異邦人 (新潮文庫) 文庫
– 1963/7/2 カミュ (著), 窪田 啓作 (翻訳)
「異邦人」著:カミュ を読んでみた。
この作品は中学の時に『読書』っぽい事をしたくて読んでみた。
けど、全く分からなかった。『分からない』ということが、分かった作品だった。
それから著名な作品というものは『難しい』のだと思った気がして、読む気がなくなった。
この『異邦人』は母が買ったものだった。画像のとは違うもっと昔に出版されているもの。翻訳者は一緒なので中身は一緒だと思う。レイアウトはペストと同じで少し違うのかもしれない。
記憶の中では『老婆を殺した』ような気がしてたけど、老婆は別の作品だった。
『暑かったから殺した』というのは記憶と合致していた。
記憶に残ってるのは、それだけ、『暑かったから殺した』……意味が分からない。
でも、今、『ペスト』を読んでから『異邦人』を読むと、ペストの『人は全て罪人だ』と言ってたキャラ(……名前を忘れた)と、『異邦人』の話が重なるなと思った。
今だから『分かる』気がする。 中学の時は全く分からなかった作品が、いま読むと『こんなことかな』と。
作品を的確に理解するなんてどんなものだって無理だけど、ぼんやりと『こんなことかな』という輪郭が見えるし、頷けてしまう。
中学の時の私は『殺人は悪』だったし、同時に『殺人は社会的に自己を抹殺する行為』でもあると思ってた。
丁度その時に同年代の殺人犯が世間をにぎわせていたから、尚更、そんな風に思っていた。
でも、今は『殺人は悪だけど、殺人に至るまでの過程には理由がある』と思う。
どれか一つのドミノが倒れなければ起きない運命みたいなものは、あるような気がする。
平和な世界だと平然と『殺人はダメ』と叫ぶ人間も、戦争になれば『敵を殺せ』と叫ぶ。
外野は好きに叫ぶ事が出来るという点は、分かる。インターネットの世界もそうだけど。
ただ、『だから、殺人は仕方がない』には、行きつかないし、罪は罪だと思う。
それでも、『裁判の心象で刑罰が変わる』というのは不合理で、それに気がつかない事もまた『人間らしい』のだろうと思う。
そして、残念な事にそんな事例はざらにある。
『殺人』という罪にフォーカスをすると、『分からない』
『死刑』という刑にフォーカスをすると、『分かる』
そんな感じの作品なのかなぁと思う。
『暑かったから殺した』が印象的すぎて、刑罰云々の部分が頭の中に一つも残ってなかった。
たぶん、読むべきところは『死刑は妥当であるかどうか』という部分だと思う。
ところで、 『アラビア人』がどんな意味なのかが分からなかった。
これは、迫害されてる人として書かれてるの?それともただ単に『コミュニティーが違う人』?と、悩む。
わざわざ書くということは『差別対象』なのだろうか?海外の感覚がわからない。
そう思ったので、調べた。
『差別的対象』として読んで間違いはなかったらしい。物語はそういう話だと思うと、また色が変わる。
でも、難しいことに変わりはない。
追記:240406
※物語の中で全てが説明されるわけではなくて、この時代背景(アラビア人への差別)やカミュの思想がわからないと理解できない物語。
つまり、前提知識の量がモノを言う作品だと思うので、これ単体で面白いと思える人は少ないだろうなと思う。