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WEB小説「まぼろしの恋」を読んで

2024/09/17

WEB小説「まぼろしの恋R15」を読んでみた。


神様と神様の贄となった女性の物語。
神様と主人公の恋愛模様にキュンキュンするよ!というのはわかるんだ。萌えキュン(?)ポイントはいい感じについているのも分かる。私もキュンキュンした。
15歳未満は読んではダメですよ(棒読み


これらとは別で、文化レベルと価値観と物語のアンバランスさに気持ち悪さも感じる。

けど、一番の吐き気はレーティングを間違えていること。この作品はR18に放り込んでほしい。子どもに読ませて『これが本当なんだ』と思ったら、危険だから。アダルトファンタジーはR18で。R15は怪我・病気の危険性がある部分については現実を書いてと思う。


性行為中に血を流したらそれは、『男側』もしくは『性器を弄っている側』がヘタクソなだけ。処女は破瓜するなんてファンタジーを突っ込むな。血が出たら、行為をやめろ。感染症リスクが高くなっていて危険な状態だから。無邪気にアダルトファンタジーを入れて『破瓜の血で神様が汚される』なんていうな。神様は性行為がヘタクソって書け。もしくは、『性行為に耐えられる体になっていない未成熟な肉体を欲しているロリコン』
男性もだぞ。男性も血を流したら感染症リスクが高まっているか、何か異常が起きてるので、性行為をしてる場合ではない。
痛みを訴えてる場合も同じ。
女性側も『我慢しなきゃ』とか「痛いのが当たり前」みたいに思ってるのおかしいから。

マジで、R18をR15に混ぜるなよな。
ガキは真に受けて、『血が出た処女だ』とかアホな事を思うんだよ。違うから。『血が出たら危険』が正しい。なんで、性行為中だけ『血が出ても大丈夫』になるんだ。

ついでに『惚れた女を目の前にして手を出さないのはすごい』とか『自分のために我慢してくれて嬉しい(主に女性側)』が思うのも狂ってるから。
その身体は最初から『女性の物(その人自身の物)』であって、誰であろうと『触っていい権利』も『性行為していい権利』もない。
『相手の許可を得てやっと触れることができる』のだから、いくら『惚れた相手に触りたい』といっても無駄なわけ。【惚れた相手を独り占めしたくて殺したくて殺したくてたまらないけど、殺さないでいる俺はすごい】なんて言わない。それと一緒。性行為しないのは当たり前。相手が我慢してるとかそんなのどうでもいい。これ、嫌いな相手なら気持ち悪いだけだよね。好きな相手だとバグるのおかしいよ。好きな相手でも『相手に触っていいかどうか』は当人にしか決める権利がない。

というのをR15なら書けよなと思う。

その上で、『(女性側が)我慢させていて辛い』というなら、『他の女性を好きになってください』でいいと思う。だって、性行為をしたいのに出来ないというなら『性行為できる相手』を見つけた方がいいだけだから。


本当はこんな事を書くつもりはなかった。この世界観の分析をしたくて感想書くつもりだったのに、最後の最後に『処女は血を流す』というものを書いてたので、ぶん殴ってやりたくなってしまった。

こういうのがあるから、恋愛もの全般気持ち悪い。



さて、アダルトファンタジーは脇に置いて、世界観の異質さを書く。
まず、この世界観はおそらく、江戸時代あたりの農村部をモデルにしてるのかなと思う。つまり、文明はそれほど進んでない。

その世界観での違和感はいくつかある。
一つ目。遺灰。
物語のキーアイテムの遺灰。でも、この遺灰はどこから?と思う。
人間を灰にするのはかなり難しい。普通に燃やしても人間の体は燃えない。なにせ水分が約60%もあるのだから。灰を手にするにはかなりの火力がいる。
私の母が子供の頃つまり約50年前(1960年代)は、『一晩燃やしたけど、骨に肉がまだ残っていた』状態だったという。灰になる部分があったのかすら疑わしい。
ただこれ、戦後は『遺灰』は手に入りやすくなる。なぜなら、ナチスが人を燃やす機械を発明してこれが火葬場に取り付けられたから……と言うのを見かけた。もしくは他の技術だったかもしれないが、人間を灰にする技術は戦後のものと考えた方がいいと思う。
ここが鍛冶の里だったら、火力があったのかなと思うけど……普通の村はそこまで火力がない。

