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「あったか言葉とチクチク言葉」を読んで

2024/03/07

あったか言葉とチクチク言葉
– 2008/1/9 佐藤 拓 (著)

「あったか言葉とチクチク言葉 著:佐藤拓」を読んでみた。
図書館で借りた本。借りる本リストには無かったけど、気になったので借りてみた。そして、姪っ子にも見せてみた。


教育の本。

『はじめに』ですでに痛いことが書かれている。

「言葉づかいを反省すべきは大人自身ではないか」p8

そう、まさしくそうなのだと思う。反省すべき点は多々ある。けど、乱れてしまった言葉を使うたびに『ダメだからね』と指摘し、『私も気を付ける』と言ってもきた。
こういうと自己弁護のようなのだが、私の言葉はそこまで乱れていなかったと思う。むしろ、姪っ子君から私への逆流入のような感じで私自身の言葉が汚くなっていることに、私が耐えられない。

反省というよりは、言葉が乱れてしまった私自身にわたしが耐えられない。
なので最近は、『単純な汚い言葉で、感情を発散しない』という事に気を使っている。

「邪魔」というとき、『何が邪魔なのか、どうしてほしいのか』に言い換えたり、「あいつ」と言ってしまったときに『誰の事』『こんな人の事』と言い直したりしている。

しかし、私自身が気を付けても、周囲の環境が悪ければどうしようもない。姪っ子君は私が驚くような汚い言葉や傷つける言葉を発してくる。以前は、明らかな悪意があったが、今ではそれさえもなく『当たり前の言葉』として使っている。言葉が体に染みつくとはこういう事なのかと感心してしまう。

私が姪っ子君に言ったところで『ママが』『お友達が』と、どうしようもないものがあるのだがせめて姪っ子の中で『この言葉をダメと言っていた人がいた』という事が少しでも残ってくれたらなと思う。


1章 〈チクチク言葉〉を追放し、〈あったか言葉〉で満たしたい
チクチク言葉とあったか言葉の取り組みをしている小学校の事が書かれている。
まずは、みんな違うという事を知ってもらうためにこんなことをしているとあった。

『四角を書いてください。その中に丸を三つ書いてください』p20

これを書くと、みんな違うものができるという風に本には書いてあった。面白そうなので、家でもやってみた。妹と姪っ子に描いてもらって、私も書いてみた。
結果。私と妹が完全に一緒だった。四角と丸の配置が同じだった。姪っ子は丸の配置が逆さまだったが、もう一つ思いついていたというのでそちらを描いてもらったら、そんは配置があったのかと思った。

私と妹は四角の中に上に一つ下に二つという形で丸を配置。
姪っ子は四角の中に上に二つ下に一つという形で配置。その後にもう一つ、四角の中に大きな丸中くらいの丸小さな丸を書いた。天気記号の雲のような感じで。

丸は同じ大きさとは言っていないとその時初めて気が付いた。大人の固定観念って嫌になるな。


p26
〈チクチク言葉〉
死ね
うざい
へたくそ
ばか
きもい
のろま
あっちへ行け
チビ
ブタ
ブス
デブ
……
アホ
とろい
ボケ

〈あったか言葉〉
ありがとう
おはよう
ごめんね
先どうぞ
がんばれ
おめでとう
いっしょに遊ぼうね
すごいね
だいじょうぶだよ
これからも友達でいようね
かしてあげる
……
じょうずだね
うれしいね
うまいね
いっしょにがんばろう
やさしいね


このページ分だけでも、この本の言いたいことが分かってくる。これらの言葉が子供たちの中から出てくるというのは素敵だ。

(……の後の言葉は4章p120に書いてある言葉を入れた)


違っていても友達

p50
すきなものはなにですか
すきなどうぶつ
・イヌ ・ネコ ・ウサ
すきなたべもの
・ラーメン ・おすし ・ステーキ
すきなあそび
・うんてい ・ボールあそび ・おえかき

これは三択で選んでいく質問。『ぴったりの人はいない』という使い方をしてるそうだが、道徳では「ハートぴったりはだあれ」となっていると。

みんな一緒というのは無理だろうと思うので、真逆の使い方をしている教師がいるのは素敵だなと思う。

こちらもやってみようかと思ったが、時間が取れなかったのでやっていない。


2章 あいさつで〈人間関係力〉を高めたい
2章はあったか言葉などからは少し離れて『挨拶運動』の話が書かれていた。
正直言うと、私は挨拶が苦手だ。挨拶だけではなく『話すこと』自体が、苦手なのだ。なので、私にとっては苦痛な章だった。

あいさつの重要性はわかるし、それで地域社会が繋がるというのもわかる。しかし、挨拶をしない人=悪のように書かれると、私のような挨拶以前の『話すこと』が苦痛な人間には社会からはじかれるような感じもする。

