あのこは貴族 単行本
– 2016/11/25 山内 マリコ (著)
図書館で借りた「あの子は貴族」を読んでみた。
地方と東京の女の子のやりとり……みたいな感じとしか、聞いてなくて具体的にどんな話だろうと思っていた。
読んでみて、これは『女の子』だから『お互いに大変だよね』みたいな話なのかなと思った。
男性の話になると、ただの対立になって結局『どちらも東京で競い合う』みたいな話になりそう。
ただ、『お互いに大変だよね』で終わってるのが、怖い。表面上、物語の決着をつけるためにそうなってるけど、掘ると結構エグイ物語だと思う。
いくつかの層のお話しなのかなと思った。
簡単に読みたい人は『東京のお嬢様と東京の御曹司と地方女子の三角関係』で、終わりそうだなと。
私が中学生くらいならそう読むし、そう読むのが一番わかりやすい。
そこに『東京(の中心のとある階層の女子)』と『地方(と女子)』の差が、こんなにあるんだという事が分かる物語。
『女子の差』として読む。
東京のとある階層の箱入り娘は、
『東京の狭い世界で大切に大切に育てられる』
『結婚を夢見て、結婚をすれば人生は安泰だと信じている』
『自分が狭い世界にいる事を知らない』
地方の女子は
『学力があっても周囲の理解はないので、進学に反対される』
『自力で這い上がる。結婚に夢は見ていない』
『上の階層には、届かないものだと知っている』
地方の女子の気持ちがよく分かるが、逆に東京側は全く分からない。
おとぎ話の世界にしか見えなかったが、おそらく逆の立場ならばこちらがおとぎ話に見えるというのは分かる。
人間は自分の知っている環境でしか価値判断が出来ない。
井の中の蛙大海を知らず……というけど、まさにそれ。
されど空の青さを知ると続くけど。それもまた、『井の中から覗いた空の青さ』でしかない。
深海の暗さを知る事はないし、火山灰で埋まる空を見ることもない。
世界は立場や役目が違う人たちが重なり合って出来ている。
追記:作者さんがこれは『女性同士の友情を描いたもの』と書いていた記事を見つけた。『なのに、地方女子が話題になっていて驚いている』と続いていた。
私は逆に作者さんが、これを『友情モノ』として書いていたことに驚いた。確かに女性同士の間に憎しみや怒りや羨望と言ったものはない。一切ないわけではないが『世界が違い過ぎて憧れる事すらできない』というものだと思う。憧れというのは手が届くから沸き起こる感情で、それが全くの異世界の事という認識ならば憧れる対象には程遠い。
そして、これを『友情モノ』としてしまうと、男性の浮気やセックスフレンドを女性は認めている物語になってしまう。物語の中では男性をチクりと刺すようなシーンはあるけど、それ以上のものはないし、女性もそれ以上の事はしない。
二人の主人公の生い立ちや背景を書いた理由が『それだけ違っていても友情は結べる』という事だったのかと思った。私はただ単に、『背景の違う二人が出会って、少しだけ自分の世界を変える』物語だと思っていた。
友情とは思えない点の最大の理由は、二人が『相手を通して男の事を知りたい』という事しか書かれてないから。友情というのは『相手の事を知りたい』ではないのだろうか。彼女たちの間には、『男を挟んだ相手』しか書かれてなかった気がする。もしくは、婚活での苦労話などだったろうか。
二人の間に横たわる『男もしくは、男社会』という川が深すぎて、友情には思えないように私には感じた。
作者の話を聞いて、この作品がますます嫌いになってしまった。