遺灰を手にするのは文明レベルと合わない気がする。

二つ目。共同体。同調圧力。
これ、おそらく現代の人たちがそう名付けてるだけで、その中にいた人たちは自分たちは『共同体にいる』とは思っていない。ざっくり『仲間意識』程度のものだったのではと思うけど、そこにも名前がついていたのかどうか。同調圧力も同じく。
この物語のキャラたちは、やたらと共同体は同調圧力が強いというけど……その感性は共同体の外の物なので誰かがそれを持ち込まないとおかしい。けれど、外部の人間が気軽に関わるような文化でもない感じなので、どこでその『同調圧力』の価値観を得たのかなと思う。

価値観が文化と合っていない。

主にこの二つが気になった。

もう少し、細かく見る。

13話 自分の意思を殺して生きていた千冬……とある。
この辺りで、意味が分からないと思った。『自分の意思』がどこにあったのか分かってるならまだしも、この世界観ならぼんやりと『これじゃない』程度だと思うんだよね。
でもこの世界、働かないと死ぬ世界で、水害や飢饉が起きたら死ぬ世界なんだよね。そんな曖昧なことを考える暇、どこにあるんだ??と思った。
死が身近な世界で、『やりたいことはこれだ』というものもないのに「違う」とはっきり思うのは無理がある。それが出来るのは現代みたいな『暇な時間』のある人たちの特権。

14話 千冬は周囲の空気を読んでしまう。
これも違うと思う。大抵は経験と知識で行動している。空気なんて読めない。ただ『受け取る情報量の違い』から『空気が読めない』とされる人が現代では存在している。
でもこの世界観だと必要な情報がそこまで多くないので大半の人が『それができる』と思うし、出来なくても「あの子はそうだから」で認められるような気がする。つまり『自分を偽る必要』がない。


千冬の母を養うための米は村人たちからも抜かれていた。それに不満を持つ千冬の友人だった清治というシーンもあるけど。
これ、不満に思う意味が分からない。だって、村が弱者救済をしてくれるなら、『自分が弱者になった時』にも保障があるっていう事。それが見えてないのはおかしい。この世界観はもっとそういう世界が見える世界だと思うんだけど。見えなくても、大人の誰かが子供の『ズルい』をたしなめて、教えてくれるような気がする。

千冬は明里を妹のように思っていても、愛していない。だから、川には飛び込まない。というのも不思議だった。
妹を助けないような人間のどこに魅力があるの?むしろ、妹の方が助けに飛び込みそうだけど。愛してないから助けてくれないって、すごい思考だな。

たぶんここは、『千冬は明里を愛していない』という事を示すためのシーンなのだろうけど、これを入れたためにその男のどこがいいのかという新たな謎を持ち出す羽目になる。(作者さんはこの矛盾をどうしたのだろう。物語では完全スルーだったけど)

同調圧力に折り合いを付けられるかは個人の問題というのも……現代的。
共同体って『みんなが小さいころから見知ってる』から、行動パターンも何が好きで何が嫌いで、何が出来なくて、何が得意かを誰かは知ってるってこと。小さい結びつきがあちこちでちまちま出来ているのが共同体だと思うんだけど。
なんかこの物語を読んでると『現代の教室の中』を共同体だと思っているのかな……と思ってしまった。
それ、共同体とは違うから。その時たまたま、『一緒になった同学年・年の近い人たち』というだけ。30人の教室内を共同体とは言わないのよ。しかも先生のいう事は絶対聞けという軍隊形式。それ、同調圧力が起きて当たり前の蟲毒だから。

