蹴りたい背中 単行本 – 2003/8/26 綿矢 りさ (著)
「蹴りたい背中 作:綿矢りさ」を読んでみた。
話題になってた時に読んだ……ような気がしてたけど、内容を一切覚えてなかった。読み終えたけど、やっぱり内容を忘れそうと思う。
でも、最初の「さびしさは鳴る。」は覚えてた。詩的で意味がない感じがいい。こういう表現があちこちに散っていて、文章の美しさはある……でも、物語はというと、印象に残らない。『蹴りたい背中』のタイトルもそのまま「苛立つ(この辺りの解釈は人によって異なりそうだけど)から蹴りたい」という話。
物語の舞台は高校で主人公も高校生。特にこれといった事件があるわけではない。グループに入れない「クズとキモイやつ」二人の関係を書いている。
共感できる部分がなかった。あえて言うなら『普通の学生はそうらしいな』という一枚板を隔てたような感覚は一応あるので、そんな風に読んだ。
『孤独な人のちょっとした悪意と気持ち悪さがすれ違う物語』みたいな読み方も出来そうだけど、それも違うような気もする。
気になった部分。
『恋人か、ファンとしては痛烈な響き。いや、でも、おれは受け入れるよ。』47p
にな川が好きなモデルに恋人がいるかもと知って口走った言葉。
痛烈な気持ち悪さ……と思いながら読んだ。受け入れるも受け入れないもなくて、ファンなら私生活に立ち入らない方がいいし、『見えてるのは見せてる商業的部分だけ』という自覚も持った方がいい。そこに『恋人』という完全私的なものはファンが口出しできる権利は一切ないのよね。
『多分これを作ったにな川は、オリチャンを貶めているなんてさらさら思っていないと思うけれど。』59p
にな川が好きなモデル、オリチャンの顔写真に『成長しきってない少女の裸』を組み合わせたものを発見した時の主人公の感情。「無理がある」と呟いたのもそうだし、その後の気持ち悪い描写もすごく的確でこの辺りの文章は好き。
これ痛烈なオタク男性叩き……とでも言えそう。
そして、その後に主人公がにな川の背中を蹴るのだけど、たぶんこれは『気持ち悪くて苛立った』からではなくて、「こんなに気持ち悪いものには何をしてもいいだろう」っていう加虐心なのよね。だからこの後も「意地悪な気持ちになった」みたいなシーンが繰り返し出てくる。にな川がモデルのオリチャンを人間として見ることができないように、主人公のハツもにな川の事を自分と同じ人間としては見られなくなってる……。
この後の物語は、気持ち悪さ全開だなぁと思いながら読んだ。
ハツの友人の絹代がハツはにな川を好きだと勘違いしているのも、気持ち悪いところに気持ち悪いものをさらにぶち込んでくるんだなと思った。
『「”人間の趣味がいい”って最高に悪趣味じゃない?」』100p
ハツが「自分は人間の趣味がいいから、幼稚な人と喋るのつらい」と言った事への返事。
にな川も他人の事となるとよくわかっているように、ハツも『他人の事なら分かる』のよね。だから、「取り残されている」と言われたことには怒るし、にな川は他人に無頓着なんだとも思ってしまう。
この辺りの写し鏡の構図はすごいな……と思う。そっくりそのまま、二人の姿が同じように映ってるだけなの。
だから、この後『にな川の唇を舐める』ことになるけど、これも全く無意識でハツの意識的には『鏡を舐めた』程度の感覚だったんじゃないかなと思う。すぐに我に返って後悔するけど。
その時、にな川からは『自分を軽蔑している目』で見ていると言われるけど、これもハツが軽蔑してるのはにな川だけど、同時に自分自身でもあるんだろうなぁと思う。
にな川は気持ち悪いけど、ハツも充分、気持ち悪いのよね。でも、ハツ自身は自分の気持ち悪さに気が付いてない。にな川がにな川自身の気持ち悪さに気が付いてないのと同じように。
こういう『自分の姿が見えない』っていうのは誰にでもあるからホント『気持ち悪い物語だなぁ』と思う。でも、この後も具体的に何かが変わるわけでもないので……印象に残らない。
家にあった本だけど、だまって仕舞おうと思う。
人にお勧めはしない。気持ち悪いだけの物語だから。