、住民側の訴えが詳しく書かれていたのに、今日は『子供の声がうるさいからと公園を廃止した』と情報がさっくり簡易なうえに誤解させるようなものになっていて驚いた。もちろんそこにつく意見は『苦情を言う住民がありえない』というようなもの。
特に『子供関連』はそれに文句を言う側が悪いみたいな構図になるけど、だからと言って大人側だってなんでも許容できるわけではない。そして、公園の事例については情報を削除して意図的に住民側が悪いようにしてるので悪質だなと思うけど、これも上記の共感の事例なのだろうなと思う。
第7章 不気味の谷
人間に近い見た目の存在に、私たち人間は不気味さを感じるという話が載っている。
こちらも最初はアフリカの「バカ・ピグミー」と呼ばれる民族集団の話。そこから人を『猿化』することで人はその集団を『人間』から外した。という話につながる。西洋人たちのアフリカ人への偏見などが分かりやすいが、日本人も『イエローモンキー』と呼ばれていた時代があったので、人ではない対象として見られていただろうと思う。
さらに話は現代に移り、今はそのようなあからさまな差別はないが、それよりも複雑な新たな偏見はある。
p190にはアメリカの刑務所制度の問題点が書いてある。実は『ポリコレの正体』の三章のBLM運動の話の中に「BLMは刑務所制度を解体したがっている」という話が出てくる。これも、調べた方がいいかもと思いながら放置していたのだが、答えがこの本にあったと思った。
アメリカの刑務所制度は黒人にとって不利なのである。黒人の犯罪率が高いのは貧困や病気、失業などの環境要因が大きいのだが、それを無視して刑務所に放り込む制度となっている……という事だと思う。詳しくは本を読んでほしい。
疑問が繋がるの良い。このページすごく気持ちよかった。
同調実験というものも書いてある。一枚に長さの違う三本の線、もう一枚に一本の線を書いた紙を渡し、『三本のうちどの線の長さがもう一枚の線と一緒か』を答える実験。ただし、ほかの人たちは違う答えを言うように言われている。実験者一人がほかの人の意見に惑わされずに正しい答えを言えるかどうかを試すというもの。
私、それは間違った答えを言いそうだなと思った。だって、それ、誰も傷つかないから。三本のうちの線のどれであっても私にはどうでもいいから。
監督者になり従業員に電気ショックを与えて、訓練する実験の話もある。
こちらは、監督者に全責任はあなたにあると伝えるのと、責任は分散させるといわれる人に分けられる。
分散させる方が強い電気ショックを与えようとするという話。自分に責任がないと人は、恐ろしいことをしでかす。また、従業員を非人間化する話を聞かせた方が電気ショックを強めていくという事も示されたと本にはあった。
うわぁ。これ、私が今、お家で経験中なので、すごくよく分かる。と思ってしまった。相手が人間じゃないと思うとこんなに楽なんだなと思うと同時に、自分の中の残虐さにも気が付いて吐き気がしている。
自分は優しい人間じゃないとは思ってたけど、人間を人間足らしめているのは『人間らしい環境』なのだなと。戦時中の人たちが『優しい人は生き残れなかった』というのを実感している。優しければ生き残れない。けど、私が欲しいのは『優しい人が生き残れる環境』なので辛い。私の子供時代から30年もたっているのに、今の子供の環境って30年前よりも劣悪だなと思う。大人の環境もだけど。
話がそれたので戻す。
非人間化されていると気が付いた集団は、相手の集団を非人間化する。これは前にも書いた『攻撃されていると感じた相手を非人間化する』という事につながる。つまり、お互いにお互いの集団を非人間化し合うということだ。ソーシャルメディアでのやり取りなどでこの構図が増幅され、お互いに憎み合う事態になっている。
人間も取捨選別して改良した方がいいのか……という事にはならない。結局それは、優生学になる。優生学が成功した例は今まで一度もない。となっている。結局、人は『協力し合う事』でしか、このいがみ合いを解決することができない。