23話  庶民の茅葺屋根の家。
庶民が茅葺の家に住むなら、かなり裕福な村では? と思ってしまった。茅葺って人手がいるから、それなりの人手がある村=食料が取れる村なので裕福だよね。しかも、庶民がそうできる……しかも、一人暮らしの明里も茅葺屋根。なのに、この物語では村は『裕福ではない』ことになってる。……私の認識がおかしいのかな。時代にそこまで詳しくないので、間違ってるかも。

24話 介護と育児に追われた家族。
現代だなと思う。農村部の育児って、赤ん坊の頃は籠に入れて農作業に行って、少し大きくなったら村の子たちと遊ばせて、少し大きい子供たちが小さい子供たちの面倒を見るっていう形のような気がする。つまり、育児といいながら放置。それで死んだらそれまで。介護については死ぬまで働け(そもそも寿命が短いので、ボケることも珍しい)なので、動けないなら家で寝かせるだけぐらいしかしない。食事とトイレが出来なくなったら、死ぬだけで介護という概念がない。
この後にも、「子どもらしく遊んでおいで」と子供に言うシーンがあったけど……。子供も労働力なので、「子どもらしく」ではなくて「やることはないから、好きにしろ」だと思う。このセリフも現代的なんだよな。この世界観には合わない。

25話では男たちだけで稲刈り……というシーンがあったけど、田植えと稲刈りは男女問わず総動員でしないと間に合わないと思うんだけど。いや。間に合わない。『豊かでそれなりの人数がいる』なら尚更。
ゆったり、灯里が「お昼だよ~」なんて持ってくるのおかしい。むしろ、灯里もやっていたけど、お昼だけ作りに行って戻って来たという方がまだ分かる。


所々、現代的感覚がするっと入り込んでいて、ファンタジーだから『現実の農村とは違う』とは思っていてもこの世界観でこの感覚は合わないだろと突っ込みたい。
自動車やスーツ姿の人が出てきたら、この現代的感覚もありかなと思えるけど、出てこない。(機械化されてる世界なら、近代的価値観があるのもわかる)

恋愛に関する部分も同じで突っ込みどころは盛りだくさん。でも、小物や舞台設定はたぶん、それなりに調べたんだろうなぁと思う。時代に詳しくないから小道具を書かれてても分からないし、その部分は私はどうでもいい。


21話 配偶者とは本人の次に本人に関わる重要な人物。
これも、現代的だなと思う。そもそも、そんなに重要な決定はほとんどない。夫婦は子供を産む男女という程度の感覚だと思うんだよね。実際、子供という労働力提供源になってたわけだし。村の外に行く人間なんてほとんどいないし、例えば、田んぼで倒れていたら知らせには行くけど『その家の人間に』だと思う。家父長制がどれくらいあるのかわからないけど、下手をしたら家長に知らせるだけで、配偶者は出ていけになる可能性も。

ただ、この世界観だと家父長制はそこまで強くなさそう。でも、男性が優勢の世界観だなとは思う。

そして、配偶者は重要だと言っておきながら、離縁が簡単にできるようなことも後から出てくる。

それ、どうなの? 離縁が簡単なら婚姻や配偶者にそこまでの意味もなくなるけど。
物語を優先したためだろうけど、あちこち小さな矛盾が出てしまってる。


『私が今、こういう価値観で、こういう思考なのは、こういう世界(環境)にいるからなんだな』という事がわかった物語。
私も物語を書くときは世界観と文化レベルとキャラの価値観のズレに気を付けようと思う。

でも、たぶんこういう価値観と文化のズレって、『我知らず』やっちゃうんだよな。
この作者がどうこうっていうわけではない。


そして、R18がなぜR18なのかを考えない作者が多すぎて、気軽にR15作品は読むもんじゃないなと思った。
R18作品の方が、注意書きがあって健全な気すらしてしまう。