頭を少し下げるだけでもいい。ちょっと視線を下げて合図するような感じでもいい……というように、あいさつのレベルを下げてほしい人もいるのだ。

常にはきはき明るく挨拶をする人が正義と言われると、発話ができない人はどうするのか、耳が聞こえない人はどうなるのか、理由があってそれが出来ない場合の対処とともに書いてほしい。

本には、校門前で挨拶を続けた校長の話が書かれていたが、『挨拶が苦手な人はその道を避けて遠回りするだろう』という事も書かれていた。また、『都会では難しいだろう』という事まで書かれている。確かに地域差はある。回り道がない場合は仕方なく通るしかない場合もある。

姪っ子の学校も挨拶運動があるらしいが、姪っ子はそれが嫌で時間をずらして登校していると言っていた。避けるのは大人だけではない。子供だって挨拶が苦手な子がいる。そんな子たちには、どうするかは書かれていない。

出来ない人がいない前提で書かれている挨拶は息苦しい。


3章 変われるのは大人が先か、子どもが先か
再び、あったか言葉とチクチク言葉へと戻った。さらにいじめの話にも踏み込んでいる。
そこで、富山県教育委員会の人権意識チェック表というものが書いてあった。

ーーーーーー

p94、95
1.あらゆる機会をとらえて命の大切さを訴えていますか
2.一人一人に分け隔てなく、明るくあいさつをしたり言葉をかけていますか
3.理解の早い児童生徒を中心に授業を進めるのではなく、どの子も授業に参加し、一人一人のよさが発揮できるようにしていますか
4.不登校傾向にある児童生徒の座席等に配慮し、常に学級の一員であることを意識していますか
5.特定の幼児児童生徒に嫌がらせ、仲間外れ、暴力、失敗や間違いに対する冷やかしの言動を見逃さずに注意していますか
6.「いじめられる方にも問題がある」と、いじめの原因を被害者のせいにしていませんか
7.幼児児童生徒の名前を「あだ名」で呼んだり、「呼び捨て」にしたりしていませんか。また、相手を傷つけるような言葉で注意しないように意識していますか
8.遅刻や忘れ物をした児童生徒に理由も聞かずに注意したり、叱ったりしていませんか
9.兄弟姉妹と比べて、ほめたり叱ったりしないように意識していますか
10.「こんなこともできんのか」と幼児児童生徒をさげすんだ言い方をしないようにしていますか
11.「また……か」「いつも……だ」などと、幼児児童生徒を固定的・断定的に見ないようにしていますか
12.「男のくせに」とか「女らしく」など、性別で差をつけたような言い方で、男女の役割を固定したとらえかたをしないようにしていますか
13.「あの国籍の子は……」「あの地区の子は……」「あのクラスの子は……」などと、個人の問題を国籍や地区、クラスなど、全体の問題のように言っていませんか
14.「よい学級」「レベルの低い学年」などと、学級、学年に優劣をつけた言い方をしていませんか
15.「しっかり勉強しないといい高校に行けないし、いい職業にも就けない」などと、進路先や職業に良し悪しをつけるような言い方をしていませんか
16.「世の中は上下社会だから、差別はなくならない」などと、差別を肯定したり、差別の解消に消極的な発言をしたりしていませんか
17.学校のホームページに、不用意に幼児児童生徒の個人情報(住所・氏名・写真など)を掲載していませんか
18.連絡帳などを見開きで放置したり、個人情報資料を不用意に扱ったりしていませんか
19.本人の承諾を得ないで作文や日記の内容を話題にしたり、学級通信、研究論文などに掲載したりしていませんか
20.家族調査や面談などで知り得た情報を不用意に職場や地域で話さないようにしていますか
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これ、全部を守るとなると大変だろうなと思う点もあるけど、『意識しているかどうか』だけでも違ってくると思うのでチェック表があるのはいいなと思った。

思ったのに、これを読んだ翌日、富山県内でいじめを苦に自殺というニュースが飛び込んできてさらに学校側はいじめではなくて『人間関係のトラブル』と言っているとも報道された。

この本の出版が10年以上前なのに、まだ『人権意識を徹底させる』までは行っていない学校にはうんざりする。あ。これも16に引っかかるのかもしれない。でも、そんな状況を腐るほど見ていると、悲観的なことも言いたくはなる。

全てではないが、部分的には家庭や会社などの組織でも使える点もあると本にも書いてある。自らを振り返るには、ちょうどいいチェック表だと思う。

とにかく三章は『大人こそが言動に気を付けるべき』という事が書かれている。


4章 コミュニケーション・トレーニングで〈心の教育〉を
最後は小規模校での話を取り上げていた。
私は小中と大規模校と言える千人程度の学校にいたので、小規模校というのはイメージの中にしかない。具体的にどんなものなのかが分からないが。

