ネット小説 『春が来たら、桜の花びら降らせてね。』
の感想。ネタバレアリなので気を付けて。
ストーリーは場面緘黙の女の子といじめっ子(になってしまった)男の子の恋愛もの。
最初に私はこの話が好きではありません。
なので、この話が好きvという人はこの先を読まない事をお勧めします。
『お喋りができない』という部分の描写は上手いなと思いました。
おそらくネット上でいろいろ調べたんだなと言う感じがします。
あらすじも調べた結果なんだなと言う感じがします。
ただ安易に『場面緘黙症』と『いじめ』を扱ってる感もひしひしと感じました。
まず、一つ目。
場面緘黙症でなかったら、いじめていいの?
いくつか、『喋れない病気(場面緘黙なんだから)』そんな事をするな……と言うようなシーンが出てきます。
男の子が女の子をそうやってかばうのです。
もしも、ただ喋らない子(診断が付いていない子)だったら、いじめていいのか?
「そんな事(喋る事の強要など)」していいのか?
事情(場面緘黙の診断)がなければ、喋りの強要や侮辱はしていいのか?
いちいち『事情がある』とか『喋れない病気なんだから』と言ってる点が引っかかった。
『事情は…個人の性格も含める』とも読めるかもしれないけれど、『病気なんだから』は違和感しかない。
二つ目。
主人公が「病気が治らない限り、この先も何も変わらない」と言っている。
場面緘黙って治るものだと思ってる?いや。薬や治療法があって、治るものだと思われたら困ると思う。
説明が何もなくて、このセリフを吐かれると、大人の場面緘黙さんには辛いんじゃないかなと思う。
子供の場面緘黙さんは希望が持てるかもしれないケド。
何も知らない人には『場面緘黙は治るもの』と思われてしまうのかな……と思うとモヤンとする。
三つ目。
ラストが最悪。
お友達が主人公を教室で無理矢理に喋らせる。
それを楽し気に主人公も感謝を持って受け止めている。
……いじめのシーンと同じことをされてるようにしかみえないんですが?
『喋れ!!』と形を変えてやってることに気が付かない主人公、怖い。
友達なら許されると思っているお友達たちも怖い。
そして、これを読んだ人が『喋らない子には、こんな風に喋らせたらいいんだ』とか思ってしまう事が一番怖い。
『人によるので、これで喋れる様になるわけではない』と注釈を入れてほしいシーンだなと思った。
細かい点。
喋れない時間を長く過ごしてる人間が、易々と『喋りたい』と思うのか?
首ふりで答えられるものは無意識で首ふりで答えると思うけれど、頑張って喋ろうとする不思議。
と、気になるところをつんつんしてみたけど。
全体を通して主人公はポジティブで明るいなと思う。
絶望して『誰とも関わらないで生きていく未来』を夢見る子。
いじめの話とかだと、絶望して『死にたい』系になるのかなと思ったけど、そんな言葉は一言も出てこない。
学校が嫌でも、ちゃんと登校はする。(もしかして、家で何かあるのかもしれないけれど、家族はあまり出てこない)
これだけポジティブなら、家族は普通なのだろうなと思う。(話さないことに対して、否定的見方はしていないような?)
現実には喋らない事に対して家族が否定的な見方をして、学校よりも家の方が辛い場合もある。
落ち込むことなく読める点は良い点だと思う。