と結ばれている。いい。すごくいい。好き。
第8章 最高の自由
独裁者や権力者、民主主義の社会の歴史がさらりと書かれている。
現代アメリカの話も出てくるが、現代のアメリカの政治はうまくいっているようには見えないと書かれてる。アメリカの事は詳しくないのでよくわからない。
『プラトンは『国家』にこう書いている。「自由が最大限に達すると、残酷をきわめる奴隷制度がはびこる」ことになり、独裁者が生まれる。その独裁者は「第一にさまざまな紛争を巻き起こすことを考える。そういう状況になると、民衆が独裁者を必要とするからだ』p220
日本でもあれやこれやが頭をかすめる。しばらく政治の話になってしまってよく分からなくなりそうだなと思ったけど、図のページでやっと理解が進んだ。
p228『政治的イデオロギーを標的に見立ててみよう。その標的では中心部分の円がかなり大きい。議会制民主主義の国に住む大部分の人々は「穏健な中道派」だ。彼らは出来事に応じて立場をいろいろ変えるかもしれないが、事実に対して敏感に反応する。
(略)
穏健な中道派の外側にはイデオロギー信奉者がいる。彼らは自分の政治観が正しく、ほかのすべてが間違っていると信じている。
(略)
図の最も外側は過激派だ』
最近、イデオロギー信奉者の意見の本ばかり読んでたのかもな……と思った。
でも、人は年を取ったり病気になったりすると政治理念を変えるともあるので、その人の立場になってわかるものは多々あるのかもしれない。そのような対立を緩和するために教育は必要だが、効果は限定的。相手の集団と接触することでその感情が和らぐとある。
ポロコーストの時代にユダヤ人を助けた人たちも、身近にユダヤ人の親友などがいて接触していた人たちがユダヤ人を助ける活動を続けていたとある。
抗議運動も非暴力的なものの方が訴えやすい。
ラストは、都会に暮らす人口が農村部に暮らす人よりも上回ったとある。農村部よりも都会暮らしの方が社会的地位が上がり、良い教育が受けられるので都会の方がいいとなっているが……そうなると、農村部にある『動物たちと人間社会の境界線』はどうなるのだろうかと思ってしまった。いや。これは日本だけなのかな。海外は土地が広いから棲み分けがしっかりされているのだろうか。
都市計画次第では、他者と接触しない作りになることもあるので、そのような都市よりは誰もが気楽に接触できるよう設計されている都市がいいとなっている。
都市ならばどこでもいいわけでもなさそうだ。
第9章 友だちの輪
動物と人間の話。
動物に接触している人は他の集団の人たちを非人間化しない傾向がある。犬に階層があると答えた人は人間にも階層があると答える人が多い傾向がある。など、犬と人間の話が中心。
しかし、私は動物が苦手なのである。この理論で言うと私は相手を非人間化しやすく、階層があると考えていることになってしまいそうだ。もちろん、これは『傾向』の話で全ての人がそうだと言っているわけではないのだが、なんだかモヤっとしてしまった。
そして逆もしかりだ。これは動物を飼っている人たちが相手を非人間化しないというわけでもない。
ここまで人間の話できたのに、ラストが動物にはモヤっとする。
しかし、それだけこの本の著者が動物好きなのだろうし、動物と仲良くすることで人間に利点がないとは言わない。
私は動物全般が苦手なので、あまりいい気がしないだけ。
そして、こじらせたような『ポリコレの正体』がなぜ、あのように書かれているのかもなんとなくわかった。攻撃されていると感じている人たちはあのような文章になるのかもしれない。
私も気を付けたいが、最近『疑問』『メモ』の感覚でTwitterで呟いているのでうっかり誰かの足を踏んでいるかもしれないとは思っている。せめて過激になったり、偏り過ぎたりしないように気を付けたい。気を付けたいけど、たぶん無理とも思う。
難しいけど、『誰かを攻撃する文章』には気を付けていきたい。
いろんな点に気付かせてくれた本でした。