『親しいからこそ、言葉に無頓着になる』という事が冒頭に書かれていた。

相手を知っているから『バカ』が本気ではないとわかる。同じく『死ね』も本気ではないから、平気で言えるという事だった。
そして思い出すのは、中学に入った時に他の小規模校から入ってきた子たちの『自由さ』と『馴れ馴れしさ』
授業中でも立ってごみを捨てようとする人を私は中学で初めて見た。小学校ではそんな子はいなかったし、いたとしたら支援級の子たちだった。しかし中学では、支援級とは思えない普通の子が平気で授業中に立っていた。さらに教師を呼び捨てにする。ある意味でカルチャーショックだったというのを思い出す。あだ名はついても4月に呼び捨ては小学校まではなかった。


4章ではチクチク言葉とあったか言葉のほかにもこんなのがあった。

p120
『こんな言い方はダメだ
つよく言う
めいれいする
いばる
どなる
おこったように言う
決めつける
~しろよ
ダメだよ
あなたは~できない
ばかにしたような言い方
そんなことも知らないの?
呼び捨てにする
おまえなど

いやな言い方
にらむ
目をみないで話す
ぶつぶつ言う

―――――――――――

一部、方言は修正したのです。私が分かりやすいように。


親が子供にやってしまいそうな事が満載です。いや。人の事は言えない。でも、これらがダメだと気が付かない親が『我儘な子供』と子供側にレッテルを張りそうだなとも思う。

大人(保護者)に向けての講演の話の中にアサーション・トレーニングというものが書いてあった。

『仕事を手伝ってくれない?と頼まれたが、早く帰りたいときにはなんと返すか』というもの。
『ごめんね。今日は早く帰らなきゃいけないから、どうしても手伝ってほしいなら明日、手伝うよ』
これに対して、保護者から「なぜ最初に謝らないといけないのか。他人の仕事を手伝う必要なんてないのに」という質問が出たとあった。私はそれに驚いてしまう。

謝った方が人間関係がお互いにうまくいくからだ。手伝ってほしいときに手伝ってくれたらうれしいのと同時に、手伝ってほしいときに手伝ってもらえないと悲しいという気持ちがわく。最悪、『あの時手伝ってくれなかった』という恨みの感情が残り、こちらが手伝ってほしくてお願いしたときに『なんで、あなたの仕事を手伝わなきゃいけないのよ』と返される可能性もある。

こうなると、お互いが不快でしかない。

もちろん、強制はできない。
しかしお互いの気持ちを気持ちよくするためには『今は断ってごめんね』だし、その言葉で次にこちらが助けてほしいときに助けてもらえる確率が上がるのなら、それでいいと思う。その人に二度と関わる気がないなら『ごめん』は要らないだろうけど、この先も関わる可能性があるなら不快感は最小限の方がいいと思うのだが。

さらに、悪い言葉を聞かせない温室育ちにすると、ぐさぐさ言葉に弱くなるのではという意見もあったらしい。

「仮に、中学に入ってから 〈ぐさぐさ言葉〉 を言われたとしたら、『何を言ってるんや。お前なんか嫌いだ』と返すのではなくて、『いやぁ。そんなことを言われてグサッときたよ』とか『キツイなあ、聞きたくないな』と返せばいい」p131

きつい言葉で免疫が付くと思う大人は、きつい言葉が『必要なウィルス』とでも思っているのかもしれない。しかし、きつい言葉はただ『人の心を傷つける弾丸』でしかないと私は思う。言われるたびに弾丸が体内にめり込んで痛みを放ち、やがて自らの痛みに無頓着になり弾丸を平気で放つようになるだけだ。

必要なのはチクチク言葉が『弾丸』だと知り、『自分の心を守る言葉』を選ぶことだと思う。さらに『自分に必要な言葉』であるあったか言葉を選ぶことで、相手に弾丸を発射せず毛布でくるむ優しい世界に出来る。


弾丸が平気でぶっ放されてる世界、私は嫌です。


『おわりに』が最後に入っているが、ここでは植物も言葉を理解するというトンデモ科学の話はありえないとある。
実は私はその話を聞いたときに、ときめいてしまった。そして、信じたいとも思ってしまったが、いろんな場所で『それはない。理由は……』というのを見るうちに、やはりファンタジーだったかと思ってしまった。

言葉に力があるのは、『言葉から人間がそれをイメージすることでそれに近づこうとするから』だとあった。私もそう思う。

言葉の力は、イメージ(妄想・空想)だ。


しかし、イメージするだけですべてが解決するわけではない現実もあるのでもどかしい。


読んでみて、とてもよかったと思うのです。私も改めて気を付けようと思った本。

『あったか言葉とチクチク言葉』