アニメ「どろろ」を見てるのです。今、22話目ぐらい?
最初はワクワクしてみていたけれども、最近は白けてしまった。
ついでに昔のアニメの方は、ずっと化け物退治なのが……単調でつまらないと感じてきている。
あ。あと、白黒なのが…カラーに慣れてるせいかちょっと物足りない。
現代版は面白そう……と思っていたのだけれども、今は『つまらない』
これは、完全に好みの話なのだろうなーと思いつつ。
『つまらない』というより、思った以上に『好みではない話』になってきたなと。
魔物に身体を取られた百鬼丸。
百鬼丸に『お前がいればいい』と言われているどろろ。
でもどろろは、百鬼丸が(悪い方へ)変わってしまう事を恐れている。
言葉を話して、感情を持つようになった百鬼丸は……何とも言えない『不気味』な人間になってきたなーと思う。言葉を話さない方がまだ可愛かった。
でも、目的はたった一つ『体を取り戻す』コレがなくなったら、話が終わってしまう。
百鬼丸の父親は……民のために百鬼丸に死ね(身体をささげろ)と言う。
百鬼丸の母親は……民のために死ねとは言うが、やはり百鬼丸を見捨てることは出来ないと曖昧な立場。百鬼丸の弟は民のために百鬼丸を殺そうとする。
モヤッとする理由はたった一つ。
『民のため』という部分。
領主(だったか?)の地位を失いたくない!!ぐらいちゃんと言える悪党がいいなーと思う。
いや。言ってたような気がするけれども、「失ったら、民が困る。私が民を導く」みたいな話になって言ったような。
そうじゃなくてさーーー。なんていうか、人間の偽善が前面に出ていて……それも百鬼丸の家族全員がそれを押し出してると吐き気がする。
これ、そもそも、『生贄』の話ではなかったと思うんだけどな。いや。生贄ではあるし、家族の確執もあったけど。
それをここまで掘り下げると、滑稽だなとしか思えない。
だって、キャラクターとして一応『百鬼丸の家族』という事になってるけど、関係性は『他人』だよね。
母親は別として、父親と弟にとっては『他人』
母親は無駄に苦悩してるけど……現代を生きてる人間からすると「生贄を立てて、幸せを祈る」って『何の意味もない事をただ信じてる』って事でしかない。
どろろの世界では一応その機能が備わってる(ようだ)とはいえ……。んじゃ、百鬼丸が死んだら、民は本当にみんな幸せになるのか?というと……疑問符しかないわけで。
「どろろ」を見ながら、地獄少女を思い出してしまった。(そっちは家族ともども生贄だったけど……そしてちゃんと愛情があった気がするけど)
どろろと百鬼丸の関係性は面白いなと思うケド、百鬼丸と家族の関係性は……早く終了してほしいなと思う。
けど、たぶんこの流れは……家族の関係にけりがつくと同時に終了というパターンなのかなー。この、なんかめんどくさい関係が最後まで続くのか―と思うと、うんざり。
さらに追記。
母親は別……と書いたけれども、かと言って百鬼丸の家族だとか情があるわけでもない。
関係性は父親や弟と同じ『他人』だなぁと思う。
自分の身体を取られた百鬼丸を『おもちゃを取られた子供と同じ』みたいなセリフは他人じゃなきゃ言えないと思うケド。
息子の身代わりになる方法を模索するでもなく、あっさりと生贄になれと言えちゃう癖に苦悩しているふりだけはする。
父親や弟君が『民のため』ならば、母親は『母親ならばこんな風に悩むだろう』という姿を見せらせている気がする。
……これ、何が面白いの?
皆がみんな独り芝居をしているだけの『家族の姿』を見せられてるだけな気がする。
家族の愛情?そんなものどこにもない。ただの『家族ごっこ』
最後にペラペラの『家族ごっこ』を見せられて終わるのかな。
そんなの現実にごろごろしてるので、物語の中では綺麗な『家族の姿』が見たい……と私は思ってしまう。
どろろに思う事……というものまで書いてしまった。